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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その41―

暦の上では立秋ですが、関西では、まだまだ厳しい暑さが続いています。
さて今回は、平成19年度「夏期研修旅行のご報告」でご紹介した、研修二日目に行ないました代表幹事澤田和也の講演レジメをお届けいたします。
少々 長文になっていますが「夏休みの友」としてご一読ください。

平成19年8月3日〜5日  欠陥住宅を正す会 夏期研修レジメ

 欠陥住宅体験から得られた
   “スムーズで且つ有効な”欠陥住宅被害を回復する方法

         ―長年の欠陥住宅を正す運動の原点を探る―

代表幹事 澤田 和也

1、私の欠陥住宅体験

 昭和40年、知人の紹介で一級建築士に軽量鉄骨造り3階建て住宅の設計及び施工の請負を依頼。この依頼のいきさつや欠陥内容及びこの被害回復のために15年にわたって単独で続けた訴訟体験については拙著『欠陥住宅紛争の上手な対処法』698頁以下の“雨漏りとともに11年――悪徳建築士との闘い”を参照されたい。
 この住宅の欠陥内容は、軽量鉄骨造り3階建であるので軽量鉄骨協会の基準により、3階建の1階部分には少なくとも3.2mm厚以上の鉄骨を使わなければならないのに、1・2・3階を通しで軽量鉄骨でももっとも肉厚の薄い1.6mm厚の軽量鉄骨に手抜きされ、すでに材料自体の安全性がなかったこと。また基礎に上部構造との関係上、独立基礎を結ぶ繋ぎ梁が要るのにこれが手抜きされていたことなど致命的な構造欠陥があったので、建物自体に相当剛性がなく、揺れやすくまた基礎の手抜きにより建物自体も不等沈下したこと、サッシ下の水切り金物の手抜きなど雨仕舞い全体にわたる手抜きがあり、このため防水層も破断したこと等によって、度々の補修にかかわらず13年に亘って雨漏りが止まらなかったのであった。つまり基礎及び構造躯体の手抜きと雨仕舞いの手抜きによる典型的な欠陥住宅であったことである。

2、この欠陥住宅体験で得たこと

 この欠陥住宅体験は、私に欠陥住宅問題に対する色々な論点を考え知る機会を与えてくれた。
 その一つ目には設計も施工も同一の建築士に頼んだことの誤り。設計と施工は本来分離し、違った人に頼まなければ手抜き欠陥が生まれやすいこと。 二つ目に、住宅の基本は地盤との兼ね合いで相当な基礎と構造躯体を持つ安全なものでなければならないこと。雨漏りも実はこの躯体構造や下地と密接な関係にあり、雨が漏る家は家でないという意味は極めて当たり前のことであるが、単に雨仕舞いの問題だけでなく、雨漏りをするような建物を設計施工する者は、地盤や建物構造との兼ね合いで相当な基礎を造ることや、構造基準を守った相当な骨組みを造り、また正しい工程や手順を守って順次家を仕上げていくという建物のあらゆる工程に対しても相当な配慮を払わない結果雨漏りという致命的な欠陥を招くものであること。雨漏りはいわば手抜きされている家が手抜きを訴える家の涙と目すべきものであること等々であった。
このような欠陥体験が前掲の拙著を書く下地ないし根底となっている。

3、早草實先生との出会い。

  昭和41年に雨漏り補修費を求めて訴訟を起こしたものの、当時私には頼るべき建築士や建築家がなく、かえって一級建築士に手抜きされたことから建築関係者に対する不信の念が強かったので全く独学で建築書を読破し、専門家に頼まず単独で訴訟をしたため、訴訟は遅々として進まず、この訴訟も今から思えば技術訴訟ではなく、相手の不信を攻める怨念訴訟となっていた。このため、肝心の雨漏り原因を特定できず、半ば勝訴はあきらめていた。裁判所も一種の事情訴訟と見て、中には親切な裁判官が和解や取り下げを勧めてくれたこともある。
 このような訳で原告の当事者である私自体が訴訟に嫌気がさし、10年を超えるともはや惰性でやっているとしか言いようのない状態になっていた。それに弁護士であるのに手抜きされたことは信用上誰にも言えず悶々としていた。その頃、それは昭和53年末から54年春にかけてのことであるが、当時関西で「住宅のクレームに悩む消費者の会」という欠陥住宅の被害者の集まりが出来、私も誘われて入会したことを機縁に一級建築士の早草實先生と知り合った。この方は当時私が不信を抱いていた建築関係者とは全く違っていた。早草先生は、建築基準関係法令に定める技術基準を建物の品質基準の最低限のレベルを定めたものと観念され、これを守る必要を説かれていたのである。
 当たり前といえば当たり前のことであるけれども、多くの建築関係者が建築基準法令を建築業者を縛る取り締まり法規のように観念し、口にし、消費者の多くも建蔽率や容積率の点から同じように建基法令を建築等の自由を制限する悪法のように思っていた。しかし早草先生の“最低限の基準論”は明快で、そこで先生に欠陥鑑定書を書いてもらったことで私は我が家の構造欠陥と雨漏りの関係を知るに至り、おかげで勝訴をすることが出来たのである。
 建築関係者総てが悪なのではなく、よい建築家の協力を得なければ建築技術訴訟には勝訴はおぼつかないと知るに至ったのであった。

4、早草先生から得た欠陥判断の基準

 結局この訴訟が長引いたのも、当時は一般的には建物の瑕疵を単純に抽象的に教科書どおり「建物が本来保有すべき品質形状を持っていないこと」などというように、主として欠陥現象を念頭においた建物の不具合という形で漠然と捉えられていただけで、私自身欠陥判断の明確な基準に基づき欠陥現象と欠陥原因に区分して請求原因事実を主張することがなかったからでもある。
 早草先生との接触と先生に書いていただいた鑑定書をもとに、私も今展開しているような欠陥判断の基準を論理的にまとめるに至り、これがこの欠陥原因に照応する先生の鑑定書によって明確に立証されたことによって長かった訴訟は急転回し、私の勝訴で終わりを告げたのである。
 欠陥判断の基準はこのような私の試行錯誤の結果ではあったが、決定的な役割を果たしたのは早草先生が建基法令を単なる取締規定とは観念せず「我が国における建物の品質基準の最低限のレベルを示しているのだ」ということを指摘され、これを私の欠陥判断基準の中心に据えたことである。そして又先生からその法令基準の具体的な解釈基準として、建築学会や軽量鉄骨協会などの権威ある建築団体による標準的な技術基準乃至は標準仕様書があることを教えられたからである。
 私が訴訟をしていた昭和40年代から50年代にかけては、欠陥判断の基準どころか建築の瑕疵についての解釈上の言及など、どの法律雑誌や教科書を見てもお目にかかることがなかった。したがって判事も明確な基準に基づく欠陥原因事実の主張整理などできるはずもなければすることもなく、訴訟指揮そのものも事情訴訟そのものであった。
 話はややそれるが、やはり高度成長期の住宅会社の出現までは故意の手抜きとか欠陥住宅とか言うコトバは日常化していず、信頼関係のある地場の大工・棟梁に直接設計施工を依頼するのが住宅注文の常態であった。建物そのものも木造軸組みがほとんどで古来からの伝承によって工法も確立していた。そのことから、せいぜい住宅の品質についての言葉としては「建て付けが悪い」とか、「ガタピシする」とか主として見栄えや使い勝手の悪さを言う言葉だけであった。そしてそれも手抜きだとは観念されず、値段に見合ったもので値切りが原因だというように観念されていた。このような次第で欠陥判断の基準などまじめに論理的に論ずる法律文献などは見当たらなかったのである。
 このように通常は信頼関係のある大工や棟梁によって造られ、また材料や工法も確立していて手抜きなど予想もされていなかった中で、昭和30年代後半から軽量鉄骨造りや乾式工法の建物、長尺物の鉄板を使った勾配のゆるい折半の屋根、アルミサッシの窓枠などの新建材や木造以外の工法による住宅又はプレハブ住宅など新工法の住宅が生まれた。また注文の媒介者としての住宅会社が大工、・棟梁にとって代わって消費者との間で契約を結ぶということが行われるようになった。このように請負人と実際の施工者とが分離するようになって、手抜きなり欠陥住宅なりの言葉が生まれるようになってきていたのである。このように手抜きの事実が先行し、法律も法律関係者も依然として従来方式の住宅生産しか知らない中での新しく出現した手抜き欠陥の追求訴訟だったからこそ、総てのことが手探りの連続で私の訴訟は長くかかったのであった。が、しかしこの試行錯誤の中で今述べたように、後々欠陥住宅訴訟で役立つ欠陥判断の基準や建基法令の果たす役割や、また「安全性とはどういうことか」「単に潰れないことなのか」など、今日私が欠陥住宅紛争を解くカギとしている諸概念が整理され、自覚されるに至ったのには早草先生の影響がすこぶる大きかった。

5、一人ぼっちの訴訟から得たもの。

 このように私自体が自分のことに、しかも専門家の力もほとんど借りずにやってきたことから、今私が体系化している欠陥住宅紛争の解決方法、とくに欠陥住宅訴訟の進め方や法律構成なども私なりに整理確立され、これが昭和59年末の我が国で初めての取り壊し建てかえ損を認めた徳島の小林さんの判決の獲得や、その後もつづく欠陥住宅問題の諸判例に反映し役立ったのであった。

6、取り壊し建てかえ損請求の持つ意味。

  いまひとつ取り壊し建てかえ損請求の問題に触れておきたい。
 私の欠陥住宅も骨組みである軽量鉄骨自体が安全性に欠ける1.6mm厚柱で構成され、しかも基礎の手抜きまでされて、雨漏りと不等沈下を招いていたものであった。そこで、当然取り壊し建てかえなければ基礎や柱など鉄骨部材の取替えなどはありえないものであった。そこで本来であれば私の訴訟は取り壊し建てかえ代金相当の賠償を求める訴訟であるべきであった。
 が、当時、当の私自体がどの書物を読んでも「取り壊し建てかえ損」に言及したものはなく、それらに言及したものがないということ自体が一般的な法解釈とした「建っている限りは取り壊し建てかえの請求が出来ないもの」と考えられていたので、結局は取り壊し建てかえ損の請求はせず、雨漏りの修繕代と取り壊し建てかえなければならないような欠陥を被った精神被害として慰藉料100万円の請求をし、その修繕代と慰藉料の支払いが認められるに止まった。これというのも早草先生と知り合った時期は引渡し後10年たってからで、取り壊し建てかえ損請求は時効で出来なくなっていたからである。早草先生と知り合ってからは先に述べたように欠陥住宅問題の諸概念についての自覚的把握もあり、基礎や骨組みに欠陥があって結局は取り壊し建てかえるほか欠陥が除去できないという場合は、取り壊し建てかえ費用相当の損害賠償の請求が法律上可能なことを確信するに至ったので、私の訴訟がまだ継続していた昭和56年に請けた小林さんらの欠陥住宅訴訟では、正面から取り壊し建てかえ請求をするに至った次第で、私の訴訟が終わった昭和57年5月のほぼ2年半後である昭和59年末、我が国で初めての取り壊し建てかえ損判決(小林判決)を獲得することができたものである。その後も現在にいたるまで多くの取り壊し建てかえ損判決や建売住宅の契約解除判決を得ており、また今なおそれを続けているが、実はこれは私がまだ無知で踏み切れなかった取り壊し建てかえ損請求判決獲得への思い入れが、その後も今に至るまでこの取り壊し建てかえ損訴訟への私の意欲をかきたてているといって過言ではない。

7、取り壊し建てかえ費用相当損判決の持つ意味(新築住宅の一回性)。

 欠陥があれば瑕疵担保責任の履行として欠陥補修やそれに代わる賠償金の請求が出来る。これは法律の定めであるが、周知のようにこの補修や損害賠償について裁判所は極めて限定的な考えを持ち続けており、分譲住宅やマンションの場合の契約解除に至ってはほとんどの請求が退けられているといって過言ではない。なぜだろうか。それは一生に一度の買い物をしながら基本的な部分などに重大な欠陥があった場合、または継ぎはぎだらけの大掛かりな修繕がいる場合などは消費者にとってはもはや求めていた住宅ではなく、そんな家で苦しいローン返済を続けながら一生を過ごしていかなければならないことは全く苦痛である。犯罪被害の場合、例えば金を盗まれても、傷害を受けても日月の経過とともに傷も癒え、いつしか被害の事実を忘れることも出来る。しかし継ぎはぎだらけの補修はその家に住まう限り残り、手抜きされた怒りは消えることがない。この事実を裁判所が知らないか又は重く受け止めてくれないからである。
 つまり裁判所にもわかってほしいのは新築住宅の一回性ということである。一生に一度かけた期待と夢の喪失は簡単には消え去るものではなく、仮に補修によって機能は回復しても、そしてまた出来るだけの美匠が施されても、注文者にとっては満足のできるものではない。たとえ裁判所の判断でその継ぎはぎだらけの補修がみとめられたとしても、もはやその家からは注文者の心は離れている。
 欠陥被害の多寡、補修の可能性の程度の如何にかかわらず、手直し程度ですまない補修は被害者にとっては単なる補修では置き換えられないものであって、本来的に被害者の求める補修は取り壊し建てかえ以外にはないのである。住宅注文の一回性といってよい。
これが洋服や家具や車などであればもう一度買い替えることで欠陥を忘れることも出来る。しかし通常の勤労者にとっては住宅を一生に二度買うことなど全くの不可能事である。
 このような住宅被害の現実があるのに、裁判所は取り壊し建てかえを認めたがらず、取り壊さない補修に固執する。それには欠陥補修を業者が契約上の責任ではなく恩恵的なものとして捉え主張したがるのは立場の違い上やむをえないとはいえ、裁判所までもが、あるいはまた裁判所の専門委員や調停委員までもが「補修をしてもらったら」と、その表現にもみられるように、補修を恩恵として心理的に捉えている言葉を出すのである。これが被害者の気持ちを逆なでする。
 実はこの補修は法律上被害者に認められた瑕疵担保責任追求権に基づくもので、業者側から言う恩恵としての補修ではなく責任としての補修なのである。
 これを明確化し決定化するものが取り壊し建てかえに他ならない。本来的に建物の補修は、手抜きされ欠陥が発生した工程まで建物状態を戻さなければ設計図書通りの補修はありえない。基礎や地盤補強を手抜きし、骨組みの仕口や継ぎ手、溶接を手抜きしたのであれば結局は取壊し建てかえをするほか設計図書(契約)通りの補修はありえないのである。これが私の考えであり信念である。
 これこそ欠陥住宅被害体験と、苦しい一人ぼっちの建築裁判を15年にわたって続けた私の体験の帰結であって、その後もこのテーマに取り組んできた次第である。

8、その他早草先生との出会いや私の訴訟で得たもの。

これはすでにのべたように

  • 欠陥判断の基準
  • 建物の安全性
  • 設計監理の施工からの分離独立
  • 相当な補修方法

など枚挙に暇がないが、これらは拙著『欠陥住宅紛争の上手な対処法』その他に詳述しているのでここでは割愛する。

9、欠陥住宅被害者に対するアドバイス

(1)業者の背信事実をくどくどと言わないこと。
 欠陥住宅ないしは建築技術そのものに対する無知や、それを学習することの困難性への懼れなどが複雑に絡みあって、裁判官をはじめ弁護士には欠陥住宅訴訟忌避感が強い。
 それに本来的に裁判官などには被害者の悲惨な話を聞きたがらなかったり又はできるだけ避けたい気持ちがある。それなのに先ほど述べた欠陥住宅被害の一回性や、その精神被害の深刻性から被害者は約束し又は頼んだことを履行しなかった業者の不信事実をるる述べたがる。またそれをしゃべり終えないと肝心の欠陥現象や具体的手抜きの話には移れない。
 私もそうであったが、被害者は技術問題に無知であるから背信事実を述べることしか出来ない。そしてそれを裁判所が理解してくれれば損害賠償請求を認めてくれ、背信事実が大きく多ければ多いほど賠償金額が大きく多くなるかのように錯覚しがちである。
たしかに慰謝料の請求ではその通りであるが、欠陥賠償の本命である補修費用相当損害については他に欠陥現象のみならず、欠陥原因事実を具体的に特定しそれを除去し、契約上あるべき姿に建物を戻す具体的な方法とその工費を特定しなければ勝訴はおぼつかない。

(2)当初より専門家に欠陥の調査・鑑定や弁護士の助力を求める。
そこでこの訴訟では着手の段階から終わりに至るまで建築専門家である建築士の先生方のご協力がいるのである。
欠陥住宅訴訟解決のキメ手は建築士の協力(調査鑑定)を得て、
    (i)不信事実(精神的、財産的被害など諸事情)
                                                             の訴えと、
    (ii)欠陥原因事実と相当補修方法(工費)
   とをバランスよく主張しなければ所期の目的は達せられない。それには弁護士の助言
   を受けることも必要である。
そして多くを語ることは裁判所の理解を困難にし、結局は何もしゃべらなかったのと同じ結果を招く。

(3)主張の絞りこみが大切。
 この二つの要素の兼ね合いと絞り込みと、主張及び立証の程度は全く弁護士の技量に帰着する。このことを被害者は理解され、委任している弁護士とよく協議して主張の絞り込みをしてほしい。
私の長い訴訟体験から
      『記録の厚さと獲得賠償金額は反比例する』 と法則化が出来ると思っている。
この反比例の法則にくれぐれも留意され、依頼されている弁護士や建築士とよく話し合ってよい結果を得てほしい。

(4)法廷内における業者の難詰活動は避ける。
 それにいまひとつアドバイスしておきたいことがある。
業者に対する腹立ちや、業者の言い分の余りにもバカバカしいすり替えや嘘にたまりかね、裁判所で大声で業者をなじったり、技術論争をしたりしないことである。
なにも知らなかったからこそ手抜きされたのに、これでは裁判所に、「手抜き事実を知っていながら手抜きされたのか」のように、あるいは「素人ではなく玄人で手抜きされることもなかったのではないか」、「為にする訴訟ではないか」、などの疑いを持たせることになる。
今は建築士のおかげで業者主張の不当性はわかっていても、そしてそれを受け売りしているに過ぎないとしても、そのような発言がしばしばされると裁判官に疑惑の念を持たせる。
裁判官は技術問題には素人であっても、人の心やあり方を探り判断するのが仕事である。そ知らぬ顔で被害者の発言を見聞きしていて、被害者の言動からその主張の当否を確かめようとしているのである。裁判は法律が裁くのではなく、法律を使って裁判官が裁くのである。とにかく裁判ではあくまでも専門知識には劣る被害者であることをわかってもらい、裁判官の理解を得ることである。大きな声を出す者が勝つといわれる某国の裁判についての話も聞くが、日本の裁判官は概して、
   「汽車の窓辺で手を握り 送ってくれた人よりも
   ホームの影で泣いていた 可愛いあの娘が忘らりょか」
の傾向が強いことを強く意識しておくことである。

(5)何よりも辛抱が肝心。
 法律上の主張や立証は弁護士や建築士に任せておけばよいのである。
長引く裁判にこらえきれない感情は理解できるが何事も辛抱が大切である。
自慢ではないが先ほど述べたように、私は職業上他人に訴えることが出来なく孤独の戦いを続けた。
   “ならぬ堪忍するが堪忍”である。

(6)訴訟外の活動は慎む。
 そして、裁判をしている以上は裁判の手続きだけで解決するのが法治国家の建前である。くれぐれも法廷外の力、例えばマスコミを通しての告発活動などには走らないことが賢明で、業者が零細であればあるだけそのようなキャンペーンは業者の不信用事実をばら撒き、結局は業者を倒産に追い込んで、もとの木阿弥に終わる可能性がある。
 なお参考までに、当会ホームページ ’07・7・7更新『正す会の窓・・・その40 欠陥住宅を正す活動の思いで その3 ―欠陥住宅紛争を個別住宅紛争として捉える必要―』を参照されたい。

(7)甘えを捨てる。
 それに付け加えておきたいのは、被害者は「甘えを捨てろ」ということである。
被害の事実を訴えれば大抵の人は同情し慰めてくれる。しかし、何度も何度も繰り返しているとそれは訴えからグチに変わり、聞くのにたまりかねてあなたの味方になってくれている人が遠ざかって行く原因になる。あなたが嫌なのではなく、繰り返されるグチは他人にとって苦痛そのものだからである。
 これは単なる友人や知人に対してでなく、あなたが今頼んでいる建築士や弁護士に対しても同様である。専門家に正しく事実を知ってもらうことは必要であるが、いつもいつも同じことを繰り返す必要は無い。被害者の話には悔しさや怨念が混じるから、専門家にとっても聞くことは苦痛となる上、事務のスムーズな処理の妨げとなる。あなたのグチを聞くことに貴重な時間を割くことよりも、あなたのために必要な主張立証の準備に充分な時間をかけてもらうことが必要である。そして専門家はあなたの事件だけをしているのではないという認識も必要である。同じグチを何度も聞かされていると、専門家といえども対応するのが億劫になる。それは結局あなたのための主張立証活動に水をさすことになって、あなたの希望とは裏腹の結果となる。
 被害者だから『何を言っても許される』などの甘えは禁物で、被害者だって言って悪いことは言って悪いのである。

(8)人にものを頼むということの意味を知る。
 一体に人にものを頼むことは難しい。しかし欠陥住宅問題では建築士や弁護士に依頼せざるを得ないことが多い。被害者は、当初全く信頼しきって総てを任せていた業者に欠陥を背をわされた体験から、今度は自分の為に頼んでいる専門家にまで懐疑のまなこを向けがちである。
 欠陥体験から、当初に頼む内容を明確にし報酬などの条件を文書化しておくことは当然のことである。しかし総てのことに亘って疑問や不信まじりの確かめをされると専門家も人の子であるから嫌気が差してくる。もしそのような必要のある専門家なら当初から頼むべきではなかったのだし、断るよりほか方法はないだろう。いったん頼めば頼み切るということも必要である。
 専門家の時間を考え、状況を考えて、相当な機会に相当な面談をするように心がければよい結果が得られることと思う。どのように専門家と接するかということを専門家に合わせて常々考えられ、上手に頼みきることである。
 以上色々と私の体験からご参考になると思うことを述べたが、要は欠陥住宅被害の解決には長い時間がかかるので、業者の言動を見れば耐え切れない時もあろうが最後の結果を信じて我慢されることである。
 先にも述べたが、私は職業上、業者に手抜きされたなどとは他人には言えず、しかも欠陥住宅問題については今のように社会的関心や法律的な措置や対処理論が確立していなかった中で悶々と月日を過ごした。そのような環境に比べれば現在の被害者を取り巻く環境は改善されている。
賢明に対処され被害回復の実を挙げられることをお祈りしている。

 結局、被害回復のために訴訟をしているのならば回復の実をあげることである。それから被害の事実を判事に正しく理解し請求の正当性を認めてもらうことで、訴訟外の不必要なキャンペーンによって業者を倒産に追い込むようなことは避けることである。

『ニワトリを殺せば
              卵は産まない』

(平成19・7・27)