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●新着情報
欠陥住宅を正す会の窓
 
昭和53年以来24年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている
欠陥住宅を正す会  
では、このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。
   
  −正す会の窓・・・その9(論説)−
   
  欠陥住宅を正す会発会25年を記念して、平成15年12月6日(土)名古屋市の愛知県産業貿易館で「消費者のための欠陥住宅問題 講演とシンポジュウムと無料相談の集い」を開催いたしました。そこで行われた講演や体験報告などの速記録を取りまとめ、皆様方のご参考になると思われるものを逐次掲載いたしたいと存じます。 今回はその9の1として当日冒頭に行われた当会代表幹事澤田和也(弁護士)の「欠陥住宅にあたったら ――― 被害体験と対策活動の40年から得たレシピ――― 」 を掲載いたします。
   
 

目             次

1. 当会の生まれた経緯(いきさつ)と欠陥住宅の生まれた背景

2. 正す会は欠陥住宅紛争の個別契約性と専門技術性に着目した活動を25年に亘り展開

3. いま住宅の注文者を消費者としてとらえることの意味

4. 裁判所に業者サイドの判決を出させてきた原因
 
5. 欠陥住宅を生み出していた原因

6. なぜ欠陥住宅をつかみ、なせ被害回復がおくれたのか

7.
 欠陥判断の基準

8. 欠陥被害回復のための建築士や弁護士のえらび方

9. 住宅注文の一回性と欠陥住宅の精神被害性

10.結びのことば

 
欠陥住宅に出会ったら ――被害体験と対策活動の40年から得たレシピ――
代表幹事 澤田 和也(弁護士・体験者)



1 、当会の生まれた経緯(いきさつ(・・・・))と欠陥住宅の生まれた背景 ――― 住宅の生産システムの変遷が手抜き欠陥を生んだ―――

 
ただいまご紹介に預かりました正す会の代表幹事をさせていただいておる澤田でございます。

 きょうは、土曜日の早朝からお集まりいただいて、ありがとうございます。我々は今まで、この名古屋においては欠陥住宅問題に関するキュンペイーンを余りしてまいりませんでしたが、きょうの機会にぜひ名古屋にも我々の拠点ができればと思っております。ただ、私は長い間東西を行き来しておりますが、名古屋というところはこれほどの大都会でありながら、欠陥住宅問題に割合冷淡といいますか、被害者の組織が少ないように見受けられます。もちろん設計者の会とか日弁連の外郭団体の被害対策ネットなどはございますが、それらはいずれも専門家を主体とする団体でございます。しかし、我々は消費者を出発点としておりますので、消費者サイド性は私どもの団体が最も濃厚であろうと思っております。

 さて、当会は、昭和53年に「住宅のクレームに悩む消費者の会」として出発し、昭和54年4月に三笠書房から出した「欠陥住宅体験集」では大変な反響をいただきました。欠陥住宅というと皆さんは平成7年の阪神大震災以後のように思っておられるかもしれませんが、今我々の言う商品としての住宅の欠陥、つまり売り手の手抜き、生産者の手抜きが始まったのは、住宅の生産システムが変わった昭和40年ごろからであります。それまでは、消費者と同じ地域社会の中で信頼関係を持つ大工、棟梁が直接住宅をつくっていたのが、池田内閣の高度成長政策で皆に住宅を持たせるための国による住宅金融が行われたことをきっかけに、その国家資金を当て込んで住宅会社というものが出現したことに端を発します。それまで住まいつくりの中心であった大工、棟梁、それらの組織化された工務店、建設会社という形態のほかに、新たに住宅会社が登場してきたのですが、これは割り切った言い方をすると、技術からではなく販売又は集客から出発した会社と言っても過言でありません。事実、当時の住宅会社に技術要員はほとんどおらず、セールスマンと若い建築士を技術要員として雇用している程度でした。そして既往の他産業での知名度を生かして、例えば「ナショナル住宅」という会社がありますが、本来は電気製品の会社であるナショナルのブランドイメージを生かして、「ナショナルだから家も大丈夫」と消費者に思わせて、自らメーカーと称して恰も直接施工するかのように装いながら、自らは直接施工はせずただ目抜きの場所に営業所を構え、ブランドを活かして専ら集客に専念し、設計はするものの施工は各地域の工務店に一括下請に出すという謂わば住宅商社とでもいうべき実態でした。その名残りはは残念ながら現在もなお続いておりますが、技術本意で出発した建設会社や工務店と利益追究から出発した住宅会社とでは、技術を重んじるか利潤追求を第一にするかという会社そのものの姿勢の違いがあると思っております。

 そして、今日で云う欠陥住宅、特に手抜き欠陥が顕著となってきたのが昭和40年代でございました。ちょうどネーダー氏が欠陥車の問題を取り上げ、日本でも安倍弁護士がユーザーズユニオンをつくったころで、そのアナロジーもあったのか、プレハブ住宅をよくする会やマンション問題を考える会(後に「マンション問題で行動する会」に改名)などもこの時期に生まれました。そして、その流れを受けて、戸建て住宅の被害者を主体とした私どもの正す会が大阪で生まれたわけでございますが、その出発点は、手抜き欠陥の現状に対して社会や国家が余りにも冷淡である、しかしわいわい騒いでいるだけでは欠陥住宅問題は終わらないという被害者の思いでありました。
 
2、正す会は欠陥住宅紛争の個別契約性と専門技術性に着目した活動を25年に亘り展開。

――― 欠陥住宅紛争は一つ一つ違って、集団的には解決できず、専門技術性が高くて解決には専門知識(頭脳)がいる。 正す会は消費者の要望にそう専門家団を育成し消費者サイドの判決獲得に力を尽くしてきた。――― 

  ところで、マンションやプレハブに関する会が当会に先行して立ち上がったのにはわけがあります。それは、マンションやプレハブの住民には共通項があるから集団の圧力で業者を糾弾できるだろうという考えからだったのですが、実際に行動してみるとマンションもプレハブもそうはいかないということがだんだんわかってきました。というのは、プレハブといえども住宅というのは個性のある土地に立脚しているもので、一つ一つの契約内容が違うものだからであります。世の中の多くの方は、雑誌に載っている建物の写真を見て、「このメーカーの建物が好きだ」と言われますが、それはスタイリングの好みを言っているにすぎないのであります。一つ一つの建物は違う土地に建ち、プレハブといえども、個性のある土地にさまざまな客の要求に合わせて建てられますので、契約内容は一つづつ違って結論的には、住宅の紛争解決では住宅の契約の個別性に着眼する、つまり本来的には業者と消費者が1対1でなければ解決しないという特徴があります。

  又、消費者と業者とでは商品である住宅についての専門的知識(情報量)に雲泥の差があります。又、通常の民事事件とは違って普通の弁護士では契約の解釈―― つまり設計図書の理解力がなく、この種の訴訟はお手上げというところがあります。だから当初当会をつった被害者は「裁判をすれば時間と金がかかるだけだ」と嘆いたものでした。 しかしこれでは業者との紛争は解決しない、消費者サイドに立つ専門家(建築士と弁護士)を自ら養成しようとして、消費者の痛みを自己の痛みとしてとらえ、専門家団(建築士と弁護士)をつくり、これを育成してきたのであります。

  多くの消費者団体の中で、当会のように業者と互角に戦うために必要な専門家を育成し、この専門家がたえず消費者と討議して消費者の痛みを自己の痛みとして捉える努力をしている団体はまずみあたらないと思います。

 特に欠陥住宅問題は法律と技術(建築)にまたがる学際分野で、発会当時満足な著書すらなかったこの分野に、当会は新しい分野を開拓し、のたに述べる最高裁に消費者サイド判決を出させる一助になつたことは、当会の誇りとするところであります。
 
3、住宅の注文者を消費者として捉える意味

―――最高裁判例いま欠陥住宅紛争は、消費者サイドに立つ新転機を迎えている―――

  この「消費者」という言葉もそのころから用いられたたもので、我々の会の前身は「住宅のクレームに悩む消費者の会」と申しておりました。消費者と注文者はどう違うかと申しますと、民法では、注文者と請負人の関係について、むしろ請負人を弱者としてとらえ、少々欠陥があっても対処し得ない場合は瑕疵の修補はしなくてもよいとか、一たん建物ができ上れば契約の解除はできないなどの請負人保護の規定をしています。 その理由は、今でも生きている民法が103年前の明治32年にできた法律だからであります。借地借家や労働といった他の分野に関してはそれぞれ特別法が生まれ、実質的な不平等を是正して弱い方にハンディを持たせていますが、住宅に関してはそれが全くないのであります。今もそういう意味では積極的に消費者を保護するという特別法がありませんので、我々は解釈努力で消費者サイドに立つ道を今日まで歩んできたのでありますが、その結果、去年からことしにかけて日本の法曹界において欠陥住宅の問題に関する大きな転換期を迎えました。 それは、取り壊し建てかえしなければならないような手抜きがあった場合には、取り壊し建てかえ相当代金が賠償として認められるという最高裁判決が出されたということであります。そんな説は認められないというのがこれまでの大多数の法律家たちの考え方でありましたが、当会が30年来その争点を目標に下級審から判決をとり続けてきた結果が、去年最高裁判決にあらわれたのであります。

 また、今年に入っては、約束よりも細い鉄骨の断面を使った場合、計算上その安全性が確保されるとしても、鉄骨の構造は契約の要素なので欠陥であるということも認められました。これは極めて当たり前の明快な話なんですが、これについてもこれまでは「手抜きをしていても欠陥ではない」という主張が認められていたのであります。仮に細い鉄骨ででも安全性は確保されるときでも、最高裁は、約束した太さの鉄骨を使いなさいという判断を示したのであります。当たり前といえば極めて当たり前の話で、まさに世間の常識が法律界の非常識だったのでありますが、異端の少数説と言われながらも私が自説を信じてこの40年間やってまいりましたのは、私の言っていることが庶民レベルでは当たり前のことだと信じてきたからであります。
 
4、裁判所に業者サイドの判決を出させてきた原因

――― 建設業界と政治の結びつきの強さからくる法制改革の阻止、 裁判官の横並び意識の強さからくる先例踏襲の強さ―――   

 このように一見非常識と思われる説がとられてきたのには幾つかの原因があります。その1つは、日本の建設業界が政治と強い結びつきを持っていることであります。日本の予算の大部分が土木建設分野に流れているという現状が社会のさまざまな力関係に反映し、消費者サイドの法制改革の動きをとめてきたのであります。あるいは、一般に通常 裁判官の独立性が言われていますが、裁判官にもやはり先例に従属の原則が働いていたという理由もあります。一人一人の裁判官は確かに立派な方が多いのですが、いざ判決を出すとなると、やはり世間のことを気にして自分の正しいと思うことがなかなか言えない、他に判例がないとできないという横並びの考え方があるということであります。個人的には私の主張に賛同の意を示してくださる裁判官も、いざ判決を書くときは保守的なものになる、それは裁判官自身に「革新的な判決を書くと出世ラインから浮き上がるのではないか」という気持ちがあったからではないかと推察しています。
5、欠陥住宅を生み出していた一つの原因。

――― 建設業者に設計施工を認めたことから、建築士の工事監理が働かなくなっている。 名義貸しを正した今回の最高裁判決―――

  設計施工を業者に認めてきた、そのため本来三者的であるべき建築士の工事監理が適正に行われなくなってきた、ことが欠陥住宅を生み出した一つの大きな原因です。

その結果、建築士は工事監理者に名だけ貸して形式的に確認手続をパスさせるということが、常態化してきたのです。その結果、現在では建築士自身が「名前を貸しただけだ」と平然と言うようなありさまであります。 「名前を貸すということは手形の裏書きをしたのと同じことではないか。あなたが見る見ないは勝手だけれども、建物に欠陥があれば、工事監理者として署名捺印した以上、自分が責任を負うという意味ではないか」と私は言ってきたのですが、政治的に強い影響力を持つ建設業界を背景に建築士は平然とそれに対する反論を言い、また業界ではそれが常識だとされてきたのであります。そして、裁判官の多くもそういった抗弁を受け入れてきたのですが、今回、名前を貸した以上、着工までに実際に工事監理する者を注文主に選ばせない限りは責任を負えという最高裁の判断が下されました。このように、今や日本の欠陥住宅の闘い、特に根本となる法律上の救済に関して大転換が遂げられつつあり、少しオーバーかもしれませんが、「歴史の流れが変わった」と言えると私は思っています。ですから、ここにおられる被害者の方も、裁判をすれば金も時間もかかると言われますが、それは今までの法律制度の不備と、この後に申し上げる弁護士や建築士の選び方、建築業者や建築しの在り方に原因があったからで、希望を持って終わりまで頑張ってほしいと思います。
  6、なぜ欠陥住宅をつかみ、なぜ被害回復が遅れたのか。

――― そして今欠陥住宅を正す会のお世話をしている理由、設計と施工を同一人に頼むことの誤り。建築士に欠陥原因を調べてもらわなかったあやまり―――

次に、どうして私がこういう会をお世話しているかという点についてお話ししたいと思います。これはレジュメにも書きましたが、私自身が欠陥住宅の体験者だからであります。私が体験したのは昭和40年の高度成長期で、まさに欠陥住宅の揺籃期でありました。知り合いの建築士に設計も施工も頼んだことが間違いの始まりで、鉄骨3階建ての建物の構造柱に1.6ミリという軽量鉄骨を使用し、しかも基礎のつなぎ梁を手抜きされた建物でありました。今の私ならば怖くてそんな家では寝られませんが、その当時は知らぬが仏でありました。幾ら修理しても雨漏りが直らなかったのですが、このような根本的な手抜きをするような建築士に頼んだ建物でしたから、雨仕舞いができていなかったのも当然だつたかもしれません。窓周りの納め、サッシュの下端の水切りやコーキングが全くないことに加え、やはり揺れやすかったことが防水層の破断を招いたのではないかと想像しています。それから、不同沈下もありました。

また、弁護士なのにこんな目に遭っているということを人に相談するのが恥ずかしいという思いがあったことも私の大きな間違いでした。今であれば、たとえ弁護士でも建築には素人なのだから手抜きされてもおかしくないと言えますが、そんな思いがあってほかの弁護士にも相談できなかったのであります。

さらに、「設計も施工も建築士に頼めば立派な建物ができる」という建築士の言葉を信じたことも大きな誤りでした。 どういう建物を建てようかという計画が「設計」で、その設計に基づいて実際につくるのが「施工」ですから、設計は立法に当たり、施工は行政に当たると言いかえることができます。そして、「工事監理」は、仕上がりが図面に合っているかをチェックすることで、合っていなければ施工者に注意を与え、それでも改善されなければ施主に報告という役目を担っているのですが、その三権を1人の建築士に頼んだということは、いわば独裁者をつくったようなもので、私はまさに最悪のコースを選んだのであります。
 
一方、建築士自体が施工業者に従属しやすい状況に置かれているという制度的な問題もあります。法律上、建築士は会社に雇用されることができる上に、みずからが建築事務所と建設業者を併営することができます。日本の大多数の庶民住宅は、設計施工と云われる設計も施工も工事監理も同じところが行っています。その中で、建築士は業者に雇われていますので、自分で描いた絵を自分で見てOKといっているのであります。それでも適正に行われればよいのですが、手抜きのある時にお客さんに対して「うちの親方は手抜きしています」と告げることが困難であることは想像に難くありません。つまり、私の場合、悪いものができて当たり前の条件を、無知のためにみずからつくってしまったということであります。弁護士が無知だというのは本当にお恥ずかしいことなのですが、これは私に限らず、今の大多数の弁護士も建築関係法令を知らず、にもかかわらず欠陥住宅の事案を扱っているがために、被害者からの不満の声がよく聞かれるという現状をつくっているのと同様の道筋であります。

このように私は建築士自体にも不信感を持っていたために、専門家であるはずの建築士にも欠陥の相談をしませんでした。実は早期に建築士にお願いしていれば、今申し上げたような構造の手抜きがあるということはすぐわかったはずなんですが、私も意固地になって、「建築士なんかに頼むものか」ということで独学で闘うことにしたのであります。ただ、独学は偏見と誤りを生みますから、やはり初めからしかるべき方に頼むべきであったと今は思っています。長い闘いの中では、ある裁判官から「弁護士が何をしているのか、建築の訴訟なんかやめておけ」というようなことまで言われたこともありました。しかし、その裁判官も決して悪意で言われたのではなくて、言われたことはまさにその時分の常識だったのであります。建築紛争のようなだれにもわからんことをやってむだな時間を過ごすのではなく、ほかの仕事をしなさいという親切心からのアドバイスだったと思いますが、そのような中でひとり建築の勉強をしながら訴訟を十数年続けてきたのであります。
   
  7、欠陥判断の基準

――― この根本が建築基準法令に定められていることを教えてくださった早草實先生との出会い。 建築基準法令を守ることは住宅の品質性能の最低限のレベルを確保することだ――― 

その後、クレームの会ができてから、早草 実先生とお知り合いになりました。この方がまた熱血漢で、その当時、独立して設計監理だけを営む建築士さんたちの団体である設計監理協会メンバーでいらっしゃいました。その設計監理協会に頼みに行ったクレームの会のメンバーの紹介がきっかけで、私は法律の顧問をさせていただくことになったのですが、その早草先生から初めて、今現在皆さんにお勧めをしておる、欠陥判断の基準は最低限のレベルが建築基準法令に定められていることを教えられたのです。この建築基準法令というのは集団規定ばかりが認識されて、容積率がどうの、建ぺい率がどうのと、地価が高いので頼む方も頼まれる方も潜ることが利益であると思いがちです。消費者の方も後ろめたいことがありますから、建築士から「建ぺい率が違反していますから確認検査は受けません」と言われるとすぐ納得してしまいますが、早草先生は単体規定に着目されていたのです。これを伺って私は目から鱗が落ちた気持ちがしたものですが、建築基準関係法令というのは、環境規制の集団規定はもちろんのこと、単体規定では建物の最低限の品質内容をも決めている法律であります。構造基準、敷地の基準、設備の基準、耐火の基準といった建築基準法に定める性能項目は公益、つまり他者に関するものが多いですが、それを守っていなければ法律上は建物ではないと書いているのであります。「財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律でこれを定める」という憲法29条2項を受けて、建築基準法1条にも、建築基準法に定めるいろんな技術基準は最低限のものだと書いてあります。「最低限の」という意味はおわかり願えると思いますが、その基準から上は自由につくっていいけれども、そこから下はつくってはいけない、それは法律上は家として扱わないということを意味しています。このように早草先生から鉄骨の断面の手抜き、基礎の手抜きを教えていただいて、昭和57年、何と16年もかかってめでたく勝訴を得ました。この16年間が私の欠陥住宅の独習期間となりさまざまな勉強をしたのですが、欠陥住宅には初めから遭わないことが一番の幸せだということは当たり前のことであります。しかし、万が一欠陥に出会ってしまったときは、日本の訴訟システムからすれば、やはり弁護士に頼まれる方が後の手続はやりやすいということは言えます。
   
8、欠陥被害回復のための建築士や弁護士の選び方

―――示談に固執するのは避ける。まず三者性の高い建築士に欠陥が生じる原因を調べてもらう。欠陥住宅紛争の解決歴を持ちもその為にお互いにペアーになって協力し研究しあっている建築しや弁護士に頼む。これを専門にしている建築士や弁護士は極めて少ない。選択を誤ると二次、三次の被害が発生する。―――   

  それから、皆さんはまず業者に補修を期待されると思います。業者の方も「します、今度します」と親切に返事をしますが、業者の言う「今度します」というのは「未来永劫にしません」という意味に通じます。「いつするのか」を明確に言わせない限り、らちはあきません。業者のしゃべる日本語と我々のしゃべる日本語は意味内容が違うのだという認識から出発しないと、それがまた腹立ちの原因になります。ですから、「補修します」と言って3カ月も来なかったら、相手にはその気がないと見て、相当な手続をされることをお勧めします。その際にはやはり専門家に頼まれるのがベターですが、ではどういう弁護士とどういう建築士に頼むべきかが重要になります。これに関して言うと、まず建築士については、業者に関係しているかどうかをまず聞かれることです。業者に関係していると十分に調査鑑定できないだろうし、またたとえ適正な鑑定が行われても、被害者というのは疑心暗鬼になっていますから、その正しい調査鑑定をよこしまにとらえがちです。ですから、業者と関係がないかどうか、業者に勤めていない方かどうかを聞かれて、さらにどのような設計事務を多くしているかということと今迄の欠陥調査鑑定歴を確かめることが必要です。

これは弁護士に関しても同様で、「あなたは欠陥住宅の紛争をなさいましたか」と聞くことが大切です。 「したことがある」という答えは余り返ってこないでしょう。「1件か2件は経験している」という返事をされるかもしれませんが、欠陥住宅紛争は1件や2件ぐらいやったところで、そのノウハウや技術を体得できるものではありません。また人柄も重要で、たとえ初めてでも、本で勉強しながらでも力になりますというような熱心な人ならば頼む価値はあるでしょう。そうでもない、普通のいいかげんな弁護士に頼まれるぐらいなら、やめられる方が無難だと私ははっきり申し上げております。何でも例外はあることですから個人的な決めつけはできませんが、皆さんのお立場に立てば、そう言うべきだと考えております。

それから、「建築の技術クレームだから、建築士に頼んで調べてもらいましょう」と言ってくれる弁護士であることです。素人が訴えるのは、雨が漏る、傾いてきた、床が揺れるという所謂欠陥現象、つまり不具合事象です。目で見て体で感じることを欠陥だと素人は思いがちですし、一面ではそれも正しいのですが、業者と闘っていくには、そういう現象がよって来るところの欠陥原因、どこが手抜きされているか、材料が悪いのか、工法が悪いのか、相当な施工期間が守られているのかを突きとめることが最も必要になります。今期間と申しましたが、期間の手抜きというものもあります。例えば壁材が落ちるという欠陥現象は、中塗りをした後、十分に乾燥するだけの期間を置いていないことが原因となっている場合があります。これは工程管理がきちっとなされていないために起こる欠陥です。あるいは水切り金物と防水紙が逆になっていると雨漏りが起こりますが、それも工程管理がきっちり行われていないことが原因の一つに挙げられます。このようなさまざまなことで欠陥は起こってきますから、「その欠陥の原因を建築士さんに相談して調べてみましょう」と言う弁護士でなければやめた方がいいと思います。「それはお気の毒ですね。じゃ、着手金は幾ら」とすぐ受任の意向を告げるような弁護士ではなく、「私の長年おつき合いしている建築士さんに見てもらいましょう。そして問題が見つかったらとりかかりましょう。」という弁護士を選ぶことが、その後の闘いに大きく影響します。欠陥原因が見つからなければ法的手続の土俵にはのらないからです。

欠陥住宅紛争は弁護士と建築士で闘っていくものですから、お互いに技術の論理と法律の論理を即座に同時通訳できるような弁護士と建築士の組み合わせを持っていることが必要です。こちらが甲と言えば業者は乙と言い、乙と言えば丙と言うというように言い合いは無限に続きますが、そこにとどめを刺すのはやはり建築士さんに書いてもらう意見書です。そういうときに、建築士が法律や訴訟の駆け引きやどのような争点で闘われているのかということを理解していなければ、適切な意見書など書けないことは皆さんにもおわかりいただけることと思います。もちろん建築士さんは客観的な判断をすべきで、うそは書くべきではありませんが、争われていることにウエートを置いた書き方をしないと分厚い辞書のような意見書ができるだけで何の意味もありません。その闘いにどんぴしゃと合うものを書いていただかない限りその値打ちはないわけです。

ですから、弁護士と建築士が長年つき合っていて、考えていることが互いにわかるような間柄でなければなりません。弁護士が手抜き業者、手抜き建築士の反対尋問をするのに、一々建築士さんに意見書を書いてもらってそれを読んでからなどというわけにはいきません。咄嗟に手抜き点を論駁するには、建築士のしゃべる言葉が法律の言葉に同時通訳できなければなりません。以上のように、欠陥住宅に関しては、建築士と連携のない弁護士はまず外すべきであります。「どこかの建築士に鑑定書をもらってこい」などと言う人は全然だめです。

それから、弁護士も現場を見てから事件を受けるのが本当です。建築士の同行のもと、建築士から現場で欠陥原因を教えてもらうかもらわないかで訴訟準備の面で大きな違いが出てきます。鑑定書だけを見て訴状を書くことも確かにできますが、具体的にその建物を見て、被害者の痛みを自己の痛みとしてとらえる建築士から欠陥原因の指摘をうけてそれを会得することが、欠陥住宅訴訟追行の出発点です。

では、そういう専門家が日本にどれだけいるか。まず弁護士に関して言えば、これは誤解があればいけませんが、私は日弁連の住宅紛争解決機関検討委員会の仕事をしていますので全国の弁護士に会いますけれども、このごろは各地弁護士会の外郭団体である全国ネットという組織ができていますが、そこの人に頼まれたから安心だとは言えません。東京では10人ぐらい、大阪で10人、神戸で2〜3人、京都で5〜6人、九州で2〜3人という処でしょう。残念ながら、名古屋には欠陥住宅ができる方はふあたりません。それは今言う三拍子がそろった人のことで、専門的な知識と被害者の痛みをとらえる心を持ち合わせた人です。この心というのは大事で、被害者の痛みをとらえられる人は始めは建築に素人でも自分で勉強します。弁護士にとって大事なのは「何とかしたい」という気持ちです。 そういう人は、たとえ負けそうなものでも何とかしようと努力します。この「何とかする」というのは、法律上許されんことをするというのは論外であって、法律を最大限に活用して何とかする努力をするということで、これは建築士の場合も同じことであります。

私自身は名古屋、岐阜、岡崎、豊橋にもよく参りますが、中京地域は昔からの因習的なものなのか、弁護士仲間もまあまあ的な面があるように見受けられます。欠陥住宅訴訟のような真っ向から対立する当事者の争いには向かない方もあるように見受けます。そういう点にもご注意されて、欠陥住宅訴訟は権威とかまあまあでは解決しない、技術レベルで解決することが大事だということを覚えておいていただきたいと思います。
 
9、住宅注文の一回性と欠陥住宅の精神被害性

――― 機能回復オンリーのつぎはぎだらけの補修は許されない。被害の本質は家庭の平和を破壊されたことについての精神被害―――

最後に、当会が努力している住宅注文の一回性についてお話ししたいと思います。消費者にとって、新築の家を手に入れるチャンスはよほど余裕のある人でない限り一生に一度限りのことを理解することが必要です。しかし、今まで多くの法曹関係者は、機能さえ回復すれば欠陥は回復するのだから、たとえ図面どおりでなくても、新築の美しさがなくても辛抱しろという立場をとり、取り壊し建てかえるのが最も経済的で当たり前の方法であるのに、裁判所もなかなかそれを認めませんでした。しかし、本来的に消費者にとってはたとえ些細な欠陥があっても、取り返しのつかない大きなことと感じ、悔やむのです。確かに壊さなくても機能だけの回復なら補修はできるかもしれませんが、もしそれが基礎や骨組みの欠陥なら新築の家を建てるほどの費用がかかるわけですし、それほど重大な大規模な補修をする位なら建てかえてほしいというのが大方の消費者の希望であるのは当然だと私は考えてきました。 しかし、それを認めなかった法曹界の風潮も、冒頭に申し上げたように転換期に来ております。今とてすべての場合に取り壊し建てかえが認められるわけではありませんが、そうするのが技術的、経済的に相当なときには認められるという考え方になってきましたので、我々は今後ともそれに闘いの焦点を絞りたいと思っております。そして、欠陥住宅被害の特徴として精神被害性が高いという問題もあります。当会は、欠陥住宅は確かに財産的な被害ではあるけれども、一番大事なのは、そこに住まっている人の心を傷つけ、そこで生活している人々の心を乱し、家庭の平和を壊している点だと考えています。被害者の立場からすると、心を傷つけられた、家庭の平和を侵されたという思いが非常に強いと思います。ですから、欠陥住宅被害の本質は精神被害であると考えています。幸い私自身の訴訟でも慰謝料をいただきましたし、その後に扱った事例でも慰謝料をいただいております。当会では、この慰藉料の獲得にも焦点をおいています。
 
10 、結びのことば

――― 欠陥被害回復のためにはこの問題を研究し、解決してきている適切な専門家(建築士、弁護士)に依頼すべきである―――   

住宅注文の一回性、取り壊し建てかえが本来の罪の償い方であるということ、業者は被害者の心を傷つけたことを反省すべきであって、被害者の心をないがしろにする交渉や補修状態は私も体験者として許すことができない等々、私の考え方を縷々申し上げました。一部、問題になるようなことを言ったかもしれませんが、被害に遭われ方も、ただ単に弁護士に頼む、建築士に頼むだけではなく、だれを選ぶのか、どれを選ぶのか、もしその選択を誤ったら二次的被害が発生し被害者はますます苦しくなるということにも留意していただき選ぶということにも充分に力を尽くしていただきたいと思います。時間がまいりましたのでこれで終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
 
  澤 田 和 也 [さわだ かずや]略歴
 
 

昭和6年8月15日 大阪市南区(現中央区)心斎橋筋二丁目にて生まれる
昭和30年3月大阪市立大学文学部英文科卒業 同大学大学院文学部研究科修士課程社会学専攻を経て昭和34年3月同大学法学部卒業
昭和35年11月司法試験合格 昭和38年3月司法研修所修了
同年4月より大阪弁護士会に登録 弁護士を開業 今日に至る

専門分野
建築紛争、家事紛争
大阪住宅紛争審査会運営委員貝会副委員長
役職・委員など
大阪弁護士会消費者保護委員会委員
大阪簡易裁判所 司法委員
日本弁護士連合会住宅紛争処理機関委員会副委員長
(財)住宅リフォーム・紛争解決センター技術委員会副座長
主な著作・論文
欠陥住宅紛争の上手な対処法―紛争の本質から見た法的対応策―(平成8年5月 竃ッ事法研究会)
欠陥住宅の見分け方 第三版平成12年竃ッ事法研究会)
欠陥住宅調査鑑定書の書き方(平成12年3月 竃ッ事法研究会刊)
 
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