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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その43―

前回 『正す会の窓・・・その42』でお届けした『裏切られた建築専門部への期待』の続きです。 (その1)で書き尽くせなかった“業者基準”による判断について、代表幹事が裁判所で体験したことを述べております。

 裏切られた建築専門部への期待
   ――横行する業者基準――   (その2)

欠陥住宅を正す会 代表幹事
弁護士 澤田 和也

 前回の(その1)では、多発する欠陥住宅紛争、とくに技術に無知な消費者の救済を目指した住宅品質確保法や、建築基準法上の手抜き防止規定の強化と並んで、平成13年度に新設された建築専門部大阪での運用が、欠陥判断の基準を甘くしたいわゆる業者基準によって処理されている傾向が顕著であることを述べ、これを憂慮する事態として捉える必要があるとの論説を展開した。

 (その1)では筆が足りなかったこの業者基準というのは、単に欠陥判断の基準ということだけではなくして相当補修方法や相当賠償額判断に当たっての基準も含まれている。業者基準が欠陥判断では事実上の安全性論や従来からの慣行と、よくいっても自己の経験に基づく推測的判断であるのと同様、相当補修方法でも新築契約性又は契約上の責任性や、設計図書が表示している美匠性、空間利用性などを考慮せず、単に機能だけが回復すれば足りるとの技術的等価値回復説が展開されている。言うならば本来瑕疵担保責任または債務不履行、もしくは不法行為責任における相当補修方法と責任としての補修方法であり、単に失われた安全性能を回復するだけではなく新築契約で約定された建物の品質性能を回復させるべきものである。従って、構造耐力を回復させるために耐力壁や柱を付加するといっても、やみくもに座敷の中や片隅に設ければ足りるというものではなく、当初の設計図書によって意図されている空間利用性、美匠性等の諸性能をも減殺することなく、設計図書が予定するレベルの諸性能を回復させるのが契約上又は法律上の責任としての補修であろう。

 業者の補修基準はこれに対して恩恵としての補修とも言うべきもので、機能のみ回復すればよい、当初の新築契約性を離れてもよいとする考えが暗に前提とされている。 裁判所も、今まで部内で有力であった民法634条の契約解除の不許の規定を根拠ないし類推規定とする『取り壊し建て替え補修は認められない』との説の延長線上として、当初の平面計画や美匠計画のレベルが落ちてもやむをえないとする補修説が有力というよりは無意識的に当然とする考え方であった。 大阪の建築専門部においても事件の解決を急ぐあまりか、この安易な補修論が横行している。またこれに基づく安上がりな賠償金算定が横行している。

 建築専門部である限り、ここで討議される相当補修とは法律上の責任としての補修であって、仮に裁判上の和解や調停で業者の負担の軽減を認め消費者に譲らせるとしても、相当補修方法を譲らせるのではなく、責任としての補修を前提に算定された補修金額を前提に、当事者間の事情など諸般の事情を考慮し、その金額を譲り合わさせるのが相当な調停案ないし和解案である。これを建築専門部においてもなおざりにされがちなのは同部が負担の重い建築事件を多数抱えているという仕事の重圧からであろう。

 ここで私が経験した大阪建築専門部における状況をまとめておきたい。
文献や資料を前にしてのものではなく、全く私の記憶によるものであるので年月日等の具体的特定に不正確な点があるのはお許し願いたい。前にも述べたように東京・大阪の地方裁判所に建築専門部が生まれたのは確か平成13年の春のことであった。私も長年民間で欠陥住宅を正す運動を繰り広げ、私なりに既往の瑕疵担保理論や、全く民事の実体規定から切り離された行政法規としてだけの建築基準法の解釈に飽き足らず、建基法令と民事実体法との融合的解釈体系をめざし、『欠陥住宅被害の上手な対処法――紛争の本質から見た法的対応策――』を欠陥住宅紛争法学の体系書としてすでに平成8年に公刊していたので、方々から阪神淡路大震災後には欠陥住宅対策の諮問を求められることも多く、例えば国交省からは平成9年ごろ住宅品質確保法の策定準備の研究会に招かれ、最高裁民事局からも非公式ではあるが裁判所での欠陥住宅紛争処理対策に付き相談を受けることもあった。その時、建築専門部の件についても建議したこともあり、大阪においてもつくられた建築専門部(民事10部、正確には建築紛争だけではなく訴訟事件からの移付調停や借地借家の非訟事件も取り扱っている。)の誕生を心待ちにしていたし歓迎をしたのでもあった。当初の同部の部長の運営よろしきをえたのか、建築紛争処理に当たっていた3人の婦人裁判官はいずれも裁判官歴10年を超える正式の判事であり、人格円満、学識経験に富む優秀な人たちで、前項で述べた欠陥判断の基準や相当補修判断の基準も全く我々と同様で、また移付調停で裁判官を補助しその専門的知見の補充にあたっていた専門家調停委員の一級建築士の人達も全く同様の客観的法律規定や標準的技術基準に基づく判断を述べ、事案の処理に協力されたので、多くの難件が調停や裁判上の和解でスムーズに落着した。 ところがこのような状況が部長が交代し裁判官が代わった平成16年頃より一変した。それまでの裁判官に代わってこれらの人よりも年代の若い、裁判官任官後7〜8年からせいぜい10年までと見られる男性の判事補が10部裁判官として登用された。一度に全部が交代するのではなく徐々に交代するので、当初は女性裁判官時代と同じように我々とも同一的法律レベルで事件処理がなされており格別の緊張も対立もなかった。しかし、私の記憶によれば平成17年ごろに入って急に裁判官の態度が職権主義的に変わり、移付調停が調停の域を超えて、調停裁判とでも言うべきものに変質してきた。また移付調停で登用される建築士の質やレベルにも変化が見られるようになった。すでに述べた業者基準を打ち出し、ことあるごとに我々の主張を暗に冷笑するような態度で黙殺するような調停委員が現れ始めた。

 判事はといえば移付調停でも主任裁判官としてこれら業者基準による議論に対し法律基準によって解決方向を正すべきなのに、むしろ業者基準に加担するかのような態度を取って業者よりの調停案を我々に押し付ける傾向が生まれた。

 例えばこんなひどい話もある。
先に述べたように、さほど技術的に困難な事件でもないのに依頼者が調停成立を拒んでいる事件で、建築士調停委員を2名、弁護士調停委員を1名、それに裁判官自体が主任となって合計4人をずらりと並べて、これでもかあれでもかと依頼者本人が拒否するのに延々と長時間にわたって受諾を強要するのである。それはまさしく説得をこえた強要であるといってよかった。午後4時に指定された期日は通常は裁判所の公式執務時間が午後5時なので午後5時までだと受け止められており、私が5時を超えて調停を続けるというので、他に用件もありその旨期日終了を午後5時に求めたのに、彼等はこれを無視し、午後7時近くまで調停案件受諾を依頼者本人に説得したとのことである。したとのことであるというのは、私は午後5時以降は他に用件があって、その後のことは相代理人である弁護士に頼み裁判所を後にしたからである。 我々もこのような調停案受諾の強制をする移付調停手続きにはもはや断る外はないとして、その打ち切りを求め、本来の訴訟手続きに戻った。その調停打ち切りの前後に出された調停委員会の事件に関する調停案の報告書は判決以上に延々として事実認定を述べ、且つ一方的な判断を繰り返していた。通常調停が打ち切られても、そのような判決に匹敵するような内容の調停委員会の事実認定や判断の内容が示されることはない。しかし、彼等がそのような文書を作るのは、調停事件の記録や調べた結果は本来の訴訟事件に利用しないことになっているので、その報告書を一方当事者が書証として訴訟事件に出すことを期待するからである。その報告書どおりの内容の判断を差し戻し後の訴訟事件ででもしたいからでもある。つまり訴訟事件でも調停事件での調停委員の意向を反映させたいとの意図が秘められているのである。  一般的に言って、話し合いで解決が出来、調停で譲り合いで解決できる事件は訴訟になることは少ない。当然のことながら当事者に譲れない一線があるからこそ、または判決で裁判所の見解を示してほしいからこそ訴訟事件として裁判の申し立てをするのである。それをまた調停によって解決しようというのであるから、そもそもそれ自体が自己矛盾で調停で解決できないのは当然のことであるのに、裁判所が調停による解決を暗に強要するのは何故だろうか。

 譲り合いによる解決が望ましいとか、色々お為ごかしの説明がされるけれども、要は裁判官にとって判決を書くというのが大変な作業なのだからではないかと思う。判決そのものの事実摘示や証拠の評価に誤りがあったならば控訴の理由となるし、判決の内容で当事者のいずれに勝敗をつけるとしても、その判事の持つ法律的力量や事案の解決能力が客観的な文書として第三者、とくに裁判所内部の司法行政上の上司の目にさらされるからである。調停や和解であれば当事者の合意によるところから、その当否について担当裁判官が力量の当否を問われることもない。また司法行政上も事件の落着処理の数を問題とするので別に判決で解決せずとも和解や調停で解決すれば足りるのである。

 これは建築事件に限らず通常の事件でも同様であるが、先に述べたように建築事件の審判に手間がかかる上にこのような手間のかかる事件ばかりを抱えている建築専門部の判事は事件をもっぱら調停委員に任せて調停や和解で事件を落着させたいのはある意味で当然のことといえる。

 しかし、建築紛争、とくに欠陥住宅事件では一生に一度のお買い物として返済可能ギリギリのローンを抱ええて購入したマイホームにひどい手抜きがあった場合、生半可な和解や調停では当事者が解決できないというのも当然である。この男性裁判官への交代時期を機に専門家調停委員の質もレベルも代わったように思う。事実上の安全性や業者基準の強要が目立ち始めたからである。これも先に述べたように彼等が積極的に推し進めたというより事件処理に苦しむ裁判官を見かねて解決促進のための方法としてそうし始めたと見ることもできる。  いずれにせよ、建築事件処理の裁判官を増やさない限りは民事10部の実態はますます悪化の傾向を辿るであろう。安直に事件を落着させるため業者よりの解決案を出し消費者の譲歩を求めるよりは、欠陥は欠陥として、相当賠償額はあくまでも相当賠償額として、ともに正しい法律上の判断基準で示し、欠陥住宅被害者に納得を与えたうえで、互譲を説かない限り、相当な建築専門部の運用とはいえないと私は思っている。

(平成19年10月2日)