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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その44―

 『正す会の窓 その42』・『その43』で2回にわたりお届けしています『裏切られた建築専門部への期待』の最終回です。 今回では裁判官の審理の進め方にも問題があるのではないかと、メスを裁判官の在り方そのものにも入れております。 ご参読願い事態改善に尽くしていただくことが、消費者の願いです。 結局 裁判官は消費者と業者との財力、技術的知見力の差をどう考え、消費者保護につくす気持ちを持っているのかの問題ではないでしょうか。

 裏切られた建築専門部への期待
   ――横行する業者基準――   (その3)

欠陥住宅を正す会 代表幹事
弁護士 澤田 和也

 (その2)までで、手間のかかる建築事件の安易な解決方法として、調停委員による『業者基準』の押し付けがされていることを論じてきたが、次に、裁判所自体が直接消費者に和解や調停による解決を表向きではすすめないものの、訴訟審理の実際において消費者に過多な立証を促し訴訟手続きによることをあきらめさせ、やむなく調停や和解をせざるを得ない状況に追い込んでいると思える場合がある。

 その顕著な現れは訴訟準備手続きにおける裁判官の心証の開示の乱用である。新訴訟法では従来の公判だけでの訴訟手続きに代え、主張や立証の準備は公判ではなく非公開の準備手続きで行われることになった。そこで双方の主張が対話・討論方式で整理され、必要に応じ立証準備がされる。「心証の開示」とは、その際判事が当事者に対し、まだその主張を相当と認められるだけの証拠が出されていないと告げて、当事者に追加証拠を求めることをいう。

 欠陥住宅紛争では当然のことながら、業者はすぐには手抜きの事実を認めず、「手抜きがあっても手抜きではない」との強弁を繰り返す。それをまた消費者側は建築士の先生方のお力を借りて、業者の主張は法令や建築基準法や標準工法には適合しないから欠陥であると主張し、立証しているのである。もうこれ以上は客観的な判断基準は見当たらず、もっぱら経験則つまり世の中の常識的判断又は経験からする合理的判断によらざるを得ない段階になっていても、つまり言い換えるならば誰が考えても明白であるようなことについてまで、判事はさらに立証を消費者側に促す場合もある。判事によってはこれを多々繰り返す。

 本来、欠陥住宅紛争は消費者訴訟の色彩が濃く、消費者と業者との間には技術的判断能力において圧倒的な差があり、裁判所にはこのような当事者の能力や資力の差を考慮したうえで、法律上の立証責任や事実上の推定などの法律的方法を活用した消費者保護処理が求められるのに、現在の建築専門部でのある裁判官は“もうこれ以上は裁判官の判断に頼るほかはない”というような自明の事柄についても「未だ心証が形成されていないので更に立証を」というふうに消費者側を追い込んでくるのである。形は“このままでは消費者側の言い分を聞いて勝訴させるだけの心証が作られていない”と親切に追加証拠の提出を求めているように見える。しかしそれ以上は健全な経験的判断に頼る外ない事項にまで立証を求めるのは暗に裁判を拒絶しているのと同じで、消費者側にもはや裁判での立証の努力をあきらめさせ、やむなく移付調停もしくは和解に応じさせ、それによる解決の道をとらせようという意図が秘められているとしか思えない場面に出会うのである。

 現に訴訟上は準備手続きでの裁判官の心証の開示は認められているとしても、大阪の10部以外の裁判所でこのような裁判官による執拗な心証の開示による、あれでもかこれでもかの立証の追加を求められる例はほとんどないといってよい。つまり裁判官による執拗な心証の開示が為される例はほとんど無いのである。というのも我々は建築士の先生方に欠陥住宅の調査鑑定を依頼し、鑑定書に記載されている欠陥原因事実を主張するとともに、判断基準としての法令や標準的技術基準をすでに訴状の段階において特定しているからである。だから無理な立証を促す心証の開示は裁判の拒否と受け止める外はないのである。

 「そもそも論」から言えば、欠陥住宅訴訟は消費者訴訟であり、いかに欠陥の主張・立証責任が消費者にあるといっても、技術的知見では業者に劣るものであるので、この実情を考えると一通りの消費者による欠陥主張と客観的基準による立証が終われば「基準に反しても欠陥ではない」というような馬鹿げた反論による反論を求めること自体がナンセンスであり、つきつめた技術的真実の探求は法廷の場では限られた消費者の財力や鑑定依頼能力から不可能な場合が多く、欠陥をあくまでも法律上の欠陥として訴訟法的真実を求めれば足りるとすることが肝要である。控訴をおそれるあまり慎重にと思っている裁判官の態度が消費者を絶望の淵へ追いやっているのである。法律家である裁判官は事実上の推定、主張立証責任の転換など法律上の手段を駆使して訴訟的真実を認定すべきである。

 このような無理を裁判官が消費者側に課するのも、縷々述べたように手持ち事件の処理に追われているからであろう。多数の案件を抱えて今直ちに判決を書くだけのゆとりがないからなのであろう。ではどうすれば現状の歪んだあり方の是正ができるのか。それは欠陥判断や相当補修方法の業者基準化による安易な方法によるのではなく、むしろ法律上の基準を徹底強化することによって業者側に無駄な抗争をあきらめざるを得なくさせることであり、裁判官は法律上の主張・立証責任や事実上の推定を活用しどしどし判決を書いていくことである。

 最近住宅品確法に基づく建築紛争審査会やその他のADR(裁判外紛争解決機関)が設けられ、住宅紛争の解決が計られている。その中でも、裁判所の建築専門部はその創設の目的からいっても裁判所の建築事件を模範的に処理し、その処理のパターン化によって建築事件処理のレベルを高めるものでなくてはならない。つまり他の裁判所や他のADRに対し指導的役割を果たす解決案を示すものでなくてはならないのである。

 最近ここ10年の阪神震災後の品質確保法などの立法対策や建築基準法の違法建築取締強化的改正が功を奏したのか、今まで多くみられた、筋かいや耐力壁などの手抜きのような、見えすいた古典的欠陥住宅事例は減少しつつあるように思える。この傾向が、裁判所の受理事件を減少させてくれれば裁判所に余裕が生まれ本稿で述べた誤った欠陥住宅事件の処理が是正されていくのではないかとも秘かな期待を寄せている。しかしこれはあくまでの消極的な希望的観測であって、要は正しい法律基準による訴訟運用が無理な業者の抗争をへらし、その減少した事件数による処理負担の軽減がさらに正当な解決を促進していくものであってほしいと思うのである。

 おわりに(その1)において建築専門部創設の4年ほどの間、その頃は偶然にも部長を除く二人の裁判官が女性であった時期にはそれら裁判官が相当なキャリヤのある判事であったこととあいまって移付調停において建築士の技術的知見は受け入れても判断は法律上の基準により訴訟が適正にされてきたのに、その後部長を除く二人の判事が男性ばかりの時期になってから法律上の基準が遠ざけられ、いわゆる事実上の基準、つまり実務上よく言われる「まあ こんなもんですわ」との、自己の体験に基づく推測的な判断が横行するようになったのは、10部にますます建築事件が殺到し、判事も仕事に追われ調停委員もその状況を見て、継続している多数事件を早く落着させようとする意識が働いたためではないかと述べたが、それにまたひょっとしたらその時期に10部の部長(総括判事)の交代が行われたことによるのではないかとも思っている。また後を受け継いだ男性の裁判官たちは前任の女性の裁判官たちよりも年齢(代)が若く、まだ判事でないか判事補か又は判事になろうとしているかの年代の人達で、やはり建築士に対する識見が浅く、押さえがきかず、しかも「これから」という時期で、部長からハッパをかけられると余計に張り切りすぎてその余波が今まで述べた事件を落とすことばかりを急ぐ歪みとなって現れたとも受けとめられる。大阪の建築事件の処理が遅いと指摘され、事件処理を促進させるよう部長が若い判事に訴訟促進方を指示したことにもよるのではないかと想像する。

 裁判官は抱えている事件の判断には上司の意向で妨げられることはないとして、司法権の独立が憲法にも明記されている。しかし長年外から裁判所を見ていると、個々の裁判についての判断の自由があるとはいっても、裁判官は司法行政上の上司には意向を左右されやすい傾きがあるようにも見える。子弟の教育のことなどを思えば誰しも大都会での任地を望むが、そのポストとは限られている。裁判官ならずとも上司の意向が無視できないのも当然で、このような現状の傾向には部長の交代とも無縁ではなかったのだろうかとも私は考えている。

(平成19年10月2日)