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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その58―

どなたの心の中にも、ふと思い出しては懐かしんだり、また面影をしのんだり・・・・・
いつまでも忘れられない人や思い出があります。
今回は当会創設者の一人で、平成20年9月11日ご逝去された

早草實先生のことを取り上げ、偲びたいと存じます。

(20・1010)

欠陥住宅を正す活動の思い出・・・・・その4

     早草實先生 (1)
                ―― 欠陥判断の基準を教えてくれた人 ――

 『欠陥住宅を正す会』を語るときには、早草實先生のことを抜きにしては出来ない。

昭和53年末に「正す会」の前身の『住宅のクレームに悩む消費者の会』が当時の代表であった工藤忠正氏らの肝いりで結成され活動を開始したが、その際、専門家の助力が必要だということで弁護士では私、一級建築士では早草實先生が招きに応じて参加したのである。そして翌54年発足した『欠陥住宅を正す会』の代表幹事になられた。私はそのあとをついだものである。

同時に私は欠陥住宅の被害者であり、しかも設計施工を請負ったのが一級建築士であったので建築関係者に不信感を持ち、なかなか止まらぬ雨漏りの相当補修代金を求めて建築関係者の助力なしで一人で、この設計施工を請負った手抜き建築士相手の訴訟をしていたのである。

当時の私は全く建築に素人であったから、肝心の「なぜ欠陥が生じているのか」を示す欠陥原因事実とその法的判断のための技術基準を主張することなく、今、私がその脱却を消費者にすすめている“聞けば涙の”事情訴訟そのもので、雨漏りの状況やこの請負建築士の不誠実な対応など相手の背信事実について長々と主張していたのである。そして10年以上も訴訟をしていたのである。

まさに『紺屋の白袴』というべきか、相手方の「黒を白」と言いくるめる論法に翻弄され、雨仕舞いの書物を読んではそればかりの応酬をしていたのであるから、専門家の相手方にとってはまさしく、ネズミを相手にしている猫のきもちであっただろう。

こういう時に早草先生と初めて出会ったのである。

事柄の当然として、先生に自分の欠陥住宅についての相談をし、専門家の調査鑑定がなければダメだということは判っていたので、先生に調査鑑定をお願いしたのである。

そして、先生の鑑定の結果初めて私は自分の家の軽量鉄骨3階建には構造欠陥があること、そもそも3階建ての1階には構造柱として使用してはいけない1.6o厚の軽量型鋼を使用していること、この鉄骨構造がいわゆるブレース構造であり独立基礎には架構構成上繋ぎ梁がいるのに、これが手抜きされていること、雨仕舞いの点も窓回りの水切りやサッシ下場のコーキングが手抜きされて雨漏りがしても当然な状況であるが、抜本的にはこの鉄骨断面寸法不足の型鋼や基礎の手抜きによって、建物に相当な剛性がなく揺れやすいので、防水層も破断し無効になりやすいことなどのご指摘をうけ、それを裁判で主張し、先生の鑑定書を書証として提出し、先生ご自身に証人になっていただいたお蔭で、いつ果てるかも判らずなかば諦めていた訴訟に勝つことが出来たのである。

今で言えば当然この建物には基礎に手抜きがあって、構造柱の断面が不足し相当な構造耐力がなく、建物自体も不等沈下し建物が変形し戸障子も開閉不良となっていたので、取り壊し建かえるほか相当な補修方法がなくそれ相当の工費を損害賠償請求できるものであったが、早草先生の鑑定をいただいた時はすでに遅く、引渡し後10年を経過していたので、この構造欠陥の主張は容れられず、それまで私が自力で出費していた数度の防水のやりかえ工事費やその他の雨仕舞いのやりなおし工事費と慰藉料が認められただけであった。

しかし当時の学説判例では“建物欠陥は財物被害なので、その被害賠償がされれば同時にそれにともなう精神的苦痛も癒される”として慰藉料を認めなかった中での慰藉料獲得はエポックメーキングな判例となった。この判例は私の著書『欠陥住宅紛争の上手な対処法』に収められている(大阪地判昭57・5・27判タ477号)。

このように私自身の勝訴判決だけに先生の鑑定書が役立っただけでなく、実はもっともっと大きな、しかもその後もつづく取り壊し建てかえ損賠償判決獲得や、現在私のもっている欠陥住宅法学体系の建設に役立つ理論的啓示でもあったのである。

即ちこの早草先生の鑑定書によって、欠陥判断の最低限の性能レベルが建築基準関係法令の技術基準であること、その法令基準の解釈基準としては日本建築学会その他の権威ある建築団体の設計規準や施工についての標準仕様書があることを教えられ、まさにこの理論的支柱によって勝訴判決を得ると共に、その後の私の欠陥住宅対策法学に理論的筋金が入り体系化される原因となったのである。

当時、司法界では建築関係法令の意味を知らず単体規定についても集団規定並みの単なる行政規定にすぎず、この違反はなんら私法上の建物瑕疵判断基準にはならない、つまり行政法規と民事法規はその規制する次元が異なるとの考え方がほぼ一般的であり、弁護士で建築関係法令の内容など知っている者は少なかったのである。この中で建築基準関係法令の単体規定はその規定する対象性能、たとえば構造や耐火などの性能については我が国の建物性能の最低限のレベルの基準であり、この観点に立脚すれば不明確な設計図書で中々欠陥が特定されず「言った。言わぬ。」「約束した。約束せぬ。」の事情訴訟に終止符を打つことができる『革命的な鍵』が示されたのである。

かくして私の目が開かされたのであった。

この意味で、早草先生は私にとってかけがえのない先達である。もし早草先生と出会うことがなければ、私の今もなかったとつくづく思う。

(19・2・5 澤田 和也)