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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その63―

早草先生との思い出は色々ありますが、今回はその中でも、
いつの間にか消滅した「設計監理協会」にまつわる不思議な体験を述べました。

(2009・2・11)

欠陥住宅を正す活動の思い出・・・その7

     早草先生 (4)
         ―― 古沢鉄之助先生と共に消えた(消された?)旧設監協会 ――

 昭和55年の春頃『欠陥住宅を正す会』の東京の拠点を作るべく、早草先生と一緒に当時神宮前にあった日本建築設計監理協会連合会(設監協会)の本部を訪れた。そこで建築士協会組合活動の一環として調査鑑定業務を束ねておられた伊藤学先生の紹介を受け、先生によって設計監理の独立性の意識が高く三者性の高い建築士さん達のお力を借りて欠陥住宅を正す運動を展開できたのである。
 このとき設計監理協会で知り合ったのが古沢鉄之助氏であった。同氏は別に建築士の資格を持った人ではなく設監協会の事務を束ねる事務局長的な方である。建築士ではないものの専ら設監の施工からの独立を説いておられている方であることを知った。このことは元国鉄の法務部におられたとかで、当時でも60年配の方であったが「建築士の建設業者に対する実質上の従属性が何よりも建築士業務をゆがめている。設監の施工からの分離独立によって建築士と施工業者とのバランスをはかり、欠陥をなくしていく」という考えの方であった。今の私の手許にはこの方の書かれた『自分史』一冊が残っている。これは同氏が自分の思想や業績を書き留めるために書かれた自伝小説のような随筆集である。
 私はその後再訪した時、同氏からこの『自分史』と題する書物をいただいたのである。
以降同氏とは郵便物の交換程度のお付き合いしかなかったが、いつも同氏の唱えられる「建築士の職能としての独立性の問題が欠陥住宅を締め出す決め手になる」との考えに100パーセント同調してきたのであった。
 しかしいつであったか文献が手許にないので具体的詳細は忘れたが、平成の初め頃突如として設監協会が解散され、国交省の肝いりで会員は(社)日本建築家協会に吸収されたと報じられた。しかもその前に同氏が何か周辺業者からのもてなしか現金供与を受け、収賄又は背任行為まがいの事をされたとかで設監協会を馘首されたということが報じられ、と同時にあれよあれよと思う間の設監協会の消滅だったのである。
 私は建設業界や設監業界との間に情報を持たず、事の真相は分からないが、かねて国交省は設計監理の建設業者からの分離独立を求める設監協会好意を持たず、設監協会が社団法人化を希望し求めていたのに国交省がこの社団法人化に永年反対しているという話も聞いていた。
 平成の初め頃のこの突如としての設監協会の消滅は私にとっては衝撃であり、欠陥住宅を防ぐための最高に有力な手立てである建築士の(施工業者からの)独立性を守るためには設監協会が法人化され、業者事務所が多い建築士事務所協会などと対等もしくはそれ以上に育つことが結局は建築士制度の中における欠陥住宅を防ぐ最大の決め手になると思っていた。それでのこの報を聞き甚だ意外と驚くと共に、外堀か否内堀までもが埋まったとの感であった。設監協会が潰された経緯、その後の同協会のメンバー達の動向については何らの報道も見ず、私の知るところではない。それだけに余計に黒い疑惑がもたげてくる。
 設監協会消滅前の古川鉄之助氏の汚職事件による解任問題はひょっとしたら同氏が仕掛けられた罠にはまったのではないだろうかとも思えてくる。
 事の真相は私には判らないが、早草先生を通じて知った建築士としての職能を護る団体の設監協会の消滅の事実を、私は無念の思いで書き残しておきたいと思う。そして併せ少ない接触であったが、同氏が極めて建設業や建築士業の諸問題に通暁され、設監の建設業界からの分離独立を私心なく建設界の発展のために求められていた方であるとの、私の受けた強い印象もここに書き留めておきたいと思う。 古武士のような風貌の方だった。

(平21・2・11 澤田和也)