トップページ  
 
本会設立の趣旨  
 
本会の活動方針  
 
入会のご案内  
 
主な行事  
 
例会のご案内  
 
活動実績  
 
会の組織  
 
お知らせ  
 
正す会のバックナンバー  
 
道しるべバックナンバー  
 
お知らせ・その他バックナンバー  
 
●新着情報
欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その61―

今回も、“正す会の窓・・・その58”、“窓・・・その59”につづき、
早草先生の思い出を綴りました。
今回は建築士法・建設業法について内在する制度の矛盾について述べました。

(20・12・10)

欠陥住宅を正す活動の思い出・・・・・その6

     早草實先生 (3)
        ―― 設計監理の施工からの独立の必要を教えてくれた人 ――

今は建設雑誌でも取り上げられず、建築士または建築家の間でも語られない忘れられた言葉に
「設計監理の施工からの独立」がある。
この“ことば”を教えてくれた人は、実は早草先生その人であった。

 『住宅のクレームに悩む消費者の会』が生まれた昭和53・4年ごろ、先に触れたように消費者も建築業者と対等の専門スタッフを持たない限り、到底欠陥原因の正しい把握も出来ず、業者の「黒を白」と言いくるめる目先の欠陥の糊塗に悩まされるだけだというところから、当時会の世話役が、その頃大阪市西区京町掘1丁目の確か大阪建築事務所にあった「設計監理協会」を訪ねて、欠陥住宅被害者へのアドバイスをしたり調査鑑定に当たってくれる建築士さんの紹介を求めたのである。
 なぜ「設計監理協会」を選んだのかは私にはわからない。恐らくその世話役は同協会が消費者サイドに立ってくれる建築家の団体であるということを知っていたか、又は聞かされていたからだと思う。そこで紹介されたのが早草先生であった。

 私もその頃『消費者の会』に体験者兼弁護士として参加していたが、その時まで建築士の団体に「設計監理協会」と「建築士事務所協会」とがあり、またこれと並列的に「建築家協会」があるとは知らなかった。そのとき初めて早草先生からこのことを聞いたのである。

 先生によれば「設計監理協会」は建設業者とは全く無関係の、設計と工事監理を専業とする建築士の団体であり、しかも法人格は持たず、任意団体で、後から延べる事情で主務官庁である建設省(現:国土交通省)が、同会からの申請にもかかわらず社団法人化することを認めないため、法人格は得られず、この確保のために闘っているとのことであった。
 これに反し「建築士事務所協会」は設計や工事監理だけを専業とする純粋の建築士だけの集まりではなく、建設業者が併営する建築士事務所をも会員とする社団法人であるとのことであった。
 最初そのことを聞いたとき、弁護士である私は、弁護士だけが他人から報酬を得て訴訟などの法律事務を行う資格者であり、営利単位であって、法律事務所というのは単に弁護士が事務を執り行う名称に過ぎず、決して法律事務所が法律事務契約の権利義務の主体になるものではないところから、全く奇異に感じ、何はさておきと建築士法と建設業法の勉強をしたのである。
 確かに建築士法によれば、建築士は単なる設計や工事監理などを為し得る法律上の資格に過ぎず、他人から報酬を得て設計や工事監理を行うためには改めて建築事務所の設立認可を都道府県知事から受けねばならず、設計や工事監理の報酬は建築事務所が契約の主体としてこれを受け取ることが出来、建築士だけの資格では有償で設計・工事監理行為をする主体となることが出来ない建前になっていることを知ったのである。
これがまず驚きの第一歩であった。
 恐らくこのことは一般人には今でも余り知られておらず、このことを聞けば驚きであろう。これには色々当局の思惑もあるのだろう。いや当局というよりも日本経済の実体を握っている建設業界の働きかけもあるのだろう。
 設計や工事監理を専業とし、建築業者からの拘束を受けない、又は建築業者に従属しない建築士の団体が出現すれば、結局は正しい三者的設計や工事監理が行われて、できるだけ多くの利潤を求める建築業者にとっては不都合な、つまり儲けが減るというおそれがあるからであろう。
 実際色々な建築、とくに欠陥住宅事件を扱っていて奇異に思うのは、法律の定めにかかわらず三者性を持つべく独立の権限を認められている建築士が、実際に注文者、消費者サイドの少なくとも工事監理は中々行われていないのではないか。否、全然工事監理をしていないのではないかと思われることである。
 何故だろうか。少なくとも住宅注文の段階では仮に注文住宅といわれる建売ではなくオーナーの希望に基づく設計での新築であっても、オーナーの意向は間取りや設備や内外装の材料仕上げなどの素人でも分かることが守られているだけで、つまり結果として適正な工事監理がされたと見られるだけで、構造下地などに関しては工事監理者が付いていながらどうしてこんな手抜きがと思わせることの連続である。そしてその工事監理者も単なる確認申請上の名義人であるに止まり、実際に現場に来て工事監理をしているとは思えないのは基礎や構造躯体に余りにも明々白白な手抜きのある事例が多いからである。まず設計施工と称する大多数の新築契約では、その設計者や工事監理者である建築士は施工請負を行う建築会社の従業員である場合が圧倒的に多い。従業員の建築士であれば使用者である建築会社が「手抜きをしています」と注文者に言えないのは当然で、この設計施工を認めるということが何よりも欠陥発生の温床となっていることである。そして施行業者が難なく建築士に睥睨して、ほしいままな利潤をむさぼれる制度的優位性を勝ち得ているのである。
 仮に、従業員建築士ではなく施工会社とは別途の法人格を持つ建築事務所の建築士ではあっても、施工業者から仕事をもらうという体制が、名義だけが別途の法人というに止まり、業者に対する従属性という点においては従業員建築士と何ら変わることのない業者の優位性を引き出すのである。
 このように、本来三者性を持つべき建築士による工事監理が実質上ほとんどされていないということは、その制度的原因としては、建築士自体が設計や工事監理を行う業務の職能であるという有資格であるとの形式的存在にとどまる。他人の求めに応じて有償で設計や工事監理を行うためには、都道府県知事の認可を受けた建築士事務所を設立しなければならず、これら業務を有償的に行うためには建築士事務所の設立が必要で、その建築士事務所は建築士資格を持つもの達だけに限られず個人・法人誰でも良いというシステムになっているからである。
 これがアメリカの建築士制度と全く異なるところで、アメリカでは設計監理と施工とを厳格に区別し、設計や工事監理は建築士でなければ行うことが出来ず、施工会社は建築士事務所を併営することが出来ないとされ、設計監理と施工とが完全に資格上も営業主体上も区別され、設計監理は施工より完全に独立するシステムがとられている。その理由は前述したからでも明らかであろう。施工業者から従業員として給料をもらいながら、その施工会社が「手抜きをしています」ということを注文主に言うことは事実上不可能であるからである。
 我が国でも戦後すぐの建築士法制定に際しては、この設計の施工からの分離独立が強く主張されたが、莫大な国家予算を背景とする建設業界が「設計施工こそわが国の建築の伝統であり、良い建物をつくる基本である。」などと詭弁を弄し大反対をした。結果、現在の建築士法、つまり誰でも都道府県知事の許可を受けて建築士事務所を設立し有資格の建築士を雇用するか、または自分自体が建築士であれば設監業務が出来、この建築士事務所が設計監理などの建築士業務の営業主体となることが出来るとの法制が作られたのである。
お判りのようにこれが手抜きの温床となっているのである。つまり建築業者は建築士を従業員として取り込むことが出来るために、建築士は公正な設計監理を行うことがしにくくなっているのであり、業者は建築士事務所も併営することによって、「当社は設計はタダでいたします。お得ですよ。」と顧客を集めているのである。
結果として手抜きされればお安くはならず、しかも建築士には設計工事監理は形の上だけではさせる必要があるのだから、建築士費用は結局は業者が負担しており、消費者に対しては費用積算書に設計工事監理費目を設けていないだけで、他の費目にこの費用を上乗せしているだけのことである。
これが「設計監理協会」の主張する設計と工事監理の分離の必要であった。

(平20・12・8 澤田和也)