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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その59―

今回は“正す会の窓・・・その58”で書きました早草先生の思い出の続きです。

前回は建築法令の実体法的解釈を示された先生の偉業について書きましたが、今回は先生のご略歴と欠陥判断を示された具体的事例についてふれてみたいと存じます。 

(20・1010)

欠陥住宅を正す活動の思い出・・・・・その5

     早草實先生 (2)
                ―― 先生の人となりと思い出 ――

 先生は私より17才年長である。そして92歳になられた今日でもお元気で、時には励ましのお便りもして下さる。

昭和54年、初めてお目にかかった時は先生は65・6歳であられたと思うが、もう当時から髪は真っ白であった。小柄だがしかしとても血色のいいお元気な方で、初対面から正義感の強い方だとの印象をうけた。

先生は兵庫県朝来郡生野町の寒村でお生まれになった。家が貧しく小学校高等科を卒業後豊岡の建築図面の青焼きをしているところで働かれた後、青焼き図面の多くが建築図面だったところから建築に興味を持ち神戸に出て来られた。ここでも昼は設計事務所で働きながら夜学で工業専修学校を卒業された。その専修学校は後に神戸高等工業専門学校、更には神戸大学工学部になった学校だという。卒業後は堺化学(株)の建築部に定年退職まで勤められたとのことで、その間一級建築士の資格をとられ、もっぱら堺化学(株)の工場や社員住宅や事務所などの建築設計に当たられたという。

初対面の時はすでに堺・宿院の近くで建築設計事務所を開いておられた。いわゆる造形家または芸術家タイプの建築士ではなく、建築家というよりは正義感が体からみなぎる社会運動家の感じを受けるタイプの方であった。

出会った時に先生が、「大工の組合に頼まれて建築基準法の講義をしている」と言っておられたが、すでに述べたように、先生の建築基準法(以下建基法)の根本的な理解はまさしく『最低限の基準』という観点に立脚されていて、それを建物の性能レベルでとらえられていた点において、建基法を単なる「建物を建てるときに必要な確認申請の時だけに使う法律だ」との当時の一般建築関係者の理解レベルからはかけ離れて、この法律の本質をとらえられていたのである。

当時もそうであったが現在でもそうであるように、建基法を全く取締り法的な確認申請を得るために知らなければならない厄介な法律ととらえている建築関係者の中では一頭地を抜く存在であられた。このような次第で昭和58年秋頃に現在も顧問で活躍していただいている鳥巣先生や村岡先生に建築専門委員をお願いするようになるまでは、『正す会』の例会での建築相談や会員の欠陥調査鑑定依頼を処理していただいていたのである。

色々エピソードがあるが、そのひとつにいわゆる『基礎底盤の垂れ流し』についてのご見解がある。これは基礎打設に際してまず地盤を掘削し、捨てコンクリートを打設した上でそこに底盤用の型枠組みを組み、その中へ底盤コンクリートを流しこんで正確に底盤施工をすべきなのに、掘削した地盤に漫然と捨てコンクリートよりはぶ厚いコンクリートを流し込み、その垂れ流したコンクリート塊をもって底盤とする基礎の手抜き施工のことを指している。

業者はいつも捨てコンクリートを分厚めに打てばそれ自体が底盤となると主張し、手抜きを否定する。しかし『捨てコンクリート』『基礎底盤』はあくまでも別途のカテゴリーのものである。まず捨てコンクリートを打設するのは、型枠を組むための寸法の墨だしをするためのものではあるが、それだけにとどまらず、捨てコンクリートはいわば底盤下部の型枠の役割をも果たしている。もし捨てコンクリートなしに底盤用生コンクリートを地盤に直接打設するならば生コンクリート中の水分が早期に地中に吸収され、ゆっくりと水分を取り入れることのよって得られる相当な強度を打設されたコンクリートが持つことは出来ない(水セメント比)。

これが技術的・工学的な通説的見解であるけれども、業者は型枠用資材の借り賃と打設費用を手抜きするために、設計図書でも注意的に明記されている捨てコンクリートの打設ですら手抜きをするのである。

それに力学的にみても掘削地盤に直接打設された生コンクリートは、平面的にも立体的にも一定の寸法を持たず、あたかも溶岩が流出し凝固したような奇々怪々な形状になる。それは一定の底盤寸法を要求される構造基礎と見ることができない。というのも寸法が一定しているからこそ地盤からの反力分布も一定し、建物荷重の地盤伝達もスムーズにすることが出来、布基礎であれば一定寸法の形態から全体にわたっての円満妥当な荷重伝達が出来るのである。

理屈はそのようなものであるが、さらに早草先生は、

『建築とは一定の材料に人間が一定の寸法を与える目的的行為である。掘削地盤に漫然とコンクリートを垂れ流すことは一定の寸法を求めていない行為であり、犬でも後ろ足で漫然と地盤を掘削することが出来るがこれと同じような無目的な事実行為であって、垂れ流し底盤の建築学的効用を問う前に、そもそもコンクリートの垂れ流しは建築行為そのものでないのであるから、欠陥以前の問題で、これをもって妥当性を問うのは全くもって埒外のことである。』

このような趣旨を、調査鑑定書や証言で付け加えられた。

これはまさしく論点の法律的核心をついたもので、私が獲得した我が国で初めての取り壊し建てかえ損認容判決の事案(大阪地判昭59・12・26判タ548号)も、この基礎の垂れ流しの当否が争われたが、この判決が当方の請求を受け入れたのは、この早草先生の同事件法廷での証言に与って力があったものと思っている。

  このように早草先生は建築行為を人間の目的的行為としてとらえられ、手抜き行為はこれから外れた非人間的な非倫理的な行為としてとらえられて、欠陥住宅問題の倫理的側面も重視強調されていたのである。この面でも当今見られる世俗的な建築家よりも一頭地を抜く先駆者であられた。

(19・2・8 澤田 和也)