健康制度における修正要素ならびに
「第4の柱」としてのセルフヘルプ


ユルゲン・マツァット(ギーセン・セルフヘルプ支援センター)

訳:豊山宗洋(大阪商業大学)



注意事項

(1)本稿はJurgen Matzat(2002): Die Selbsthilfe als Korrektiv und ?vierte Saule? im Gesundheitswesen. In: Forschungsjournal Neue Soziale Bewegungen, Jg.15, Heft 3: "Partizipation und Mitgestaltung−Wege aus der Intensivstation Gesundheitswesen", Verlag Lucius&Lucius, Stuttgart, ISSN 0933-9361, S.89-97. の全訳である。
(2)(  )は原文においても括弧付きで表記されている部分か、あるいは訳者が原語を付記したほうがよいであろうと判断した部分である。
(3)〔  〕内には、原文には載っていないけれども意味を理解するうえで補足した方がよいと思われる比較的短めの事項を載せてある。
(4) 注番号1)2)3)・・・について。原文には、注は付いていない。しかし、内容に関して比較的長めの説明が必要だと思われる箇所には、注番号をつけ、訳者注として各節の最後で説明を加えている。なお、訳者が訳をするにあたって参考にした資料は、その注のみに記されてある。それゆえ、本稿末尾の参考文献は、原文の転記である。
(5)本文中の太字は、原文において強調されている部分である。


1 「第4の柱」という比喩

 このジャーナルの編者から提示された本稿のタイトルは、「第4の柱」というのと同じような比喩を利用する気にさせる。この規定に私が初めて出会ったのは−多くの人が驚くであろうが−当時の健康大臣ホルスト・ゼーホーファー(Horst Seehofer)による、1995年にドレスデンで開催された連邦公的保健サービス医連合会の第45回学術会議に対する挨拶のなかであった。その頃に現状の記述がなされていたのか、あるいは将来像が提示されていたのか、そして彼自身がどの程度この動きの推進者になるつもりであったのかは、言うのがつらい。その後の健康促進をめぐる行ったり来たりの議論のなかで、法定疾病金庫によるセルフヘルプ促進は削除されそうにさえなった。当事者の力をあわせた抵抗、学問の領域からの強力な支援は、当時、効果のないままであったかもしれない。しかし、法定疾病金庫によるセルフヘルプ促進は、分別ある政治家の全政党連合のおかげで、社会法典1)第5編20条のなかに「努力目標規定」(Kann-Formulierung)として、なんとか生き残った。セルフヘルプ促進は「赤」〔社会民主党〕のプロジェクトでもないし、「緑」〔緑の党〕のプロジェクトでも、「黒」〔キリスト教民主同盟〕のプロジェクトでもない。人びとの集まりのなかで実現されるセルフヘルプ(kollektive Selbsthilfe〔以下、集合的セルフヘルプ〕)、グループやオーガニゼーションのなかでの当事者たちの相互支援は、正しく理解された補完性、公共心と市民参加、連帯性と隣人愛、基礎民主主義と共同決定、「力づけ」(Empowerment)と参加、市民による民主的国家組織といったものの現れである。
 「医療改革2000」2)の枠組みのなかで、セルフヘルプ促進に多少なりとも真剣に取り組もうとする試みがスタートした。そして、この点は、政党間で、広く意見が一致している。改正された社会法典第5編20条4項において、セルフヘルプ促進は、法定疾病金庫の義務的給付となった。ただし、今日まで、法定疾病金庫は、その義務を十分に果たしていない。つまり、条文の規定では、セルフヘルプ促進のために被保険者1人あたり年間1マルクの支払いとなっているのに、2000年ではわずか0.21マルク、2001年においても0.38マルクが支払われたにすぎない。特定の金額(1マルクは、法律家の言葉では「上限であり下限である」)を確定したほかに、その20条4項には、さらに第2の、きわめて注目に値する規定、すなわち「セルフヘルプの代表者を参加させなければならない」という規定も存在する。幸いなことに、それは、法定疾病金庫の中央団体が、セルフヘルプ促進の、共通の統一的な原則を作成する際に(vgl. Spitzenverbande der Krankenkassen 2000)、協力的かつ迅速に実現された。こうしたことは、一般に「供給者主導」と特徴づけられるわれわれの健康制度においては、きわめて異例の出来事である。
 「第4の柱」という比喩は、われわれの健康システムの伝統的な柱、すなわち病院(Krankenhauser)、開業医の診療(Praxen niedergelassener Arzte)、公的保健サービス(offentlicher Gesundheitsdienst)3)という柱に関連している。なるほど、これら3つの柱は、その内容において−人びとに対するそれらのサービスの範囲、投入されている資金、一般の人びとの認知度−非常に異なる。しかしながら、セルフヘルプは、それらと比べると、「ほとんど見えない」(wie ein Strich in der Landschaft)のに等しい。法定疾病金庫は、セルフヘルプのために、まさにその資金の0.025パーセントを支出するにすぎない(この箇所では、公共当局によるセルフヘルプの促進や、とくにセルフヘルパー自身が参加することによる理念的、また経済的な価値には触れないでおこう)。現実においては、おそらく(まだ)、がっしりとした柱というよりは、細いマッチ棒にすぎないのではないか。そうしたマッチ棒に支えられなければならないとしたら、健康制度は危険きわまりない!
 それゆえ「第4の柱」という比喩は、とりわけ現状の記述には適さず、むしろ将来像や、視点の転換を表現している。それらの基礎におかれているのは、当事者が自ら、自身や国民の健康のために提供しているものであり、当事者のもつ健康に関する知識や能力、すなわち「当事者のもつ専門性」の重要性である。この意味で、「患者という資源」、すなわち「健康の共同生産者」を、これまで以上に承認し、なおかつ政策的に促進していくために、プログラム的な定式化として「第4の柱」という比喩は、きわめて助けとなりうるであろう。

 訳者注
 1)社会法典(Sozialgesetzbuch)は、ドイツの社会法(Sozialrecht)をまとめたものであり、1975年以来段階的に可決されてきている。将来的には14編構成になる予定であるが、現時点で可決されているのは、そのうちの10編である(Vgl. Dietmar Bartz(2002): Wirtschaft von A bis Z, Frankfurt/Main, S.391.)。そして、本稿との関連で、とくに重要なのは、第5編「疾病保険」と第9編「リハビリテーションと障害者参加」である。
 2)「医療改革2000」は、保険料率を安定させること、そして疾病金庫に対してより多くの契約の自由を与えること(同金庫がたとえば保険医協会と交渉する代わりに個々の医者や診療所からサービスを直接購入できるようにする)等を予定していた(Vgl. Dietmar Bartz(2002): Wirtschaft von A bis Z, Frankfurt/Main, S.280.)。
3)公的保健サービスは、その担い手(市町村、国)の委託のもとに、それぞれの時代の病気およびその予防を、活動の対象とする。具体的には、伝染病予防、健康増進、環境衛生、医療施設等の衛生の監視など、である(Vgl. Johannes G. Gostomzyk(1998): Versorgungsleistungen des offentlichen Gesundheitsdienstes(OGD). In: Klaus Hurrelmann, Ulrich Laaser(Hrsg.): Handbuch Gesundheitswissenschaften, Munchen.)。


2 ドイツのセルフヘルプ運動

 手短かに(詳細についてはMatzat 2002)、そして簡単にいえば、セルフヘルプグループはドイツの日常的現実になった。セルフヘルプグループは、ドイツでは、ヨーロッパの他の国にないほどに、拡がり、認められ、専門的に強く支援されている。地域のグループの数(7万から10万と推測される)、そこで積極的に活動している人びと(200万から300万と推測される)、そこで取り組まれているテーマは(Allergie(アレルギー)からZoliakie(グルテンアレルギー)まで、Alleinerziehenden(片親)からZwillingseltern(双子の親)まで〔つまりAからZに渡る広い範囲で〕)、常に増えつづけている。実際、セルフヘルプは、量的に、もはや軽視できない規模に達し、多くのことが、すでにかなりしっかりとした形で構築されている。かつて「静かな革命」(初期の「セルフヘルプの主唱者」であるミカエル・ルーカス・メラー(Michael Lukas Moeller)の言葉。vgl. Moeller, 1992, 1996)として始まったことが、良からぬ状況を指摘し、当事者の利益を表明するために、機会あるごとに、少しずつ音が大きくなってきたのだ。
 しかし、比類のない出来事は、グループ内での人びとの直接的な出会いのなかに、とどまりつづける。それは、まったく華々しくはなく、しばしば非公開でおこなわれ、それゆえメディアにはめったに注目されないが、当事者にとっては、しばしば個人的に最も大きな意義をもつ。その直接的な出会いのなかで、人びとは、理解されていると感じたり、肝心なことを言わないではいられなくなったり、病気を抱えながらの新しい生活の視点、あるいは危機的状況のあとの新しい生活の視点を獲得することになる。また、同様にそのなかで、人びとは、思いやりや安らぎを見いだしたり、東洋医学を翻訳し理解したり、治療の可能性や給付要求に関する助言を得たりする。さらには、−他の当事者とのあいだで−病気や障害や特殊な社会的苦境という自身の状況が、突然「普通のこと」になったり、あるいはそればかりか(ブラック)ユーモアの対象になったりする。人びとは、自らの運命を、少なくとも部分的には、再び自分自身のものにすることができる。健康に関する研究や多くの人びとの日常生活によれば、これらのすべてが有益であり、健康を促進し、「健康生成的なもの」(salutogen)1)(vgl. Antonovsky 1997)であると知られている。あるガン患者は、そのことをつぎのように表現している。「医者は、われわれの病気にとって医療的な治療がどのようなものであるかを、われわれ以上に知っている。しかし、人間としてのわれわれにとって最善の治療とはどういったものでなければならないかを、われわれは、医者以上に知っている」。
 現在、慢性疾患者や障害者の連邦レベルの80のセルフヘルプオーガニゼーションは、連邦障害者援助活動協議会(BAGH)に加盟している。これらのオーガニゼーションの多く、そしてその他のセルフヘルプオーガニゼーションや社会福祉領域におけるオーガニゼーションはまた、ドイツ同権福祉連合会(DPWV)に加盟し、われわれの民間福祉事業(freie Wohlfahrtspflege)2)システムのなかに統合されている。依存の危機に対抗する中央センター(DHS)は、多くの禁欲セルフヘルプグループにとっての上部団体になっている3)。これは、高度に組織されたセルフヘルプの一翼を担っており、当事者の利益団体という意味で外部に対する活動もおこなっている。ここでは、患者の啓蒙や広報活動がおこなわれたり、たとえば対応する立法の手続きにおいて、健康政策や社会政策に対する働きかけがなされる。セルフヘルプオーガニゼーションは、サービス提供者(医者、病院など)やコストの担い手(疾病保険、年金保険など)のパートナーとして、ますます政治や行政から認められるようになっている。患者の権利、患者の利益表明、独自の患者相談といったものをめぐる実際の議論を通して、オーガニゼーションの今後の意義は、ますます増加するであろう。というのも、ドイツでは現在、それ以外の場所に、組織化された患者というのを見いだすことができないからである。
 ドイツのほぼ300の市や郡で、特殊な機能をもち、テーマを包括的に対象とし、専門職的に活動しているセルフヘルプ支援センター(Selbsthilfekontaktstellen)が存在する。それは、セルフヘルプ運動と、専門職の援護システムとのあいだの仲介をおこない、自らの事前的な活動を通して、より多くの人が、セルフヘルプグループを体験したり、そこへの道筋を見つけたり、そうしたグループを新しく設立したり、これらのグループができるかぎり有利な条件のもとで、安定的に活動できるように気を配っている。セルフヘルプ支援センターは、ドイツでのセルフヘルプの発展を過去25年において決定的な形で促進してきた地域の中心的なスタート地点であり、インフラである。
 セルフヘルプ運動のこれら3つの現象形態(セルフヘルプグループ、セルフヘルプオーガニゼーション、セルフヘルプ支援センター)は、立法のなかにも採り入れられている(社会法典第5編20条4項、社会法典第9編20条を参照)。
 70年代の終わりまで、セルフヘルプグループは、公の議論のなかに現れなかった。たしかに、少数のグループは存在したが(たとえばアルコホーリックス・アノニマス、精神障害児の生活援助、ガン後の女性のセルフヘルプ)、それは学問、医療、あるいは病院にとっての話題となることもなければ、政治や行政の話題となることもなかった。こうした状況を変えたのが、ギーセン大学の精神身体医学病院において1977年からおこなわれ4)(vgl. Moeller 1992, 1996)、さらにはハンブルク大学の医療社会学者によって1979年からおこなわれた(vgl. Trojan 1986)研究プロジェクトであった。ギーセンのプロジェクトから、専門的な協議会、登記社団ドイツセルフヘルプグループ活動協議会(DAG SHG)が生まれた。それは、連邦障害者援助活動協議会(BAGH)やドイツ同権福祉連合会(DPWV)とともに、ドイツで、セルフヘルプの利益を実現するために重要な役割を果たす3つの中心的なセルフヘルプオーガニゼーションの1つである5)。登記社団ドイツセルフヘルプグループ活動協議会には、専門家、当事者、セルフヘルプグループ理念への賛同者が加入し、専門職の指導のない自己責任にもとづく当事者のグループ活動というコンセプトを、促進し、広げようとしている。
 ここで集められた経験から、「セルフヘルプグループのための支援センター」(あるいはセルフヘルプ支援センター)のコンセプトが、独自の専門サービスとして展開された。そこでは、すべての関心ある人びと(当事者も専門家も)が、セルフヘルプグループに関する包括的な情報と助言を見いだすことができる(vgl. Deutsche Arbeitsgemeinschaft Selbsthilfegruppen 2001)。すでに1987年に、連邦政府によって、18の地点で、そうした支援センターの活動や作用のあり方を調査するモデルプログラムが実施された(vgl. Braun et al. 1997)。そのプログラムにともなう学術的な研究によれば、かかる支援センターの存在する地域では、より多くのセルフヘルプグループが作られ、より多くの人びとがそうしたグループに行きつき、そして、これらのグループがより安定した活動をおこなうことができる、ということが明らかになった。したがって、支援センターは、支援インフラと専門的助言を通し、住民のセルフヘルプグループ参加を居住地に近いところで促進するための王道となっている。

訳者注
1)健康生成モデルについての簡単な解説は、岩井淳・山崎喜比古「健康生成モデルと中心概念」(http://www.valdes.titech.ac.jp/~iwai/soc.html)。
 2)ドイツでは社会福祉や医療の分野において、民間の非営利団体が大きな役割を占めている。DPWVは、そのなかの1つである。
 3)ただしアルコホーリックス・アノニマス(AA)は、その独立性の原則にもとづいて、DHS(Die Deutsche Hauptstelle gegen die Suchtgefahren)には加入していない(Vgl. Jurgen Matzat(2001): Burgerschaftliches Engagement im Gesundheitswesen−unter besonderer Berucksichtigung der Patienten-Selbsthilfebewegung. Gutachten fur die Enquete-Kommision "Zukunft des Burgerschaftlichen Engagements"(KDrs. Nr. 14/137), Giesen, S.14. ただし、訳者はこの文献をマツァット氏からの2002年7月22日付けメールの添付ファイルとして入手している)。
4)本稿の筆者マツァット氏は、その当初から一貫してセルフヘルプ活動に従事し続けている(訳者による2002年7月17日のマツァット氏からの聞き取り調査)。
5)たとえば、本稿の最初に指摘されているのであるが、法定疾病金庫の中央団体が、セルフヘルプ促進の、共通の統一的な原則を作成するにあたって、社会法典第5編20条4項に規定された「セルフヘルプの代表者」として、この3つのセルフヘルプオーガニゼーションが選ばれている(Vgl. Deutsche Arbeitsgemeinschaft Selbsthilfegruppen e.V.(Hrsg.): Selbsthilfegruppenjahrbuch 2000, Fulda, S.168-176.)。


3 修正要素としてのセルフヘルプ

 まず、セルフヘルプは、過去数十年間、個人やその家族が、病気や危機的状況をうまく乗り越えることに大きく貢献してきた。人びとは、同じ問題を抱える当事者、とくに経験の豊富な先輩たちから、慢性疾患や永続的な障害をともなう生活を、自らで、どのように作り上げていくか、ということについて助言を受けてきた。その場合、助言の一部においては、直接に医療的な問題、たとえば診断、治療、リハビリテーション、介護の可能性が対象となるが、他方では、社会的、心理学的な知識や部分的には法的な知識、そして職業生活、社会生活、文化生活への参加に関する問題がまた対象となる。最終的には、医療援護サービスや全体としての医療の構造や方法に対する影響も重要になる。このとき、そうした干渉は、たしかにしばしば不満と抵抗によって推進されていくが、そのほかに、われわれの健康システムの質と人間らしさを高めたいという欲求によっても推進されていく。
 セルフヘルプによる修正、もっとうまくいえば、影響は、以下の3つのレベルに認めることができる。1つめは、当事者と彼らの病気・運命・今後の生き方(病気に対する洞察、病気に対する対応、ストレスに対する対処(Coping)など)との関係に対するもの、2つめは、当事者とそれぞれの治療者との関係に対するもの(「医者−患者関係」「一人前の患者」など)、3つめは、援護を受ける側と援護システム全体のあいだの関係に対するもの(参加、患者の権利、質の確保など)である。
 われわれの健康制度に対するセルフヘルプの「修正」機能についても、そこに過大な期待をかけてはいけない(前述の、がっしりした「柱」なのか、あるいは細い「マッチ棒」なのか)。しょせん、セルフヘルプは、小舟(Nussschale)として、もっと正確にいえば、非常に多くの多種多様な小舟として、タンカーの船団とならんで帆走している。その小舟が、船団全体の行き先に影響を与えることはほとんどないだろう。ただし、過去数年間、数十年間のなかで、さまざまな横のつながり、しばしばインフォーマルなそれが、生まれてきた。タンカーに乗っている少なくない数の航海士は、一部自分自身あるいは家族が慢性疾患になったり、障害をもったり、そのようにして彼らが(少なくとも部分的に)役割や見方を変えなければならなくなったりすることで、個人的にセルフヘルプを知り、尊重するようになった。人が、セルフヘルパーとして突然、専門の医療スタッフ、専門の疾病金庫職員あるいは専門の政治家と意思疎通できるようになる場合、その背後には、障害をもった子ども、ガンになった妻、痴呆の父親、うつ状態の隣人あるいは職場でのアルコール依存の同僚がしばしば潜んでいる。しかし、そうした直接的な当事者性とはまったく別に、タンカーの上には、社会的、人道的に動機づけられた多くの人びとも、また存在する。彼らは、自分の患者の利益のために頻繁に参加したり、感情移入的に患者の運命にかかわったり、病気克服の可能性や障害者の生活の質に気を配ったりする。彼らは、患者のニーズを聞く耳をもち、集合的セルフヘルプの潜在性に対する目をもっている。そして、彼らのうちの何人かは、すでに長い間、セルフヘルプの提唱者、セルフヘルプの支援者として個人的に積極的になったり、グループをともに作ったり、講師としていっしょに活動したり、あるいは諮問委員会のなかでともに活動したり、彼らの制度の扉を開けたり、グループに新しいメンバーを紹介したりしている。
 このとき、支配的な状況に対する不満は、タンカー乗組員自身にとって、重要な役割を演じる。医療において支配的な言葉の不足、急速な治療技術の進展、官僚主義の増大に対しては、多くの医療従事者自らが、悩み、批判している。診察時間における数分の接触(!)、往診における数分の接触に対しては、多くの患者だけでなく、医者も不満をもっているのだ。こうした(自己)批判的なタンカー乗組員、なかでもとくに先駆的な、もしくは他と違う考えをもつ人びとは、セルフヘルプを、全体システムそして「自らの管轄領域」のなかに変革をもたらす潜在的なパートナーとして(多くの場合、2人だけの個人的なコミュニケーションのもとで)歓迎する。ときおり、セルフヘルプは健康制度をひっくり返すことができる、という大げさな理想化がなされたりするが、もっと控えめに言うならば、セルフヘルプは、専門職の医療従事者や法定疾病金庫、さらには政治までもが明らかに成しえないことを、時間をかけて変えていくことができる。
 しかしながら、ときどきセルフヘルプに対しては、とんでもない提案がなされる。セルフヘルプは、他人のために火中から炭を拾わないといけない、援護の隙間を埋めなければならない、緊急に必要な専門職サービスを代わりにおこなわなければならない、あるいは他の関係者のロビー的な願いを支援しなければならない、といわれる。もし、つぎのような状況が生じるならば、それは正しいことではなかろう。たとえば、セルフヘルプが疾病金庫によってマーケティング的な考慮から促進される、診療所がスポンサー資金を得るために「自分のセルフヘルプグループをつかまえてはなさない」、製薬会社が自らの製品の「最終消費者」に対して広告をおこなうためにセルフヘルプの資金的な弱さを利用する、医者の団体がセルフヘルプグループやセルフヘルプオーガニゼーションを職業政策的な目標のために路上に送り出す、医療器具生産者がセルフヘルプを販路として利用する、政治と行政がセルフヘルプを心理社会的、医療的な援護の「安上がりな提供者」(billigen Jakob)として活動させようとする、病院がベッド数割当問題をセルフヘルプグループを招待することで解決しようとする、といった状況である。これらすべてのことが、すでに生じているということを聞きもするが、もしかすると個々のケースにおいては懸念にすぎないかもしれない。おかしい動きや徐々に骨抜きにしようとする試みに対しては、すべての善意ある人が注意を払っておく必要がある。とりわけセルフヘルプは自らが、まさに自らの利益のために、そうする必要があるのである。しかし、こうした個々のケースを見て、セルフヘルプに対して誤って十把一からげに疑いをもったりしてはいけない。
 期待のもてる展望を開くのは、異なる船のあいだで、機会あるごとにおこなわれる人事の異動である。個々のセルフヘルパーあるいはセルフヘルプの真の支持者が、大きな船に採用される。そればかりか、少ないケースではあるが、〔見張りや指揮のための〕ブリッジに採用されたりする。もっとも、だからといって、すぐに〔船の行く手を決める〕舵をまかせられるというわけではない。「セルフヘルプ思想」は、船団を構成する多くの船に染み込んでいくが、それは、人びとの頭のなかに非常にゆっくりと、そして部分的なかたちで染み込んでいくのである。
もちろん、タンカーあるいはその船長たちも、航路に関して考えが一致しているわけではない。多くの場合、資源をめぐる(部分的にはコンセプトをめぐる)激しい競争が、たとえば医者、法定疾病金庫、政治のあいだで(それぞれの内部でも)支配的になる。そして、健康制度という水域では、他の多くの船、たとえば製薬産業や医療器具産業という空母、民間疾病金庫という高速船、オルターナティブな健康生活1)という飛行船、心理学的・医療的な心理療法士や精神身体医学従事者という潜水艦、介護という補給船、治療援助職2)という巡洋艦の艦隊なども、航行している。そうこうするうちに、セルフヘルプの支持者が各船内のいたるところで実際に生まれるが、しかしそれらはばらばらで、組織されておらず、有効な修正要素となりうるには程遠い。政治という定期船は、どこかで荒波にもまれたり、しばしば濃い霧のなかに消えたり、滅茶苦茶なシグナルを発したり、ときには航路を変えたり、非常に力の弱いモーターを装備していたり、タンカーによって頻繁に行く手を遮られたりしている。誰かがせめて「中速前進」という号令でもかければよいと思うのだが。政治にとって最も重要なことは、船団の内部で深刻な衝突を避けるということであり、流れに逆らわないことなのだ。
 船団のなかのいたるところで、かなり前から、大きな尊敬の念とともに、セルフヘルプという小舟が語られ、しばしば公式の機会や表明でそれがなされる。その小舟に乗っている人は、彼らの努力、つまりすべての人が病気であったり、障害をもっていたりするにもかかわらず、非常に根気強く、ほぼ無償でおこなっている彼らの努力をたたえられる。しかし、小舟と大きな船との真からの出会い〔真からのコミュニケーション〕はわずかにとどまり、大きな船の船長は、しぶしぶ、小舟に航海図を見せたり、自らの燃料を少し分けるにすぎない。船長たちがそのようにするのは、セルフヘルプという小舟がまた、オールや帆ではなく、より強力なモーターで動くようにするためである。このとき「にもかかわらず、あなたがたは、自らで自らを助けよう〔セルフヘルプをしよう〕としていらっしゃるんですよね」という言葉が、皮肉をこめて、あるいは表面的な気づかいのもとに発せられる。しかし、今後の航路について一緒に話し合うために、甲板に来るよう真面目に招待されることは、決してない。航路について相談するにあたって、すべての小舟は、明らかに役に立つだろう。というのも、そうした人びとは、移り変わる潮の流れや危険な暗礁を、彼ら独自の視野(「それにより近い」)にもとづいて、どんな場合でも、高いブリッジにおける「上の方での」視野とは異なる形で、つまり目は政治的な機会や実現可能性というレーダースクリーンに固定され、耳には絶えず会計係のうるさい警告音が入るという状況での視野とは異なる形で知ることができるし、そればかりか、もしかすると多くのケースでより良く、より早く知ることができるからである。セルフヘルプの側でも、ハイテク装備の恩恵や、海員養成所での船長、高級船員、水先案内人の長期間にわたる専門教育を、放棄すべきだと考える人は誰もいない。しかしながら、すでに述べたように、さまざまな経験や見方の交換は、進退きわまった荒れた海で、今後の航路の決定を容易にすることにつながるであろう。

 訳者注
 1)ここでいうオールタナティブな健康生活とは、既成の医療システム(学校医学)の外で広く普及している流れのことであり、具体的には鍼術、同種療法(例:熱が出たら熱を上げるような薬を投与して回復を早めさせる療法。 http://www.amanami.com/saimin/holi.html)、薬草学などにもとづく生活を指す(マツァット氏からの2002年8月30日付けメール)。
2)治療援助職(Heil-Hilfs-Berufe)とは、看護婦(士)、マッサージ師などのことである(マツァット氏からの2002年8月30日付けメール)。


4 これから向かうべき方向

1)われわれの健康制度の「第4の柱」を安定させるということは、司令部が、かなり前に決定をおこない、2000年1月1日からの法律(社会法典第5編20条4項)と2001年7月1日からの法律(社会法典第9編29条)によって船団に知らされた、社会的合意のように見える。この合意に対する公の反乱はどこにも見られなかったが、しばしばいいかげんな実施や、ときにボイコット的な拒否や遅れが見られ、そして、この合意に即して具体的に何をしなければいけないのかということに関する数多くの専門的な不安定さがあちらこちらで観察された。それは、まったくもって無理からぬことである。というのも、セルフヘルプ促進は、ほぼすべての船員にとって、完全に新しい、未知なるものであり、訓練や研修では習わないし、かりにそれを促進したとしても上司からは明らかに少ない評価しか受けないものだからである。つまり動機づけや協力を生み出すような前提がないのである。司令部(はっきりいえば立法者)は、急いで、この義務的課題(たとえ、その課題が気に入らず、簡単に解決できないとしても)が、適切に実現されるように配慮しなければならない。支援体制(とりわけ地域のセルフヘルプ支援センター、連邦規模のセルフヘルプオーガニゼーション)を維持し、強化するための包括的な補助金は、その場合、無条件に優先される。つまり、セルフヘルプ(ここでは〔支援センターやオーガニゼーションの活動に従事する〕専門職を意味する)は、少ない資金を有効に利用する決定の自由を、自らもたなければならないのだ。セルフヘルプ専門員との相談を、保険システムの責任者は、彼らの(あるいは被保険者の)利益のために、以前にもまして強く求めなければならないであろう。数年来、セルフヘルプという小舟に乗っている専門家は、切なる思いで、対話に本気で招待されることを待ち続けている。
 2)しかしながら、セルフヘルプの強化は、公的保険システムの課題だけではありえず、社会全体のそれでもある。公共当局、とりわけ州や自治体、ある程度は連邦も、この点について、自らより一層努力しなければならないのであり、セルフヘルプの強化が法定疾病金庫と他のリハビリテーションの担い手1)に対して義務化づけられたと指摘することで、自分自身の責任を逃れないようにしなければならない。市民、ここでは病気や障害をもった市民の集合的セルフヘルプは、現代の健康政策・社会政策の重要な要素であり、国家による生存権保障を民主的な共同組織のなかでおこなうという緊急の要請、援助や仲間や連帯性という文化に対する大切な貢献、人びとの結びつきの喪失や孤独や孤立の増加に対抗する「社会的な接着剤」である。これらをすべて「金庫」(だけ)に背負わせるわけにはいかない!
 3)現在おこなわれている「gesundheitsziele.de」2)の議論において、セルフヘルプは、以下の2つの意味で考慮されなければならない。1つに、病気ごと、住民グループごとの特殊な目標のそれぞれに対するセルフヘルプの貢献(横断的な側面)は、最初からともに考慮されなければならない。もう1つに、個人のセルフヘルプ、そしてとりわけ集合的セルフヘルプの強化−この場合に対象となるのは、そのための体制、施設、主要部分の創出・維持であり、参加と共同発言であるので−は、独自の健康目標に指定されなければならないだろう。
 4)セルフヘルプが「修正要素」として望ましい場合、すなわち批判者として、改善者として、反対者や「釣り合いをとる者」として望ましい場合には、それらを参加させる必要がある。連邦医者・疾病金庫委員会から地域の病院の治療問題に対する臨床的な倫理委員会にいたるまで、また地域の健康会議や円卓会議から調停所や苦情処理機関にいたるまで、健康制度のすべての委員会のなかで、どのような問題に対して、どういった形で、患者の視点や経験的知識をともに取り入れることができるかが検討されねばならない。そして、こうした検討の結果については、報告がなされなければならない。
 いろんな事情から判断して、セルフヘルプグループやセルフヘルプオーガニゼーションの代表は、こうした委員会で、通常、きわめて実現可能性の高い解決策を提示している。ここでは個人の適性が、フォーマルな正当性よりも優先される。むろん、しばしば提起される適切な選択基準や任用基準に関する問題は、真剣に取り扱われなければならない。しかしながら、いまだ解決を見ていない正当性問題の指摘が議論のなかに持ち込まれるのは、ほとんどの場合、患者参加をまったく望まない人びとによる、その「抹殺の論拠」として、である。実際の患者参加に取り組む前に、連邦患者協会の設立を待つ必要はない。ちなみに、この問題に関して、フランケ教授とハート教授は、彼らの「健康制度における参加」に関する報告(Hart/Franke(2001))のなかで、すでに興味ある提案を展開している。
 5)しかしながら、セルフヘルプは、われわれの健康制度におけるシステムレベルでの主要な要素であり、修正をおこなう要素であるにとどまらない。それは、医者や心理療法士やソーシャルワーカーや介護職などの直接的な臨床活動にも、言い換えれば病気や障害を抱える人びとが、治療、リハビリ、コンサルタント、介護業務に従事している人びとと出会う場面ともかかわりをもつし、今後もまたそうであり続けるだろう。患者も、まさにセルフヘルプグループ、セルフヘルプオーガニゼーション、セルフヘルプ支援センターの活動を通して、より多くの能力を得たり、治療プロセスにおける協力や共同責任の引き受け(「健康の共同生産」)に、これまで以上に強く動機づけられたり、よりよく対応できるようになったりする。このような多くの情報を得て「一人前となった」患者との頻繁な接触は、少ない数の治療者にとっては、うれしい動きなのであるが、多くの治療者は、その頻繁な接触に、とことん慣れなければならない。セルフヘルプグループに関する知識、グループに対するプラスの態度の広がりは、それゆえ、すべての医療・社会福祉職の訓練・研修・継続教育のカリキュラムのなかに、確かな形で定着されなければならない。そうなったとすれば、たとえばセルフヘルプ支援センターのなかでセルフヘルプを提唱、支援、助言する専門家のほかに、他のすべての援助職において、そのための一般的な能力が高まるにちがいない。
 6)健康は、すべてのアンケートで、人びとの大事なものの第1位にくる。健康の維持や回復ならびにわれわれの健康制度のなかへの病人や障害者の統合は、真からわが身で感じるきわめて個人的な事柄であると同時に、社会全体にとっての公的な課題、国の目標、人間の権利でもある。これらの、非常に離れているが、それでも相互に密接に関係する2つのレベルで、セルフヘルプはきわめて重要かつ独自の貢献をすることができる。
 「あなただけにしかできないが、あなた1人ではできない」、これはアルコホーリックス・アノニマスの1つのモットーである。この意味で、セルフヘルプは、他のすべての参加者との対話のなかで、ともに意見を述べ、意見を聞く用意がある。この「第4の柱」を確かな形で促進し、安定させ、強化していくことをしなければ、われわれの健康制度は今後も不安定なままであろう(「第4のものがあると、状態は良くなる」)。そして修正要素がなければ、進路は容易に誤った方向へと進むであろう


 訳者注
 1)社会法典第9編6条にその規定があり、リハビリテーションの担い手として、それぞれ具体的な法律条項による限定のもとに、法定疾病金庫、連邦雇用庁、法定労災保険の保険者、戦争犠牲者援護の担い手、公的青少年扶助の担い手、社会扶助の担い手などが挙げられている。
 2) 多くの医療政策関係者を集め、彼らが話し合って同意した健康目標を政治に提言するためのプログラム(http://www.gesundheitsziele.de/)。


 筆者紹介
ユルゲン・マツァット。心理学修士(Diplom)、心理療法士。彼は、ギーセン大学精神身体医学・心理療法病院にあるDAG SHG e.V. セルフヘルプグループ支援センターの長をつとめている(http://www. med.uni-giessen.de/psychosomatik/matzathp.htm)。


文献
Antonovsky, Aaron 1997: Salutogenese. Zur Entmystifizierung der Gesundheit. Tubingen: DGVT-Verlag.
Braun, Joachim/ Kettler, Ulrich/ Becker, Ingo 1997: Selbsthilfe und Selbst- hilfeunterstutzung in der Bundesrepublik Deutschland. Stuttgart: Kohlhammer.
Deutsche Arbeitsgemeinschaft Selbsthilfegruppen 2001: Selbsthilfekontaktstellen. Empfehlungen der DAG SHG e.V. zu Ausstattung. Aufgabenbereich und Arbeitsinstrumenten. Giesen: Eigenverlag.
Franke, Robert/ Hart, Dieter 2001: Burgerbeteiligung im Gesundheitswesen. Baden-Baden: Nomos.
Matzat, Jurgen 2002: Burgerschaftliches Engagement im Gesundheitswesen−unter besonderer Berucksichtigung der Patienten-Selbsthilfebewegung. Gutachten fur die Enquete-Kommission des Bundestags zur ?Zukunft des burgerschaftlichen Engagements". In: Enquete-Kommission ?Zukunft des Burgerschaftlichen Engagements"/ Deutscher Bundestag(Hg.): Burgerschaftliches Engagement und Sozialstaat. Opladen: Leske + Budrich(im Erscheinen).
Moeller, Michael Lukas 1992: Anders helfen. Selbsthilfegruppen und Fachleute arbeiten zusammen. Frankfurt/M.: Fischer.
Moeller, Michael Lukas 1996: Selbsthilfegruppen. Selbstbehandlung und Selbsterkenntnis in eigenverantwortlichen Kleingruppen. Reinbek: Rowohlt.
Spitzenverbande der Krankenkassen 2000: Gemeinsame und einheitliche Grundsatze der Spitzenverbande der Krankenkassen zur Forderung der Selbsthilfe gemas §20,4, SGB X. In: Selbsthilfegruppenjahrbuch 2000, S.168-176.
Giesen: Deutsche Arbeitsgemeinschaft Selbsthilfegruppen, Eigenverlag.
Trojan, Alf(Hg.) 1986: Wissen ist Macht. Frankfurt/M.: Fischer.


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