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唐代伝奇の総説については「はじめに」の項で触れましたので、ここでは個別の作品について解説を加えていきます。ネタ元は岩波文庫『唐宋伝奇集』の訳注及び解説、ちくま学芸文庫『中国小説史略』、井波律子『破壊の女神』です。


1.補江総白猿伝

作者不明。『太平広記』に「欧陽kotsu.gif (126 バイト)」という題で収録。題名の「補江総白猿伝」とは、江総の作った「白猿伝」を補うという意味である。つまり欧陽詢の養父である江総に仮託して書かれたのである。この作品は宋代以来、欧陽詢を憎む者が、彼の顔が猿に似ていることから想を得て、彼を誹謗するために書いたと言われている。つまり暗に「欧陽詢は化け物の子だ。」と主張して彼を貶めているのである。

しかし怪奇物語としては面白い筋立てであり、白猿神の性質は『大唐三蔵取経詩話』の猴行者、『西遊記』の孫悟空、『平妖伝』の袁公に影響を与えたと思われる。また、諸星大二郎『西遊妖猿伝』1巻で主人公・孫悟空の母親が猿人にさらわれるくだりは、この物語をアレンジして取り入れたのであろう。

2.杜子春

作者は牛僧孺(もしくは李復言)であり、『玄怪録』等に収める。玄奘『大唐西域記』に記録されている鹿野園の救命池の伝説がその源流であるという。また『河東記』に収める「蕭洞玄」はこの「杜子春」と類似の物語である。ただしこちらは若者に仙薬の練丹を手伝わせる道士(この道士の名前が蕭洞玄。)が主人公となっている。

言うまでもなく芥川龍之介の『杜子春』はこの物語を翻案したものであるが、末尾の杜子春が女性に生まれ変わる話を省いており、話のスケールが小さくなった観がある。

3.李娃伝

作者は白行簡(白居易の弟)であり、『太平広記』に収める。この「李娃伝」に取材して、元代には「李亜仙詩酒曲江池」という戯曲が、明代には『繍襦記』・『李亜仙記』といった作品が書かれた。その過程で李娃は字を亜仙といい、もとは一枝花と名乗っていたとか、若者の姓名は鄭元和であるといったような設定が付け足されていった。

日本でも室町時代に書かれた『李娃物語』以来翻案化がなされ、江戸時代に流行した侠妓物の源流となった。

4.崑崙奴

kei3.gif (133 バイト)(はいけい)の作で、『太平広記』に収める。題名にもなっている崑崙奴については、大陸で東西交渉史、或いは奴隷制度史の観点から研究が重ねられている。マライ半島に居住していた巻き毛の黒人種、もしくはアフリカ大陸の黒人が、東南アジアの国々の国使やアラブ商人によって「交易品」として持ち込まれたのだという。主として船大工などの水運に関する手工業や、貴族の家の召使いとして家内労働に従事していたとされるが、その絶対的な数は少なかったようである。

物語に出てくる一品官については、岩波文庫版の訳注では安史の乱の鎮圧に功績のあった郭子儀であろうとしているが、他の訳本を参照すると、「訛説にすぎない。」として郭子儀説を否定している。

5.定婚店

李復言の作で、『続玄怪録』等に収める。この物語から「赤縄」(運命の赤い糸)・「月下老人」という言葉が生まれている。月下老人は『封神演義』にも「月合老人」の名で登場し、仙女・竜吉公主と殷将・洪錦が結婚する運命にあることを告げている。

月下老人は、この物語では冥界の使者ということになっている。中国では古来より「人間の運命は生まれたときから決まっていて、冥界で各人の人生を記した帳簿が保管されている。」という考え方があったようである。『西遊記』でも孫悟空が地獄の王に迫って自分の寿命を延ばさせたり、地獄の官吏が帳簿に細工して太宗皇帝の寿命を二十年延ばしたりといったような話が見える。

6.南柯太守伝

李公佐の作で、『太平広記』に収める。いわゆる「邯鄲の夢」の故事を語った「枕中記」と同類の物語である。しかし話のスケールはあきらかに「南柯太守伝」の方が大きく、完成度も高い。「枕中記」の物語では「人生の空しさを説く」といったように教条的な面が強いが、この「南柯太守伝」は完全に娯楽作品となっている。実際書かれた当時から人々の間で流行したようで、宋代には揚州に南柯太守の墓なるものが存在したという。

明の湯顕祖はこの物語を敷衍して戯曲「南柯記」を作った。ラフカディオ・ハーン『怪談』に所収の「安芸之助の夢」も、この物語をもとに作られたという説がある。

7.葉限

作者は段成式であり、彼の著書である『酉陽雑俎』等に収める。段成式は唐の文人であるが、今で言うフォークロアにも興味を示していたという。言うまでもなくこれはシンデレラ物語の一種であり、日本でも南方熊楠らによって研究された。同類の物語は世界中に流布しているが、この「葉限」がその中で最古のものであるとされている。

物語の末尾に出てくる徴姉妹の乱は、ベトナム史上有名な事件である。後にはその史実が半ば伝説化して伝えられ、ベトナムの民族的象徴になっている。「葉限」の物語も、元々は中国南方やベトナム一帯で語られた伝説なのであろう。

ちなみに本文の陀汗王が金の靴を得て、それが葉限のものであると探し当てた下りには、三カ所に渡って文字が十数字ほど空白になっている所があり、文意が通じない。しかしダイジェストでは話が通じるよう短くまとめておいた。

8.聶隠娘

作者は裴kei3.gif (133 バイト)であり、『太平広記』に収める。この物語は女侠物の元祖として知られるほか、後代の武侠小説にも大きな影響を与えた。短編小説集『拍案驚奇』には、やはり超人的な力を持った女暗殺者・十一娘の物語が収録されているし、(題は「程元玉店肆にて代わりに銭を償い、十一娘雲岡にて縦に侠を譚う」)『聊斎志異』には「侠女」の題で、この手で父の仇を討ち取った女侠の物語が語られている。『児女英雄伝』の主人公・十三妹もやはり、聶隠娘の系譜に連なる女侠の一人である。

また、この物語は節度使が割拠して地方をしていた唐中期以降の世情をよく描き出している。物語中の陳許節度使・劉昌裔は実在の人物である。


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