blueball.gif (1613 バイト)  台湾旅遊記  blueball.gif (1613 バイト)


3.台南廟巡り


10月7日高雄

この日は朝9時に台南駅前にある鄭成功像の下で川魚さんと待ち合わせをし、3人で延平郡王祀孔子廟などを周り、正午に祀典武廟前でななこさん達と待ち合わせるという予定になっていた。起きがけにテレビを付けるとたまたま衛星放送で「ワンスアポンアタイムインチャイナ 天地大乱」を放映しており、リー・リンチェイとドニー・イエンとの決闘に見入りつつ洗面や着替えをする。

そして宣和堂さんと、朝食とホテルのチェックアウトを済ませた後に、高雄駅へ。この日は特急ではなく、普通列車で台南まで行ってみようと普通・快速用の切符を買うも、肝心の乗り場がわからない。駅員に尋ねても一向に要領を得ないので、「ええいままよ」と特急の自強号に乗り込んでしまうことにした。運賃の差額は後で支払うことにして、問題は座席である。どこか余った席に座ってしまおうと目論むも、発車までにほぼ満席となり、我々は端の方に追いやられてしまった。

仕方が無いので二人して車両の間のデッキに座り込む。台南の旅は初っぱなから波瀾含みである。台南駅に着いた後も荷物の預かり場を探し回ったり、肝心の集合場所である鄭成功像の場所がわからず右往左往したが、何とか川魚さんと再会を果たした。

台南

まずは鄭成功とその一族を祀った延平郡王祀を目指すことにしたが、途中で本屋で寄り道をしてしまう。この辺りは附近に成功大学があるせいか、パソコン屋や本屋が立ち並ぶ。道中、川魚さんから鳥取で阪神大震災級の地震があったと知らされる。大阪周辺でも強い地震があったと聞き、急に家の事が心配になる。

本屋の誘惑を断ち切った後も、取り敢えず目に付いた廟に入ってしまうので、一向に目的地に辿り着かない。台南にはお堂というか、祠と言った方がいいような小さな廟がそこかしこにある。その数は日本の神社の比ではない。それぞれ輔国将軍、臨水夫人、三官大帝といったような神様を祀っていた。また学生街らしく、「状元及第」と額を掲げた文昌帝君の廟もあった。しかもほとんどの廟で、なぜかna.gif (129 バイト)ta.gif (116 バイト)の誕生日を祝った垂れ幕や看板を飾っていた。(左下の写真を参照)

「恭祝開隆宮 中壇元帥聖誕」      人形劇

中には屋台で人形劇を上映している所もあり、しばし見物する。(右上の写真)

色々寄り道をして、やっとこさ延平郡王祀に到着。門をくぐると中は異常なぐらいに静まりかえっていた。というか、外の環境が車とかバイクのエンジン音とかでやかましすぎることに改めて気付く。ここで鄭成功像を拝んだり、母の田川氏の位牌を見物したりする。

延平郡王祀の鄭成功像

そうこうしているうちにもうすぐ12時である。結局五妃廟孔子廟は回れなかったが、こちらはまたの機会ということにして、急いで集合場所の祀典武廟(大関帝廟)に向かう。

正午過ぎに無事にななこさん、さもんさんと合流。女性陣は午前中、小規模のna.gif (129 バイト)ta.gif (116 バイト)廟を探索していたとのことである。体調を崩してホテルで休んでいたSUIKOさんが後からこちらに来るかもしれないというので、待ち時間を利用して男性陣は祀典武廟と、その隣にある大天后宮を見学することにする。

どちらもかなり由緒のある廟で、さりげなく乾隆年間の石碑なんかが置いてある。宣和堂さんがかなり興味深そうに文字を辿る。また、ふと扁額に目をやると、やっぱりさりげなく蒋中正だの連戦だの李登輝だのの署名が入っていて、かなり驚いた。私はと言えば、壁に飾ってある木蘭出征や、岳母が岳飛に「尽忠報国」の入れ墨をする場面を描いた絵(右下の写真)に見入っておりました(^^;)

祀典武廟      「尽忠報國」

両宮の見学を終わった頃にSUIKOさんが到着。全員揃った所でまずは出店に行き、名物の担仔麺で腹ごしらえ。これは小さなお椀に入った麺で、日本のわんこソバみたいな感じである。午後は赤嵌楼→安平古堡の順に見て回ることにする。

赤嵌楼は元々オランダ人の築いた砦でプロヴィデンシア城と呼ばれていた。それを鄭成功の一党が攻め敗って占領したのである。漢字と満州文字を併記した石碑や、安平古堡まで底がつながっていると伝えられる井戸など、色々面白い物があった。楼の中はちょっとした資料館みたいになっており、オランダ時代の砦の復元図とか、当時の帆船のモデルなんかが展示されていた。宣和堂さんが「前に来たときはこんなの無かったよ!」と驚く。

楼の3階でしばし風に吹かれて休息した後、今度はタクシーに乗って安平古堡へ。

赤嵌楼      安平古堡

安平古堡も元々ゼーランディア城と称され、オランダ人の砦であった。赤嵌楼と同様、オランダ時代や鄭氏政権時の姿をほとんど止めていない。こちらにも中に資料館があったが、当時の武器や文物なんかが展示されており、かなり見応えがあった。宣和堂さんによると、やはり以前とはすっかり様変わりしていたようである。

ここの目玉は安平の街並みが一望出来る展望台であるが、最上階に行き着くまでにグルグルと長い螺旋階段を登らなければならない。資料館に金をかけるなら、展望台にエレベーターでも付ければ良いのにと思ったが、この調子でいくと今度ここに来る時には本当にエレベーターが設置されているかもしれない。

これで大体目的地は全て回り終えたのだが、折角だからと言うので安平古堡の隣にある開台天后宮も見学することにする。ここは鄭氏一党が台湾に入った時に、中国本土から媽祖の神像を迎えて造った廟である。なぜか『封神』の一場面を描いたレリーフがそこかしこに飾ってあり、例によってバシャバシャと写真を撮りまくる。

『封神』レリーフ…「九曲黄河陣」      『封神』レリーフ…三仙姑 

他にも『封神』の楊任の如く、両目から手が生えている神像があったり、その筋の愛好家にとっては濃いい内容の廟であった。

さて、その後タクシーで台南駅まで戻ってきたが、夕食までにはまだ間がある。時間潰しの方法と言えば、やはり本屋である。入った所は店内に喫茶店や文具売り場も構えている割と大きな店であった。特にその店は漫画の品揃えが充実していた。日本の著名な漫画は新旧問わず翻訳が出ているようである。(時事絡みの漫画では、『沈黙の艦隊』は訳が出てましたが、さすがに『ゴーマニズム宣言』は見かけませんでした。)川魚さんの話によると、いま台湾では『GTO』が大流行しているとのことである。

台湾オリジナルの漫画を見てみると、案外蔡志忠作品の扱いが悪い。店の端の方にひっそりと置かれているだけであった。日本で言えば植田まさしとか、いしいひさいちみたいな扱いになるのだろうか?

丁度良い時間となったところで屋台で夕食をいただき、台南駅で女性陣と別れる。ななこさん達は高雄〜台南でまだ探索を続けるのだと言う。宣和堂さん・川魚さんと私は故宮を見るべく台北行きの特急・自強号に乗り込んだ。

宣和堂さんは台北での宿も取れていないというので、私と同じく川魚さんの宿舎「台北国際学社」にご厄介になることに決まった。ここは留学生用の寄宿舎だが、旅行者用の部屋も用意されているのだと言う。列車が台北に到着したのは夜中の12時頃、そこから更にタクシーで、宿舎のある新店市の山中へと向かった。

台北故宮での顛末については、また次回。


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