blueball.gif (1613 バイト)  台湾旅遊記  blueball.gif (1613 バイト)


4.台北故宮観覧


10月7日 台北

「台北国際学舎」のロビーで手続きを済ませると、宣和堂さんと私は4階の客室へと案内された。正直どんな部屋なのか不安で一杯であったが、シャワー・トイレ付きのなかなか立派な部屋であった。

取り敢えずシャワーと着替えを済ませて出てくると、テレビを見ていた宣和堂さんが「あっ、いま『包青天』をやってますよ!」と叫んだ。「包青天」とは『三侠五義』をモチーフにした時代劇であり、以前から一度、機会が有れば見てみたいと思っていたのである。喜び勇んで画面に向かうと、何だかセットがショボい。まるでNHKの人形劇がと見紛うほどである。宣和堂さんは「台湾の時代劇はセットはショボいですが、その代わりストーリーは大陸のドラマと比べて格段におもしろいです。」と言うが、そういうものなのかっ!?

その後、二人して川魚さんの部屋へと遊びに行く。こちらは二段ベッドや机が備え付けられており、いかにも学生の寄宿舎という造りになっていた。川魚さんのi-Macから自分とこの掲示板を見たり、鳥取大地震の情報を調べたりする。こうしてこの日の夜は更けていった。

10月8日

朝8時にロビーに集合して、故宮へと向かう。昨晩はあまり眠れず、5時頃に目が覚めてしまう。私は昔から枕が変わると寝付けない体質なのである。(隣のベッドでは宣和堂さんが羨ましいほどにグッスリと眠っていた)おまけに今までの疲れが出たのか、今ひとつ体調がすぐれない。川魚さんも不眠症気味ということで、あまり眠れなかったようである。

まず宿の前でバスに乗り込んで、MRT(日本で言う地下鉄のようなもの)の七張駅まで向かう。このバスであるが、まず車内放送が無い。おまけにバス亭自体が目立たない所に立っているので、回りの風景で降りる所を判断するしかない。「ていうか、あんなに親切なのは日本ぐらいですよね」という宣和堂さんの一言に愕然とする。

バスを降りた後、屋台で肉マンを頬張って腹ごしらえ。その後歩いて七張駅へ。MRTはまだ開通してから数年しか経ってないとのことで、車両の中もきれいである。車内放送も普通話、bin2.gif (929 バイト)南語等四言語で放送され、さきほどのバスとはうって代わって親切である。士林駅で下車。駅付近には「風火輪」という喫茶店があり、思わず指を指す。そういや高雄で、やはり「風火輪」というスクーターの広告も出てたっけ。na.gif (129 バイト)ta.gif (116 バイト)ちゃんはしっかりと台湾の風土に根を下ろしているんだなあと感心する。

士林駅からタクシーに乗り込んで故宮博物院へ。故宮前の広場では屋台が並んでいたり、小学生がブラスバンドの演奏をしていたりと、えらく賑やかである。どうやら二日後に迫った革命記念日を記念してお祭りをやっているようであった。

台北・故宮博物院

中は青銅器の部屋、陶磁器の部屋、書画の部屋といった具合に、展示品の種類によって部屋が別れている。カウンターで荷物を預けると、まずは「華夏文化と世界文化」の部屋へ。ここでは各時代の文物が年代順に並べられているが、レプリカが多いとのことで、実物の展示されているものだけチェックしてサッサと通り過ぎる。

次はいよいよ専門の青銅器の部屋を見に行くことにしたが、宣和堂さんは「ここは今までイヤという程見たから」とのことでパスし、土産屋で時間をつぶすと言う。私は川魚さんを伴って部屋の中へ。のっけから毛公鼎・散氏盤・宗周鐘が展示されていた。3つとも周代青銅器の代名詞的な器で、ガイドブックにも必ず写真付きで説明が載っているほどのS級の文物である。今まで図録でしか見たことのなかった器を目の前にして、さすがに感慨もひとしお。川魚さんに銘文の内容を説明しつつ、いろんな方向から眺め見る。

更に奥に進むと、子犯鐘が展示されていた。これは5年ほど前に発見されて台北故宮に収蔵された、8つ1組の編鐘で、晋の文公が城濮の戦いで楚を打ち破って覇者となった折りに、その家臣である子犯(狐偃)が作らせたとされるものである。実は個人的に故宮で一番見たかった文物であった。(この子犯鐘については、いずれ紹介コーナーを作る予定……である。)

図録ではイマイチ不鮮明だった銘文をじっくり見たり、鐘の裏側の音程調律跡(一鐘につき何カ所か削った跡が見える。)を確かめたりして、いろんな角度から眺め回すが、ここで川魚さんがリタイア宣言。前の晩よく眠れなかったのが、今頃になって眠気が出てきたとのこと。逆に今ひとつ気分がすぐれなかったはずの私は、数々の青銅器名品を目の当たりにして俄然元気を取り戻していた。取り敢えず川魚さんには展示室の外のベンチで休んでもらうことにする。

これ以外にも青銅器コーナーには陳侯午敦、soku.gif (100 バイト)令方尊、頌壺等、A級の文物がこれでもかと言わんばかりに陳列されていた。これを見ると、国民党政権が本当に名品を選りすぐって大陸から分捕ってきたのだということがよくわかる。

ところで故宮は現在、部分的に改装工事を行っている。私が行ったときは甲骨文・玉器・陶磁器の部屋が閉鎖されていた。(何だか肝心なものばかりが見れなかったような気がするな……)

ともかくその後、川魚さん・宣和堂さんと再び合流し、二階の書画コーナーに進む。ここでは主に乾隆帝のコレクションであったものが陳列されているのだが、その余白に実に無遠慮にベタベタと印が押されている。その書画の持ち主であった代々の皇帝の印が押してあるわけだが、よく見ると一幅につき乾隆帝の印が二つ三つ押されているものもある。乾隆帝の印の事は噂には聞いていたが、ここまでひどいとは思わなかった。

気を取り直して先へと進むと、思いがけず郎世寧(カスティリオーネ)の『百駿図』が展示されていて、三人ともども感激が隠せない。すぐ隣に中国人画家によるレプリカも展示されていたが、本物と見比べるとやはり見るかげも無い。馬はそこそこうまく写せているが、どうも背景の植物なんかに荒さが見えるような気がした。

その後は多宝格のコーナーや企画展の商代青銅器展、清末公文書展、特別展の草原文化展等を見て回ったが、そうこうしているうちにもう夕方近くである。溢れるほどの文物を目にして、さすがにもうお腹が一杯である。

故宮を見て回った後は、本屋巡りかもしくは骨董街・電脳街として有名な光華商場を見て回ろうかと話していた。しかし宣和堂さんは午後六時に台北在住の友人と食事をする約束をしているとのこと。となると光華商場を見て回るのは時間的(あと体力的にも)ちょっと辛いかもしれないということで、台北駅前まで戻って本屋を見て回ることにした。

再びMRTに乗り込んで我々は台北駅に向かったが、以降の顛末はまた次回。


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