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欠陥住宅を正す会の窓
   
  昭和53年以来24年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている
欠陥住宅を正す会  
では、このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。
   
  −正す会の窓・・・その16(論説)−
   
  欠陥住宅紛争対策をめぐる新しい流れ
   
 

• 阪神大震災後 欠陥住宅を正す世論の高まりの中で、法制面でも裁判上も新しい流れがみられるようになりました。
そこで、この新しい流れのあらましを解説した当会代表幹事澤田和也の論文を掲載いたします。

   
 

欠陥住宅紛争対策をめぐる新しい流れ
(続欠陥住宅紛争の実情と問題点)

   
  目     次
1、

•住宅の生産システムの変遷と欠陥住宅の登場

 
2、 阪神大震災を契機とする積極的な欠陥住宅施策の登場  
3、

•住宅品質確保法の登場

 
4、 裁判所部内における欠陥住宅紛争対策  
5、 建築基準法の改正  
6、 消費者サイドに立つ最高裁判所判決の登場  
 
(1) 取り壊し建てかえ費用相当損害を認めた平成14年9月24日最高裁判決
 
(2) 法律上最低限の断面寸法の鉄骨柱は使っているが、契約でそれ
以上の断面寸法の鉄骨を使うように約束されているのに使って
いない場合には欠陥であるとの平成15年10月10日最高裁判決
   
(3)

•  確認申請に当たって工事監理者の名義を貸した建築士に対し、
欠陥がある場合の損害賠償責任を認定した平成15年11月14日最高裁判決

   
 
7、 今後の展望  
 
(1)

•  一般的な施策の問題

 
(2)

•  紛争解決法令の今後の課題

   
 
   
  欠陥住宅紛争対策をめぐる新しい流れ
( 続欠陥住宅紛争の実情と問題点 )
   
 

1.住宅の生産システムの変遷と欠陥住宅の登場

 

 昭和 35 〜 36 年までの大工、棟梁と消費者との直接施工による住宅生産システムにかわり、集客を主目的とする 住宅会社による重畳的住宅生産システム の登場によって、請負人と生産者は分離し直接受注による信頼関係がなくなるとともに、各下請における必要利潤の捻出のために生産原価の切り下げを余儀なくされたことから、いわゆる 手抜き欠陥 が発生し 「欠陥住宅」 という言葉が生まれた。

   
 

2.阪神大震災を契機とする積極的な欠陥住宅施策の登場

 

 欠陥住宅問題は、昭和 40 年代の都市人口の増大、農村・都市を問わないコミュニティーの崩壊に伴ってますます増大し、社会問題化するに至っていた。 そこで、昭和 40 年代末期には、「プレハブをよくする会」「マンション問題を考える会」など主として関東で集団的交渉による欠陥住宅対策を考える消費者団体が生まれた。 この動きには、同時代のアメリカにおけるラルフ・ネーダーの欠陥車追放運動も影響を与えていると思われるが、これらの団体には、マンションやプレハブなど同じ類型の建物を持つ共通の被害者で組織しようという点に特色があった。 しかし、住宅、特に戸建て住宅は、極めて個別的な地質、地形の土地に立脚する個別性の高い契約によってなされるため大衆団交方式による解決には親しまず、新たに、住宅の個別契約性及び専門技術性に着目した主として 戸建て住宅の被害者によって組織される消費者運動 が勃興し主流となるに至った。

 そして、各種行政窓口や消費者センターに欠陥住宅の苦情が殺到する状況に至り、昭和 54 年ごろからはテレビ、週刊誌を媒体とする欠陥住宅報道が巷間をにぎわすにようになった。 ただし、救済の決め手となる欠陥調査・鑑定の方法や専門家は数少なく、解決の決め手となる民事訴訟手続も裁判所、弁護士ともに不馴れで、技術訴訟というよりは事情訴訟の観を呈し、 裁判をすれば金も時間もかかるだけだと言われた時代 であった。

  しかし、平成7年の阪神大震災はこの欠陥住宅問題をより社会問題として顕著化させ、それに対応して国家による各種施策が積極化した。
   
 

3.住宅品質確保法の登場

 

 住宅品質確保法については既にご承知のとおりで多言を要しないが、平成 11 年に登場した本法は、欠陥住宅問題発生の根元を契約される住宅の品質内容の不特定にあることに着目し、住宅の品質の特定可能な項目の性能をそのレベルでとらえることによって、可及的に品質特定を図ることを目指している。 これは、従来の住宅の品質の特定が目視等の五感で把握できるいわゆる 不具合事象 に頼っていたのに対し、住宅の品質を 性能とそのレベルでとらえる ことによってより特定性を高めたもので、その具体化が 日本住宅性能表示基準 である。また、欠陥住宅発生予防のために、この表示基準をもとに 設計住宅性能評価 建設住宅性能評価 の制度が定められ、少なくとも建設住宅性能評価を得ている建物については、前提となっている設計住宅性能評価書が特定する品質を有するものと見ることができるシステムとして確立された。 しかし、これらはあくまでも請負・売買双方の契約当事者の任意の手続にるものである。 また、平成 13 年には 既存住宅性能評価制度 も定められ、既存の住宅についても目視及び簡単な計測によってある程度の品質を専門家により推測し、既存住宅の流通に役立てる制度が考案されたが、この既存住宅性能評価手続も契約当事者の任意申請に基づく手続である。 そして、この手続によったいわゆる 評価住宅 については、住宅紛争審査会による簡易な紛争解決手続が可能になるに至ったことも周知のことである。

 これに対し、同法に基づく性能評価手続を受けていない住宅をも含め、平成 12 年4月以降に契約かつ新築された住宅については、構造耐力上主要な部分や雨水の浸入を防止する部分について 瑕疵担保責任 の 10 年間の存在が強行法規化された。

   
 

4.裁判所部内における欠陥住宅紛争対策

 

 裁判官はもともと文系の出身者であり、技術問題に関しては知識とともに感覚的にこれを忌避する傾向があった。 また、民事手続の当事者代理人となる弁護士も同様で、欠陥住宅問題に関しては全くお手上げといった状態で、専門家である業者側がひとり独自の見解を主張し、クロとシロにとまではいかなくとも、灰色と言いくるめて、消費者側の賠償請求を阻止してきた。 多くの欠陥住宅訴訟では 欠陥の意義 すら明確化されず、 欠陥現象または不具合事象と欠陥原因との区別、欠陥判断の基準、相当な補修方法、損害賠償の範囲 金額 、裏返せば相当補修工費の算定方法等については、全くと言っていいほど 空白の時代 が続いていた。 技術訴訟でありながら、多くの訴訟では契約に至った経過にまでさかのぼり、当事者の約定不履行、不誠実な対応など怨嗟を含む感情的な事情訴訟に終始し、それとともに、「設計図書」等の非日常的な建築用語が登場するので、千日裁判の様相を呈し、前述のように業者側がひとり満足する結果となっていたのである。

 これに対し、阪神大震災を契機としてより社会問題化した欠陥住宅問題、特に難渋を極めている欠陥住宅訴訟制度の対策として、裁判所部内では任意の制度として、正式裁判(民事訴訟手続)を裁判所の職権によって民事調停手続に移させるいわゆる 移付調停の制度 が運用としてとられるに至った。 そのねらいは、建築士など建築専門家を調停委員に選任することによって、裁判官の技術的知見の不足を補い、欠陥問題についての当事者の言い分を整理して、争点を技術的、法律的に明確化するところにある。 もとより調停手続であるので、専門家調停委員による相当公平な調停あっせんの努力も行われるが、当事者がこれに同意しない場合は通常訴訟に移行し、調停手続中における調停委員による争点整理と裁判官に対する技術的知見の事実上の補充を最大限に活用するという制度である。

 また、平成 13 年には東京と大阪に 建築専門部 が新設された。 これは欠陥住宅を含む建築事件を特定の専門部に処理させることにより、裁判官をして欠陥問題の処理方法並びに法律知識を通暁させることをねらったものである。 ここでも移付調停が活用され、紛争の多くは調停手続によって解決される結果になるとともに、欠陥類型によって一定の相当補修方法や賠償金額が類型化され、後発の事件処理に役立てられている。

  さらに、平成 14 年には 民事訴訟法が改正 され、新たに 専門委員の制度 が設けられた。 技術的知見を要する事件について、裁判所が建築士などの専門家から専門委員を任意選任し、裁判官の技術的知見を補うとともに、争点整理にも参加させ、当事者に質問し、また証人尋問手続においても発問する権利を有するものである。 移付調停が調停制度の運用による任意の裁判所に対する技術的知見の補充方法であったのに対し、専門委員は法律によって積極的に訴訟手続に関与できる専門家の登場を認めたもので、この活用によってさらに欠陥住宅訴訟の進展が図られることになろう。
   
 

5.建築基準法の改正

 

 従来から同法には、 計画段階からの設計図書の法適合性の確認 、また 施工途中における諸検査の制度 がとられ、同手続上の 工事監理者 には所定資格の建築士を選任することによって、少なくとも建築基準法令違反の欠陥住宅が生まれないシステムがとられてはいたが、建築当局者の人員不足や建築士の名義貸しなどさまざまな脱法行為によって、同法の手続は骨抜きにされていた。 そこで、阪神大震災を契機にその運用をより厳正化ならしめるため、いわゆる 中間検査の強化 建築基準法の単体規定 においても筋交いの梁との緊結方法の技術基準をより具体化することなどによって同法の解釈の画一化を図り、より一層 欠陥住宅の発生を防止する法律改正 がなされた。

  しかし、いかなる法令強化がなされようとも、当事者が遵法意識を高め、特に建築士が工事監理の重要性、つまり工事監理者が欠陥住宅防止に果たす役割を自覚し、また建設業者が施工技術確保義務を尽くす努力をしない限り、欠陥住宅は完全に防止できないものである。
   
 

6.消費者サイドに立つ最高裁判所判決の登場

 
(1) 取り壊し建てかえ費用相当損害を認めた平成 14 年9月 24 日最高裁判決
 

 平成 14 年9月 24 日、「基礎や骨組みといった建物の構造の欠陥など重大な瑕疵(欠陥)があるために、建てかえるほか技術的、経済的に相当な方法がない場合には、注文者は請負人に対し建物の建てかえに要する費用相当額の損害賠償を請求できる」という判決が下された。 一見すれば社会常識的には全く当たり前の理屈であるが、実はこれができるかできないかについては法曹界において長年争われていたのである。もっともこの問題が顕著に法曹界に登場したのは、さきに述べたように、住宅の生産システムが変遷し住宅会社が登場して、いわゆる手抜き欠陥が社会問題化した昭和 40 年代以降の訴訟事件においてであった。 これに関しては、このような取り壊し建てかえ損を請求できるという 積極説 とこれはできないという 消極説 とがあったのである。

 このうち、特に消極説は学説を通じて展開されていた。 また、後藤 勇元大阪高裁総括判事を代表とする司法界でも消極説が有力であった。 その根拠となっていたのは、民法 635 条が「土地建物の工作物、すなわち建物または住宅については目的を達成できなくても契約を解除できない」という規定である。 この場合、契約が解除されたならば、当事者に原状回復義務が生じる。原状回復とは、請負人は注文者に受け取り代金を返還するとともに、建物を収去して土地を更地にするということである。 しかし、実際に建物を収去することは社会経済的な損失になるとともに、請負人の経済負担が過大であるなどの理由が挙げられていた(我妻 栄「債権額論」中二  640 ページ。 幾世 通・広中俊雄編「新版注釈民法」 16 巻 138 ページ)。 そのため、建物の請負契約の解除不許の規定については、それ以上論じられることが少なかった。 この条文の立法過程については、植木 哲「欠陥住宅の本質」(千葉大学法学論集第 19 巻第1号− 2004 年7月)に詳しい。 また、「建物に重大な欠陥、例えば構造欠陥などがあって取り壊し建てかえるほか相当な補修方法がない場合にもその建てかえ費用の損害を認めることができないのか」という問題については、同論文及び松本克美「欠陥住宅被害における損害論」(立命館法学第 280 号− 2001 年第6号)に詳しく論じられている。 立法過程では、絶対的に契約の解除ができないのかという反論または疑問が立法策定者の1人から出されていたが、主流派の策定委員がこれを全く無視して建物の契約解除不許の立法を推進したとされている。

 これは、私が拙著「欠陥住宅紛争の上手な対処法」(平成8年民事法研究会刊)の5ページ及び 131 ページ以下で述べているように、当時の請負契約が適用されることの多い「 ものづくり 」、特に住宅の生産は共同社会内部における信頼関係のある大工、棟梁との直接契約によっていたこと、そして当時のものづくりの世界では職業倫理が貫徹されており、現今見られる故意の手抜きなどは予想もされなかったことなどに加え、住宅の様式が簡単で、注文者側も棟上げなどで生産に参加して住宅知識がある程度あったことによって、故意の手抜きや取り壊し建てかえざるを得ない欠陥などは予想されず、民法の条文の「瑕疵」という文字が「玉にきず」の「きず」を意味しているように、故意または重大な過失による欠点は瑕疵概念の中になかったと思われることなどが挙げられる。

 しかし、昭和 35 〜 36 年ごろからの経済の高度成長政策による共同社会の喪失と、信頼すべき大工、棟梁を持たない多くの都市住民の発生、またマイホーム政策の推進とこれを受けた集客・受注を主たる目的とする住宅会社の出現、つまり請負契約上の請負者と実際に直接施工をする者とが分離し、注文者と実際に直接施工する下請もしくは孫請の施工者との間に信頼関係が直接存在しなくなったこと、この重畳的下請システムによる中間利潤の増大による直接施工者の生産原価の切り詰めなどが故意の手抜きを生み、民法の右条文の立法当時の事情とは全く異なる社会情勢が出現したことなどによって、立法当時のものづくりを社会の倫理に期待する前提が喪失したことが主な原因であろう( 住宅の生産システムの変遷による民法の前提の喪失)。

 今までの学説の多くはこの住宅の生産システムの変遷に伴う民法の実質的立法前提の喪失には余り触れることがなく、専ら形式的な民法解釈に終始していたために、学説や法条の文言解釈上の問題に還元されて、両説が並行する形となっていたものである。 というのも、実際に欠陥住宅に遭遇する我々弁護士は、訴訟には至らない多くの欠陥住宅や契約当事者、特に被害者や直接の生産者である手抜き業者との紛争・軋轢などその争いの生々しい実態に触れ、住宅紛争の情報が豊富であるのに比べ、裁判官は訴えとして提起された事件に接するだけで、生の事実を捨象された訴訟資料に接するだけである。しかも、その数も限られている。ましてや学者となれば、抽象化された裁判例によるしか欠陥住宅の実情に触れることがないので、この問題に対する議論も、社会の実態を離れた文言中心の形式的解釈論に終始する嫌いが高かったのである。 また、後藤 勇氏に代表される消極説(「請負契約に関する実務上の諸問題」平成6年判例タイムズ社刊)も、「ものづくり」を大切にし、「一たんつくったものは壊さない」、「節約する」、「特に建物は社会的に重要な財産であるという考え」が根底にあるものと考えられる。そして、これが常識的にも妥当なものとされてきたのである。

 これに対し、近時、この判決のような取り壊し建てかえ損を認める積極説が有力となってきたのは、従来の物を大切にするという考え、即ち伝統的な不具合事象がなく、住めればよいとする素朴な思想から、 建物の品質を不具合事象から性能に求める考え方が貫徹 してきたことにもよると私は考えている。 この判決の原審及び第一審の判決を見れば明らかなように、木造建物で法定の構造方法の不遵守が構造全体に及んでいる事案ではあるが、今建物が倒壊に瀕しているような事案ではない。 しかし、建築基準法が定める最低限の安全性を持たず、法が予定する強さの荷重や外力を受ければ損壊するおそれのある建物である。 後藤 勇氏はその消極説の理由の1つとして、取り壊し建てかえ代金相当の損害賠償をとっても、注文者がそのまま建物を使用すれば二重の利得をしていることになるといった考えを述べている。 後藤氏は損害賠償の本質は交換価値の回復だと述べてはいるものの、その考えの前提としては、法律上最低の構造性能を持たない建物があっても住もうと思えば住める、使おうと思えば使える、つまり建物の品質を不具合事象や使用価値に求める考え方なのである。 だからこそ、「建っているのなら安全なのではないか」との考えに直結しているのである。 これに対し、本判決の原審や第一審は建物の品質を性能に求め、その性能のレベルを法定基準に求めた上で、建物自体は建っているのに取り壊し建てかえを相当としてこのような判決が下されたのである。恐らくこの最高裁判所の判決の前提には、建物の品質を性能でとらえること、特に建物の品質の性能レベルの最低限を建築基準法の基準に求めている(同法第1条参照)ものであろうと考えられる。

 この判決についての評釈は多々出ており、例えば判例タイムズ 1154 号 66 ページ以下では、元司法研修所教官の加藤新太郎判事が要領よくまとめられているが、畢竟、取り壊し建てかえ損やその前提としての取り壊し建てかえ請求ができるかということは、そこでは条文の解釈の整理にとどまっている。 しかし、この背後には、「建っているのになぜ取り壊すのか」という単純な不具合事象論から、建物の品質を性能でとらえそのレベルの最低限を公共の福祉との見地から建築基準法に求めていることに社会全体が転換してきたということがあると考えられる。 つまり、この判決も、平成7年目の阪神大震災によってそこまで建っていた建物が瞬時にして倒れたという事実を目の当たりにして、建物は今建っているから安全なのではなく、一定の地震や台風などが発生した場合にもつぶれないかどうかが問題であるという、建物の本質を性能でとらえる考え方が社会全体に浸透してきたことによっているものと考えられる。

 ここで参考までに、取り壊し建てかえ相当損害を認める場合でも、 今まで居住した分の利益(賃料相当金)を考慮すべきであるという説 (これはさきの後藤 勇氏の二重取り説をやや緩和した説)がある。 しかし、被害者は代金全額を払って建物の所有権を取得したのであるから、仮に欠陥があってもその建物を使用することは、代金を払った所有権の効果として当然のことであって、所有者である注文者は何らの不当利得をしているものではない。 つまり、法律上の原因なくしてその建物を使っているものではないので、この説は全く不当な考え方と言える。もしこの考え方(損益相殺説)が相当ならば、訴訟を長引かせるほど請負人は払うべき損害額が少なくなるという不当な結果を生じる。 また、注文者がその使用利益を控除されなければならないというのならば、代金全額を受け取った業者側も、賠償するまでにその代金を運用した利益を被害者に返還しなければならないという考えにも到達するはずであるが、このことについて論じる者はない。 要するに、この損益相殺説は法律上の根拠を全く欠くものである。もし損害賠償論での損益相殺説を貫徹するのであれば、それは欠陥があることによって被害者が利益を得ている場合に、その得た利益と欠陥を除去するために必要な費用、すなわち損害額とを相殺するというのであれば、法理上相当なものとなるのである。

 ともあれ、今回のこの判決は、欠陥住宅問題の前提としての住宅の生産システムの変遷と、阪神大震災を契機とする住宅の品質を単なる不具合事象から性能とそのレベルに求める考え方の定着が前提となっているもので、この意味においても画期的な判決である。

   
(2) 法律上最低限の断面寸法の鉄骨柱は使っているが、契約でそれ以上の断面の寸法の鉄骨を使うように約束されているのに使っていない場合には欠陥であるとの平成 15 年 10 月 10 日最高裁判決
 

 この事件では、注文者が阪神大震災の被害を目の当たりにして、自分の経営する賃貸しマンションには、「法律上構造計算で得られる最低限の断面寸法の鉄骨柱をさらに上回る断面のものにしてより安全なものとしたい」と特に約束した場合には、「仮に現実に使用する鉄骨柱が法律上の安全性を満たしているとしても欠陥になる」との判断を示したものである。 つまり、欠陥であるかどうかは一次的には当事者の約束で決まることであって、当事者が最低限の法律のレベルを超える断面性能を有する柱を希望しその使用を約束した場合には欠陥になるということで(主観説または契約説)、これは世間常識から言えば極めて当たり前のことだが、先ほど触れた@の判決の中で述べた考え方のように、一たん建てられた建物を壊すことは社会的な損失になるという考え方、すなわちその考えを表明していると見られる民法 635 条の「建物は一たんでき上がれば契約の解除ができない」という考え方などに影響されてか、または民法 634 条の「瑕疵が重要でない場合で補修費用がかさむときには補修しなくてもよい」との考え方に影響されてか、「最低限法律上の断面性能を有しておれば、たとえ約定に反していても欠陥ではない」(客観説)と原審が判示していたものである。 これに対して、最高裁は、「契約で特にそれを上回る約束をしておればそれは欠陥になる」という考え方を示した。これも世間常識では極めて当たり前のことで、建築基準法の定めは、その第1条にあるように「最低限の基準」なのであって、当事者がより高いレベルの安全性を特に求めてその最低限を上回る約束をすることは何ら差し支えないことである。 最低限の基準という意味は、その規定を下回るレベルのものを約束してはいけないという趣旨だからである。

  この判決では、欠陥でないとした原審に事件を差し戻したため、その相当な補修方法や損害賠償の金額がどのようになるかには触れていない。 欠陥であると判示したからには、約定と同じ断面性能を有する柱と同じ構造耐力があるような相当補修をしなければならず、そしてその費用が賠償額になろうかと思われる。 ここでも@で述べたのと同様に、法律上最低限の断面性能の柱であれば欠陥でないという原審の考え方は、「それでも建物は法律上の安全性を有するから何ら使用に支障を来さず、注文者には積極的な損害を与えるものではない」との考え方に立脚しているのだろう。 むしろ従来であれば、この考え方の方が支配的で受け入れられやすかったのである。
   
(3) 確認申請に当たって工事監理者の名義を貸した建築士に対し、欠陥がある場合の損害賠
償責任を認定した平成 15 年 11 月 14 日最高裁判決
 

 従来から、実際は工事監理をしていないのに、確認申請手続の代理(代願)やその代願に必要な設計図書の作成を請けただけなのに、行政が工事監理者の記名押印がなければ確認通知ができないとしているときに、工事監理者の名義だけを貸した建築士の責任に関し、実際上の設計監理はせずその分の監理料をもらっていないのだから、仮に欠陥があっても責任は負わないなどと言われ、中にはこんなことは昔から大々的に慣行的に行われているので違法性はないという人もいたのである。 しかし、阪神大震災後、違法住宅の多発の原因として、その名義を貸した住宅について実際の工事監理をしていなくも、建築基準法に定める品質基準の甚だしい手抜き、例えば構造性能に欠けるひどい欠陥があった場合には、工事監理者として記名押印をしている以上は賠償責任を負うのではないかという説も有力で、この積極説と消極説も相半ばしている状況であった。

 しかし、欠陥住宅の多発や阪神大震災による違法住宅の大被害などの事実から、下級審では積極説を認める見解が有力となってきていた。この流れを受けて、最高裁が今般、名義貸し建築士の責任を認める判決を出したのである。 この判決によれば、「名義を貸した建築士は、建物施工に至るまでに実際に工事監理に当たる建築士を施主に選任させるなど工事監理者が不在のまま建築が続行しないように適切な措置をとらない限り、建築士法 18 条に定める建築士の職責から、もし建物にひどい建築基準法違反の欠陥があった場合には責任を負うべきである」としたものである。

  従来、建築士側は、「名義を貸しただけだ」「自分は施工に関与していない」ということを免責される根拠にしていたが、「なぜ業者が名義だけを借りるのか」ということを突き詰めていけば、やはり工事監理者がいない方が確認通知書を潜脱する施工がしやい、いわゆる違法の手抜き建築がしやすい、また現に名義貸しの施工の場合には往々にしてそのようなことが行われているということは、当の名義を貸す建築士自体が当然これを知っていることなので、ある意味では施工業者の手抜きに関して片面的な共犯の役割を果たしたことにもなるわけである。 また、手形などの場合でも、裏書きをするということの意味は、もし振出人が不渡りにした場合には、裏書人は責任を負うという趣旨であることは皆の知るところで、むやみやたらと記名押印をしながら責任がないというのは、社会常識からも甚だしく背馳した言い分であった。 結局、建築士法 18 条の建築士の職責から考えれば、施工業者に名義を貸せばどのようなどのような結果が起こり得るであろうかと考え、名義貸しによる被害を未然に防止すべき責任があるもので、今回の判決は極めて当然なことと受けとられている。
   
 

 以上、@からBの 各判例の流れを整理 してみるならば、端的に言えば、今まで民法上の形式的な条文の解釈論で責任を否定してきた消極説に対し、欠陥住宅の多発を前に実際的な根拠から責任を認める積極説に軍配が上がったものである。 しかも、その根底には、単なる民法の条文の形式的な文言解釈だけでは結論が出ず、さきに述べたように、契約者と施工者が分離する重畳的下請システムによる 住宅の生産システムの変化 と、これによる考えられないような ひどい手抜き欠陥の出現 という民法制定時の 100 年前とは異なる社会実態の変化と、従来は素朴に建っていて使えればよいとして不具合事象の有無だけで住宅の品質を判断していたのに対して、今建っているものでも一定の地震や台風に遭遇すればつぶれることもある。 そのような場合でも法定限度の強さの荷重や外力によるものであれば耐えられるだけの性能を持っていなければならないというように、不具合事象が現存するか否かではなく、 建物の品質を性能でとらえ、法律で、または社会的に是認されている最低限のレベルの性能を持っているかどうか で欠陥を見ていくというように、建物の品質のとらえ方が変わったことなどの実質的な根拠を考えれば、もはや消極説は成り立たないことが一般的に受け入れられるようになってきたことによるものと言える。

 なお、これら最高裁の判例は、新立法にも匹敵するもので、今後手抜き業者に対する制裁はますます強くなっていくものと見るべきであろう。

このように、 欠陥住宅をめぐる法制度や裁判例などの法的環境は激変 した。 従来は、ともすれば民法の形式的解釈から出発し、生産者である請負人も注文者である消費者も法律上対等であることを理由に、その前提で公平論が立てられてきた。 その結果、その公平はむしろ社会的、経済的、専門知識的に劣者である消費者側にリスクがかぶせられることになっていたのである。 これに対し、縷々述べたように、社会の実態、住宅の生産システムの変化や住宅の品質のとらえ方の変化によって、 従来の形式的法文解釈から実質的な消費者救済の流れへと変化 したものである。 思えば、民法自体が 100 年前に制定されたものではあっても、借地借家法や労働三法などの住まいづくりのほかの領域では、契約当事者の実質的強弱を考慮した特別立法がされることによって社会的な不公平が取り除かれてきていたのに、住宅に関してはこのような特別法がないために、さきに述べた諸点についても法律の文言解釈に終始する消極説が一人歩きをしてきたのである。 住宅に関しては、特別法で新立法はされていないけれども、これらの最高裁の判例が出たことは新立法にかわるものとして積極的に評価されるものである。
   
 

7.今後の展望

 

 以上のような欠陥住宅対策の諸施策や最高裁判所の消費者サイドの判決が出たからといって、現在我が国において展開されている住宅をめぐる紛争、いわゆる欠陥住宅問題が解決するというものでもなく、また欠陥住宅をめぐる法律上の争いもすべて解決したというわけではない。

   
 
(1) 一般的な施策の問題
 

 震災後の欠陥住宅対策の施策の面での目玉になっている 住宅品質確保法 に関して、利用者がよりふえるよう関係機関が協力し合い、一般に啓蒙するとともに、消費者からも積極的に利用を求めるようにする必要があるが、現在の住宅品質確保法、特に新築住宅性能評価制度は設計段階から必要とされることと、その煩瑣な手続がその利用を妨げていると思われる。 また、現在の日本住宅性能表示基準が正確を期する余り素人の消費者にはわかりにくい上に、現実の生活感覚と照合しない面もある。 したがって、表示基準の正確性は保持しつつも、一般消費者にわかりやすい簡略な表現を併記したらどうであろうか。さらに、この表示基準が特定している性能項目は、必ずしも消費者が希望するものすべてを含んでいるわけではない。 そこで、現在性能項目として取り上げられていない美匠や仕上げなどについてもある程度の基準を設けることも必要ではないかと思う。というのも、欠陥問題の出発点は大抵の場合、美匠仕上げ、設備の利用の不具合から発生するからである。 このような性能項目の特定やそのレベルづけは困難ではあると思うが、むしろ大まかな範囲で定めることが一般消費者のこの制度利用意欲をかき立てることでが実益もあることであろう。

 次に、建築基準法の改正の中心は、 行政当局における検査と施行令における法定の構造方法の選材や工法の具体的特定 がされている点にあるが、現在でも建築基準法の規定、特に構造方法の規定についての具体的な選材や工法の特定に欠け、業者側からはこれを特定した公庫仕様書などの標準的な仕様書や技術基準については任意の基準であるので守る必要はないとの抗弁が出される。 したがって、選材や工法を余り具体的に特定することはその時々における技術レベルの発展を阻害する面があるとはいっても、公庫仕様書程度の特定をして、それが建築基準法に定める最低限のレベルのものであることを周知させる必要がある。 その時々の選材や工法の発展は、こまめに施行令や告示を改正することで対応していくことである。

 さらに、旧建築基準法 38 条が削除されたことによって、プレハブ住宅あるいは工業化住宅と呼ばれるジャンルの住宅に関して、 型式適合認定 だけでは旧 38 条に代替できない面がある。それは建築基準法の性能規定とも絡んでいることであるが、従来のように認定図書に反する施工は一切認めないという方が実務的には紛争を防ぎ住宅の適正レベルを保持するものだと思われる。 また、 工業化住宅認定制度 そのものも、果たして建築基準法に組み入れられるべき制度なのか、または性能規定化を前提とした権威ある建築機関による任意の認定制度なのか、それと型式適合認定との法律的な関係はどのようになるのか、これらの点について明確にする必要があると思う。

 以上のような具体的な施策の問題とともに、住宅品確法を待たずとも従来からの建築士法や建築基準法が関係者によく理解され遵守されていたならば、欠陥住宅はこれほど多発しなかったであろうと思われるので、欠陥住宅ないし住宅の品質レベル確保や向上のためには、建築関係者、特にその中核となる建築士がその職責を尽くして、適正な設計や工事監理をすることが何よりも大切で、この点についての徹底教育が望まれる。 また、建設業者についても、施工技術の確保義務が法定されているのであるから、この確保義務を具体的に担保していくような方法を検討すべきであろう。現在の違法建築についての業者に対する指導や制裁は余りにも低過ぎるものと言える。 その点いわゆる 設計・監理の施工からの分離独立の制度 を検討採用すべきであろう。

   
(2) 紛争解決法令の今後の課題
 

 前章では、新しい最高裁判例について、これが最高裁判決であるところから下級裁判所を拘束し、いわばその判例については新立法がなされたのと同じ効果があると解説した。この3つの判決は、従来、欠陥住宅をめぐる紛争の大きな争点となったもので、この解決が欠陥住宅の多発防止に対する歯どめになることは疑いのないところであるが、しかしこの3つの判例だけで現在多発している欠陥住宅紛争のすべてが解決されるものではない。

 まず、 欠陥判断の基準 に関しては、最高裁判例をまたずして現在判例上ほぼ確立しているが、 相当な補修方法 に関しては、各種構造や具体的欠陥類型に即しての判決事例が積み重ねられていない上に、そもそも民法 634 条に言う相当補修とはどのような観点から考えなければならないかということについても判例上確立しているとは言いがたい。 そして、これは単に民事訴訟を担当する弁護士や裁判官などの関係者だけではなく、むしろ相当方法は示談の段階において最も問題となるものであり、また住宅品確法に基づいて設けられた各地住宅紛争審査会におけるあっせん、調停、仲裁などの場面においても問題となることが多いので、この問題についての考え方を整理する必要がある。 技術的な補修方法に関しては、(財)住宅リフォーム・紛争処理センターの「技術関連資料集」が各種構造別の相当補修方法を類型化している。

 しかし、これはあくまでも契約問題を捨象した一般的な技術的可能性もしくは技術的な観点からの住宅欠陥の除去、強いて言うならばあるべき状態への機能の回復を目的としたものであろう。 大切なのは、住宅紛争審査会の場においても、この補修が 瑕疵担保責任としての補修 であるという法律的な観点から出発することである。 自己所有の住宅が老朽化したり、あるいは当初より欠陥があるのを承知の上で中古物件を買い入れ補修するというような場合の補修と、請負や売買の契約に基づく瑕疵担保責任の履行としての補修は異なる。前者であれば、建物所有者がいかような補修をしようとも、つまり当初住宅よりもグレードアップをすることもよければ、あるいは予算の範囲内で最低限の機能確保に努めるのもよい。 しかし、紛争審査会などで問題となる補修はそのような所有者の自己住宅の任意補修の場合とは違って、あくまでも 契約上の責任としての補修 である。契約上の責任であれば、当初の約定で予定したとおりの状態、つまり設計図書どおりの状態に現状を改めることである。機能だけの回復であれば、例えば施行令 46 条の耐力壁の欠落や偏りの場合であれば、従来の間取りを無視すれば現状建物をそれほど壊さなくて設置可能であろう。 しかし、新築建物である限りは、注文者が当初予定していた空間利用や美匠仕上げは保持されなければならない。これが契約上の補修と言うべきものである。

 にもかかわらず、従来の補修は、責任としての補修ではなく、 恩恵としての補修 とでも言うべき考え方が濃厚であった。 これも最高裁判例の取り壊し建てかえ損認容の可否のところで述べたように、従来のものづくりの観念では建物は社会経済的に高価なもので、むやみに壊すことはできないとの前提に立ち、また民法 634 条が重要でないもので過分の費用を要するときは補修をしなくてもよいとか、民法 635 条の建物は一たんでき上がれば契約の解除をすることができないなどの規定を拡大解釈して、それを相当補修方法の具体的判断にも引きずっていたものだと思える。機能だけ回復すれば、つまり家は使えればよいのだという建物の品質を不具合事象だけでとらえる考え方とも無縁ではなかったとも思われる。 しかし、最高裁判例の線上で考えれば、何よりも新築住宅の補修は、当初約定された設計図書の状態を具現する、しかもそれは単に機能面だけで具現するものではなく、 美匠仕上げや空間利用のすべてにおいて新築住宅としての品質を保持する状態に戻すこと であると考えなければならない。

 その他、相当補修に関しては、これは当然のことであるが、冒頭に述べた 技術的な可能性 とともに、 施工の確実性 も考えなければならない。 剛架構の鉄骨建物の梁と仕口の突き合わせ溶接を手抜きして隅肉溶接にされている場合の補修として、現場での上向き溶接が可能であることを理由に、現場での補修可能を述べる裁判上の鑑定人もいる。しかし、密集した市街地に建つ建物の立地状況や補修に当たる建築技能者の安全の確保の面からいっても、また確実な施工の面からいってもそのような補修方法が相当であるはずはなく、またこれと並んで、 補修についての公共性 も考えなければならない。幾ら補修のためだからといって隣近所に騒音や火花などによる迷惑損害を与えるものであってはならないことも当然である。 そして、その補修方法は、上向き溶接というような特殊技能を要し、その技能者が限られているような方法を採用することは相当ではない。日本全国土の地域においても平均的に得られる技術者もしくは施工能力によってなされるものでなくてはならない。 施工の確実性 問題である経済性 の問題はその後に来るもので、新築の補修だからといって業者側に過大な負担を強いるものではない。 できるだけ経済的なものであることが望ましいのは当然で、取り壊し建てかえなければかえって経済的に高くつく場合もある。 とにかく従来は、壊してはいけない、取り壊し建てかえはなおさらいけないというような考えにとらわれ過ぎていたのである。

 他方、新築住宅の責任としての補修方法と並んで問題になるのは、その 相当費用の算定方法 である。 民事裁判では、相当補修を求めるものではなく、相当補修をすれば要するであろう工費を損害として請求される事例が圧倒的である。 したがって、その相当工費の算定の基準が問題となるが、従来の裁判上の鑑定人の中には、全く考えられないような値段、つまり業者の仲間値のような基準で算定している場合が見られた。損害賠償の請求であるから、消費者である注文者型に注文したときにかかる値段、つまり 小売値 でなければならないのであって、仲間値での算定は不当である。

 以上、相当補修方法や賠償金額の算定に関してもまだまだ解決されていない問題が存在している。 今後と言えども住宅の品質を確保するためにはどのような手段でその品質をあるべき状態に回復するのかの問題に関して研さんを重ねていかなければならないと思う。

(平成 16 年 11 月 19 日)

   
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