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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その42―

急増する建築紛争の早期解決を図るため、大方の期待を持って新設された『建築専門部』でしたが、当初の期待とは裏腹な現状について、当会代表幹事の忌憚のない思いを綴っております。

 裏切られた建築専門部への期待
   ――横行する業者基準――   (その1)

欠陥住宅を正す会 代表幹事
弁護士 澤田 和也

 平成13年、多発する欠陥住宅紛争の効率的な処理を目指して東京・大阪各地方裁判所に建築専門部が設けられた。
  当時は民事訴訟法の改正前で、専門委員が訴訟法上の制度としては認められていなかったので、それに代わるものとして移付調停という運用上の制度が採用されていた。調停委員中の建築関係者を利用して、その専門的知見の活用によって建築紛争の適正な解決に役立たせようとするものであった。
 いったん訴訟事件を調停事件に移付し、専門家調停委員を選任の上、調停手続きという形で欠陥の有無や程度、相当補修方法、それに変わる相当賠償額などを専門家調停委員の力を借りて判断し、それを基に調停が成立すればよし、成立せずとも訴訟手続きに再度差し戻して、その調停期間中における専門調停委員の答申書を当事者に書証として活用させ、欠陥住宅訴訟の審判に役立たせようとするものであった。
 当初はこの構想はかなりの成績を上げ、専門家委員と裁判官が現場を見たり、欠陥の有無や相当補修方法や賠償額などを裁判所側として把握することに役立っていた。以前に見られたような専門的知見を全く離れた当事者間の主張の応酬だけで、それに専門家でない調停委員が足して2で割る式の進め方で事件を解決していたのに比べれば、本来欠陥住宅紛争が技術訴訟であって専門的知見なしには適正な解決がありえないことから言っても、従来の解決方式を一歩脱却したものとして評価されて良いことではあった。
 激増する欠陥住宅紛争にあわせて建築専門家の数多くが調停委員として裁判所に任命された。
 多数の建築専門家の裁判の場への登場は、裁判所に専門的知見を広めた点では意義があったけれども、本来建築専門家は自分が知得している技術的知見によるだけで欠陥問題の判断をしようとする傾向が見られ、その欠陥判断の基準がいわゆる法律や標準的技術基準を離れた自己の体験や研鑽に基づく事実上の推測とでもいうべき専門的知見によるだけの、いわゆる事実上の安全性の判断となる傾きがある。
 そこで私は、法律上の安全性を離れた事実上の判断が横行することを恐れて、民事法研究会刊「消費者法ニユース」46号(平成13年1月号)に、
  『 最高裁が専門的知見を要するとして本案部からの移付をすすめている 所謂移付
    調停における 欠陥住宅紛争処理の実態
      ―一切合切の丸投げでは業者基準による密室裁判となる恐れがある― 』

という一文を寄稿し、業者基準の裁判所または裁判官への蔓延を防止しようとしたのであった。
 この一文は複数コピーされ、裁判所内部でも多数者に読まれたとは聞いていたが、その後移付調停の運用の結果は全く私の恐れていた業者基準の横行を防ぎとめることが出来なかった。
 私も大阪の民事10部という建築専門部でその後もたびたび経験したが、専門家調停委員の傾向は二つに分かれ、片方の人は建築専門家として法規や技術的基準に則った判断をする、いわゆる法律上の安全性を推し進める人達であった。その人達が加わっている場合には、移付調停といえども調停であるから結果としての賠償金額の譲り合いがあっても、その基本となるベースは法律上妥当なものであった。しかしこれら正統派の調停委員の数はきわめて少なく、むしろ事実上の安全性で押し切ろうとする調停委員のほうが多かった。
 私はいつもこう言っている。

 「調停だから当事者がその主張を譲り合わなければならないのは当然である。し
 かし、譲り合うのは賠償金額だけであって賠償金額算定の前提となる欠陥判断
 や法律上の賠償額算定までも譲り合うのではない。」
「欠陥は法律上の判断基準によって法律上の欠陥として判断し、適正に法律上算定
 された賠償金額を当事者の事情や事案の内容によって譲り合うべきものであ
 る。」

このように私はいつも言っており、その一文でもその趣旨のことを述べておいたが、残念ながらその後の建築専門部における状況は私の危惧していた通りとなって、調停委員のみならず調停主任の裁判官までもが事実上の安全性を口にするか又は暗に押し付けるのであった。
 本来、法律の専門家である裁判官までもがそのような状況になり、専門家調停委員が「まあこんなもんですわ」という法律上の判断基準に悖る欠陥判断をするのも、主観的には事件の処理に追われる裁判官の様子を見て気の毒に思い、解決の迅速化に努力し協力しているつもりであろうことは前掲論文に書いた通りで、ややくだけて比喩的に言うならば『飼い犬は飼い主の意向を知っている』からである。そしてまた裁判官にも「まあこんなものですわ」という言葉に弱い実務コンプレックスがあるからであろうと思う。勉強一本、理論一本ですごしてきた人間には意外と実務コンプレックスがあるものなのである。
 このような次第で今や私の建築専門部に対する期待は裏切られた。かえって建築専門部がない地方の裁判所で、私は法律上の判断基準に則った素晴らしい判決を多々いただいている。 何故だろうか。
 やはり根本的には建築事件には手間がかかり、一つ一つの処理に時間がかかるということであろう。単純な比較は出来ないが、売上代金の回収などの通常の取引事件と欠陥住宅事件とを比べた場合、後者が前者の10倍以上の手間がかかると思う。場合によってはこれ以上の手間がかかる場合もある。裁判官に対する事件の配転はどのようにして行われるかはわからないが、普通に考えれば、その裁判所の総事件数を事件担当裁判官の頭数で割ったものがほぼ平均的な配転数であろう。
 もし、欠陥住宅事件も通常事件と同じように右に述べたような配転をされるとそれは裁判官に対して大変な負担を強いることとなる。ある裁判所で一人の裁判官に対する配転事件数の平均は100件あると仮定したとして、建築専門部の場合でも一人当たり同じ配転数であるとするならば、それは過酷な負担を強いることとなる。最高裁は勿論それを承知のことで建築専門部に対する事件配転に特別の考慮を払っているとは思うが、一旦建築専門部を設ければ総ての建築事件はその専門部にいくところから、当初より受理する可能性のある年間事件数を想定し、相当な数の裁判官を配置していない限り、建築専門部の裁判官の負担は事件が増えれば増えるだけ増すことになる。これは全く私の個人的な推測であるが、建築専門部の裁判官はいつも事件処理に負われていて疲労感がはなはだしいように見うけられる。その結果はできるだけ調停や和解で事件を解決したいということになる。専門家委員も判事の事情を察して積極的に解決努力をすることになるのが自然の傾きというべきである。その結果が事実上の安全性の押し付けとなるのではないかと思える。
 その後の民事訴訟法の改正で「専門委員」という制度が設けられ、特定の困難な事件について裁判官に対し専門的知見を解説し、裁判官の判断に役立たせる制度がとられることとなった。このため、移付調停における事実上の安全性の押し付けや無理な解決結果を恐れる当事者は移付調停を求めなくなり、現在ではもっぱら専門委員を採用する方法が取られている。専門委員は裁判官の諮問に応じるだけで、自己の判断や考えを述べてはならないこととされているが、どこまでそれが厳格に運用されているのかは移付調停の場合と違って我々弁護士の目にふれ又は知る機会がない。だが建築専門部のように専門事件で追われている裁判官が果たしてこの訴訟法上の制限を守っているのか私は疑問に思っている。これに反し元々建築事件が少なくて、しかも通常裁判と同じように配転される地方の裁判所では、裁判官の事件処理に対する負担が少なく、裁判官も数少ない建築事件にゆっくりと取り組むことが出来るのではないだろうか。だからこそ我々が主張し推し進めている正しい法律上の基準による欠陥判断がされ、適正妥当な判決が出されているのではないだろうか。
 建築専門部が生まれて7年目になろうとする今日、建築専門部の今までのあり方を振り返って当初の期待は裏切られたという思いをぬぐえない。今一度当時書かれた前掲論文を読み直していただき、適正妥当な住宅紛争の解決を求めてつくられた建築専門部創設の原点を見つめ、それを推し進める努力をしてほしいと思っている。

(平成19年9月26日)