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●新着情報
欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その54―

新着情報「平成20年度・第30回定時会員総会のご報告」でご紹介した
当会発足30周年を記念して行われたシンポジュウム進行のガイドとして、
代表幹事がまとめた台本(論文)を2回に分けて掲載いたします。
これで、ほぼ、当日のシンポの詳細がご理解いただけるかと存じます。

(20・6・20)

≪その1≫

≪ 正す会30周年記念シンポジウム ≫

欠陥住宅を排除し正す消費者運動は              
           如何にして生まれ如何にして育ってきたか
――運動の30年を回顧し 今後の在り方を見つめる――

欠 陥 住 宅 を 正 す 会
代表幹事 澤田 和也
(弁護士・体験者)

来る平成20年11月で私たち「欠陥住宅を正す会」は発会満30周年を迎えます。

それを記念して5月の拡大幹事会(大阪)・定時会員総会(東京)の後で、この論文と同じテーマで記念シンポジュウムを持つことになりました。

シンポジュウムには、私をはじめ古くからお世話をしているメンバーが発言者としてお話しすることになっております。 この論文は司会者からどのような運びで発言し、進行させていけばよいかと相談を受け、私なりにシナリオとして書いたものです。 従って司会者の方にはこの発問の内容や運びをご参考にしていただくだけで、また回答の方はシンポで答える方達の考えでしていただくこととなります。 この論文の答えはあくまでも私自身の答えですので、その意味ではこの論文はQ&Aの形式をとりながら標題のテーマで書いた私の考えだとご理解いただけたらと存じます。
(平成20年3月23日)


1、欠陥住宅はいつ生まれたのか

    ―「川西間」「イモスケ仕口」「受け取り」「基礎のタレ流し」
                                  というコトバの登場―

司会者

本日は「欠陥住宅を正す会」満30周年記念の定時会員総会を迎えました。

今まで会を盛りたて活動を続ける世話をした方々もきっと安堵と満足の時を迎えておられると思いますが、これを機会に「欠陥住宅を正す会」が「住宅のクレームに悩む消費者の会」として発足した当時の状況からうかがって、今後の当会のあり方に進路を与えていきたいと思っております。

では、最初に『欠陥住宅』というコトバは、そもそもいつどのような次第で生まれたかについて伺いたいと思います。

回答者

『欠陥住宅』というコトバは、住宅の生産システムが変わったときに生まれたものです。それは昭和40年から50年にかけてのことと言ってよいと思います。

昔は皆が顔見知りの共同社会(コミュニティ)で生活しており、大工も棟梁もコミュニティの一員として顔見知りの関係でした。頼む者も頼まれる者もお互いに信頼関係で結ばれていたわけです。上手下手はあっても欠陥とか手抜きとかの言葉はない時代でした。ご承知のように昭和30年代から40年代にかけて日本社会は高度成長路線に乗って大変革を遂げました。多くの人が住みなれたコミュニティを離れて都会へと集まりました。田舎におれば親子代々の家に住み、格別新築の必要もなかった人たちが都会に出たことにより、マイホームが必要となったわけです。核家族化とも無関係ではありません。その時に登場したのが住宅会社です。

住宅会社は都会に拠点を構え、マスコミ媒体をフルに動員し、顔見知りでもない人間から住宅の注文を取り、それを地場の工務店に下請けさせるという販売生産システムをとったわけです。消費者は契約者である住宅会社を知ってはいても、実際に生産する施工者はまったく知らない人達、新築現場に行かなければどんな人が自分の家を作ってくれているかわからなかったことでしょう。

つまり、住宅が顔見知りのない人達によって作られることとなって、実際に施工する下請けによって、元請の住宅会社から値切られた下請け代金に見合う手抜きが情け容赦なく行われ、欠陥住宅が登場したわけです。下請けは下請け代金に見合う手抜きをしたまでだと、注文者である消費者に何らの責任も感じることがなかったというのが紛争現場にタッチした私の実感です。

その手抜き欠陥の始まりも実は注文者の側からの要望から始まったとみられます。当時『川西間』という言葉が流行ったように、大阪の近郊の門真市とか川西市でどしどし建売住宅や賃貸住宅が建てられ、販売者や賃貸人である発注者側からコストを安く上げ儲けるために手抜きがかえって注文者側から求められたのです。コスト削減のためには情け容赦のない手抜きが慫慂(しょうよう)され、コスト計算からする発注ではなく、「木工一切○○拾万円」というような突っ込みの下請け発注がされ、それは「受け取り」と呼ばれていました。

今お話しした『川西間』というのは、いわゆる本建築では6尺×3尺の畳が1畳で、1畳の畳が6枚で6畳間となったものを、5尺×2.5尺を1畳としてその6枚で6畳間とするといったようなものです。当然小さい面積となり、これがまた受け取り仕事と結びついてコスト削減の効果を生ませたのです。仕口加工による木造軸組み住宅の仕口継手も、仕口加工無しのいわゆる突き付け接合で釘打ちするだけに手抜きされ、これを『イモスケ』ないしは『イモ仕口』と呼んだのです。

今や常態化してしまった捨てコンクリートのない基礎底盤のコンクリート打設も『タレ流し』と呼ばれ、今でもセキスイのような大会社の施工した住宅にも基礎底盤の『タレ流し』がみられるのも全くの驚きです。

こんな手抜きも、もとはと言えば住宅賃貸業者や建売業者からのコスト削減の要望から生まれたもので、それが常態となってこの手抜きが慢性化してしまったわけで、このようなことが高度成長期において行われたのが欠陥住宅の始まりであった訳です。


2、発会当時の消費者運動の状況

   ――団体交渉型の集団活動形態から個別紛争解決に重点を置く運動形態に――

司会者

まず昭和40年代にアメリカで『欠陥車』に対する消費者運動がネーダーという人によって起こされ、そのアナロジーで車が住宅に置き換えられて『欠陥住宅』という言葉が生まれたと聞いていますが、昭和40年から50年にかけての欠陥住宅に反対する消費者運動はどのような状況だったのですか。

回答者

まず昭和40年代は東京で「マンション問題で行動する会」や「プレハブ住宅をよくする会」が生まれました。

おそらく、マンションやプレハブでは欠陥の共通性から、同一欠陥について多数の人を集め会社に圧力をかけやすいのではないかという考えから生まれたものだと思います。が、しかし運動をしてみるとマンションやプレハブであっても、全く同一の欠陥で、同一の業者に補修請求かまたは賠償請求ができるものではなく、一つ一つの売買ないし注文契約が、間取りも仕様も違っており、なかなか共通の要求としての団体交渉に乗らないことが経験的にわかってきたわけです。当時の関西の新聞を見ていただくと大々的に「欠陥住宅」に抗議する集会の模様が報じられ、「欠陥住宅」というコトバが社会的に定着していったことが判ります。戸建住宅については昭和53年11月、当会の前身である「住宅のクレームに悩む消費者の会」が生まれたのがその始まりです。


3、「正す会」の結成

   ――欠陥住宅に悩む段階から欠陥被害を積極的に解決する団体に――

司会者

その発会の集会が、今も当会が使っている大阪北浜のエル大阪(当時は府立労働センターという正式な名称で呼んでいた)で開かれ、多くの欠陥住宅被害者が集まって、悲憤慷慨の叫びとともに団結して被害者救済にあたらなければならないという熱気が会場に渦巻いたことについても、「住宅のクレームに悩む消費者の会」が昭和54年に三笠書房から発刊した『欠陥住宅の体験集』に書かれておりますが、当会はこの会を母体としたわけですね。

回答者

その通りです。当時同会の代表者であった工藤忠正氏や建築士の岡田誠二氏が世話人となって、後に市民住宅生協を作られた竹中東吉さんと共に「住宅のクレームに悩む消費者の会」を組織され、実は弁護士である私もまた「正す会」の初代代表幹事となられた一級建築士の早草實先生も顧問的な役割を期待されて招かれたわけです。

欠陥住宅体験集は8000部作られ、瞬く間に完売し、当時のベストセラーとなりましたが、この書物の全国的な流布がマスコミを含む全国の識者に欠陥住宅問題を社会問題として考えさせる機縁となったといってよいでしょう。週刊ポストや週刊朝日など週刊誌からも又各テレビ局やラジオ局からも欠陥住宅取材の申し込みが相次ぎました。今、当会の東京事務局のお世話を願っている三澤正志さんの欠陥状況も週刊ポスト誌のグラビヤを大きく飾っていたことをありありと思い出します。

司会者

なぜ「住宅のクレームに悩む消費者の会」が「欠陥住宅を正す会」の名称に代わったのですか。

回答者

それほど明確な根拠があるわけではありませんが、「クレームに悩む会」が欠陥住宅体験集を発刊して欠陥住宅問題を社会問題化して以来、全国各地から問い合わせが相次ぎました。クレームに悩む会はいわば、先に述べたお世話をされる方はいても、自然発生的に生まれたもので、体験集の編集やら発刊打ち合わせなどを通じて、いつまでもクレームに悩んでいても始まらない、業者と欠陥住宅について互角に渡り合える専門的な頭脳を持たない限り実際的な解決はありえないなどということ、住宅の契約は敷地の形状や大小、各人の好み目的などから個別性が非常に高く、本来的には同一会社の同一型式またはプレハブであっても画一的な団体交渉だけでは解決できないと自覚されてきたのです。そういうところから住宅紛争の特殊性に即した解決のあり方、つまり個別紛争の解決を目指し、そしてそれに対処しうる専門的な建築士や弁護士の頭脳を持たない限りはダメだという認識に到達したわけです。

そこで個別紛争に対応でき、かつ個別紛争の解決を共通項としての制度改革に結びつける積極的な組織が必要ということになって、翌昭和54年8月に「欠陥住宅を正す会」が生まれたのです。

司会者

「欠陥住宅を正す会」の特色としてどういうことがあげられますか。

回答者

インターネットで「欠陥住宅」に関する会を検索されればお分かりのように、欠陥住宅排除を標榜する団体は数多くありますが、その多くは他面「欠陥のない新築住宅造りのお手伝い」という目的をも入れているものがほとんどで、いわば新築業者が客引き誘引のために欠陥住宅排除を表看板にしている団体がほとんどです。

「正す会」の被害者は業者アレルギーが強く、業者を会員にするとか、住いづくりを標榜するとかということには本能的に拒絶反応を持っていました。それだけ業者の手抜きに苦しみ反発する度合いが高かったわけです。ですから当初より今日に至るまで建築業者を会員にはせず、新築の斡旋紹介も厳に禁止しています。たとえ欠陥のない住いづくりを標榜しても欠陥はいろいろな原因で生まれるものですから、欠陥住宅が生まれないという保証をすることは出来ず、もしそのような事態が発生すれば会の存在自体が危ぶまれるからです。30年間このモットーを通したことは非常に良かったと思っています。そのため派手な活動や運動は行えず、持ち寄りのお金でまかなえる例会での相談中心の活動になりましたが、それなりに30年間倦まず弛まず続けてきたことが良かったのだと思います。「継続は力」であったわけです。後で述べる専門家集団の養成と判例の獲得を目指すことと共に、これが「正す会」の信用の裏付けになったものと思っています。


4、発会当時の被害感情

   ――住いは家庭の器ゆえ、手抜きは家庭の破壊――

司会者

発会当時、つまり30年前の被害者の欠陥の受け止め方はどのようなものでしたか。

回答者

今も昔も住いの欠陥は家庭の欠陥につながり、その人の一生の計画を番狂わせさせることには変わりなく、手抜き業者は社会の背徳者であるという思いには変わりはなかったのです。


5、欠陥についての論理的認識の発展

   ――欠陥を欠陥現象と欠陥原因にとらえ始めた――

司会者

でも現在のように欠陥住宅とは何か、どうして生まれるのかということを論理的につかんでいたのでしょうか。

回答者

ご質問はもっともです。家が傾く、雨漏りがする、戸当たりが悪い、なかなか部屋が暖まらないなど、当時の消費者は欠陥現象または不具合事象を欠陥の正体だと思いその排除を無自覚的に業者に求め、欠陥原因をごまかされて逃げられるかまたは手抜き補修をされるという有様でした。

当時の会合では、

    “業者はシロをクロと言いくるめる。”
   “欠陥なのに欠陥ではなく、それは被害者の責任である”

などという、業者の言い逃れや不誠実な対応にいつも悲憤慷慨の叫びが絶えなかったのです。業者の言い訳が嘘であることは、補修をしても治らず繰り返される欠陥現象から本能的にわかっていても、建築知識がないことから明確に欠陥原因がわからず、それを除却する相当補修方法を求めることが出来なかったのでした。


6、被害者のための専門家集団の必要

   ――被害者のための目となり、耳となり、口となる――

司会者

そういうことが被害者に被害者のための専門家集団の必要を自覚させたのですね。

答者

その通りです。実は私が弁護士として、早草實先生が一級建築士として会に招かれたのは、この悔しい思いが消費者のための専門家の必要を自覚させたからなのです。

司会者

その結果どのような組織化がされたのですか。

答者

毎月定例の日を決めて例会を開き、そこで建築士と弁護士をペアとして体験者も加わってもらいご相談を受けることとしたのです。現行「正す会」が行っているように例会で個々の被害者の被害を個別解決する方法を考えていく中で、だんだんとこの相談体制、専門家集団が理論化されていったわけです。


7、欠陥原因の究明と相当補修方法の把握の必要

   ――建築士の欠陥調査の必要と技術訴訟への脱皮と欠陥判断の基準の確立――

司会者

 その理論化の中で生まれてきた理論の実例を聞きたいのですが。

回答者

素人の消費者は先ほど言いましたように家が傾く、雨が漏るなどの欠陥現象をもたらす欠陥原因は何かということまでは思い至らないわけです。でも家が傾く例で言えば敷地の地盤が悪くて基礎構造がそれに耐えないときも家が傾くし、また当初の軸組みの垂直水平の取り方が悪ければ家は傾くわけで、業者に床の傾きを指摘すると大抵は仕上げの悪さなどで逃げ、小手先の仕上げ補修だけに止めようとします。家が建ってからの基礎構造の取替えや地盤の補強など、きわめ困難でかつ費用がかかる原因は隠したいわけです。ですからごまかし補修が横行し完全な被害回復が遠のくわけです。

この欠陥原因の究明の重要が自覚され、まず建築士による欠陥の調査鑑定が必要で特に欠陥原因の調査が必要ということが認識されたのです。

これはまた訴訟の仕方にも反映してきました。従来弁護士は、雨が漏る、床が傾くなどの欠陥現象の苦情を依頼者から聞き、他の業者にその補修費用を概略見積もらせた上でその金額を補修に代わる損害賠償金として請求し、訴訟途中で鑑定を求め、その鑑定結果をもとに再度主張の整理をするというような他人任せの安易な訴訟を繰り返してきました。そうなると訴訟も諸事情の応酬となって、結局は論点が当事者の怨念と結びつき、業者側からは欠陥に藉口した値切り訴訟であるなど、元来は欠陥原因を技術的に特定してその相当補修方法と相当補修費用を具体的に主張し立証するという本来あるべき技術訴訟から一種の事情訴訟またはエンドレスの怨念訴訟となりがちで、「正す会」以前の法律家の間では建築訴訟はなかなか片付かない、難しいなどとぼやかれるのが通例でした。


8、欠陥判断の基準を建築関係法令に求める

司会者

その結果欠陥原因をまず究明し、相当補修方法を技術的に確定し、相当工費を損害金として請求するという今日の技術訴訟に高められていったわけですね。その他従来の対策法学から脱皮したものがありますか。

回答者

弁護士が何よりも建築士さんと共同研究をしてよかったのは、欠陥判断の基準を建築関係法令の技術基準にもとめるようになったことです。実は早草實先生は、建築基準法に定める技術基準とその第1条にいう同法の定めを「最低限の基準」としてとらえられ、最低限の基準である限りは、それが欠ければ当然欠陥なんだということを教えてくださったわけです。
これは素晴らしいことだったと思っています。

従来の建物瑕疵訴訟が欠陥住宅訴訟へと脱皮したのは、欠陥判断の基準を最低限建築基準法に求めたことで、建物についての一般的な品質基準を理解していない裁判官にとっても当然法律は守らなければならないことは判っているわけですから、判断基準を法律に求めその違反が欠陥だという切り口はまさに当鵠を射たものと思います。これが欠陥住宅訴訟を前進させる大きなモニュメントとなったわけです。


9、従来の瑕疵訴訟

   ――仕様違いの契約のクレーム、つまり事情訴訟だった――

司会者

従来から建物の瑕疵訴訟はあったと思うのですが。

回答者

実際、従来からの民法の解釈者、例えば代表的な我妻栄先生の民法講義を見ても、「瑕疵とは通常物が有するべき品質や性能を持たないこと」などの抽象的な概念規定が書かれているだけで、建物についての瑕疵判断基準などは書かれておりません。当然といえば当然のことかもしれませんが、ずいぶん昔から建物訴訟はあったのに、少なくとも建物における瑕疵が何で判断されるのかという判断基準いついては、具体的に学者や実務家の間で論じられることはなかったのです。

そういうことから、本来であれば建物の瑕疵担保責任についての争いは技術クレームとして理解すべきなのに、仕様違反つまり契約で具体的に決められた建物仕様の違反と受け止められ、むしろ契約のクレームの一態様として無自覚的にとらえられてきたために、欠陥判断の基準がぼやけ、「瑕疵と欠陥は違うのだ」というような考えも出てくる始末でした。

はっきりといって、従来の民法学者には、瑕疵判断の基準を建物の場合何に求めるべきかについては、何らの学問的論及はなかったといっていいと思います。

司会者

欠陥の基準を契約やその当然の前提としての法令に自覚的に求めた結果の実益はどのようなものであったのですか。

回答者

それはまず訴状の作成にも現れています。従来の瑕疵訴訟のパターンでは依頼者の訴え通りまず欠陥原因を瑕疵の要件事実として羅列し、その原因や瑕疵であることの意味は後日裁判上の鑑定を求め請求原因を補充特定すると言うやりかたでした。極端な例で言えばその鑑定事項は
「本件建物に瑕疵あらば指摘せよ、その補修費用は如何」
といった類のもので、欠陥原因と事情が契約のクレームに混在する事情訴訟とでも言うべきものが従来の瑕疵訴訟であったわけです。

司会者

それでは判事も訴状に何が書いてあるのかわからなかったでしょうね。

回答者

まったくその通りで瑕疵の主張かと思えば約定の違反の主張にすりかわり、主張は転々と変わっていくという類のものでしたから、建築訴訟が長引き嫌がられるのは当たり前のことでした。結局欠陥現象と原因を区別し、訴訟提起前に調査鑑定を依頼し、欠陥現象や相当補修方法や工費を予め知った上で請求原因にそれを整理して盛り込むという訴訟スタイルに欠陥住宅訴訟として確立されパターン化されたため、今日見るように大きな前進を遂げたのです。そのパターンの確立に私を含めた「正す会」の役割は大きかったと思います。

つづく