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●新着情報
欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その66―

入学式に出かけるかわいいランドセル姿のピカピカの一年生を見かけました。新しい門出に胸をふくらませた、晴れがましく健気なすがたは傍の者にも夢と希望と感動を与えてくれます。
当会も初心を忘れることなく活動を続け33年目を迎えました。
前月号ホームページでご案内しましたように来月5月9日大阪・16日は東京でシンポジウムを行います。一年を通じ外出するのに一番の爽やかな季節です。どうぞ皆様のご来会をお待ちしています。

(平21・4・6)

欠陥住宅を正す活動の思い出・・・・・その9

――まず個別紛争の解決から――

 前回“欠陥住宅を正す活動の思い出・・・その8”で欠陥住宅公開の持つ問題の積極・消極の両面について体験した事実を記述した。
 被害者にとって自分の被害つまり個別紛争の解決を求めるのは当然で、それが出発点となって被害者同士で互助激励しあいたいとして欠陥住宅を正す団体を作り、または加入するのであろう。そもそもはすでに本シリーズの“思い出・・・その3”(正す会の窓・・・その40)で述べたように、欠陥住宅被害はその被害者にとっては自分の被害つまり個別被害であって、制度的な改革問題や業者に対する団体示威行動は、個別紛争の解決が仲々はかどらないから行われまたは参加するのが通例である。
 もともと欠陥住宅被害は資本主義社会における注文契約上の被害であって、その被害の是正を求める相手は、注文を受けた業者であり設計や工事監理に関与した建築士なのである。欠陥があってもこれら契約上の関係者が欠陥原因を正しく除去する補修をしてくれるならば、単なる補修問題であって、“被害者”とまでも力むこともない。そもそも“被害者”という言葉には、欠陥は単なる瑕疵ではなく材料や手間を故意に節減しようとして為された手抜き行為に基づく瑕疵であると捉えられている事に由来する。手抜きという言葉との連語で欠陥という言葉が使われているのと同じレベルの発想である。
 そのようなところから、いわゆる手抜き欠陥の場合には、業者や関係者は仲々自己の非を認めず、ともすれば欠陥であることを否認し、欠陥原因をすり替えて安上がりな補修をするか又は引き伸ばして消費者があきらめるのを待つのである。
 この業者の「黒を白」と言いくるめる態度こそが被害者の感情を逆なでし又は激高させるものである。そこで被害者は「黒は黒」であるとし、正しい補修方法を主張するためには、建築が極めて技術的・専門的なサービス提供であるところから、欠陥や相当補修方法を正しく調査鑑定してくれる建築専門家に頼らざるを得ない。それには時として大変な費用がかかる。
 何故、被害を受けた者が本来業者が正すべきはずの欠陥の調査鑑定のために更に出費を強いられるのか、大抵の被害者の不満はまずそこから始まる。  正しい補修方法の処方箋を得た段階で業者が任意に補修に応じればまだ救われる。が、しかし、このようなことをしなければならないレベルの欠陥補修には、たとえば目に見えない構造や基礎の手抜きなどの補修では、時として取り壊し建てかえに匹敵する大規模な修繕行為をしなければならない。それには契約代金に匹敵するほどの費用のかかるときがある。
 そこで業者は、相当補修には任意に応じず、引き伸ばし、消費者のあきらめや自滅を待つのである。
「こんなひどい重大な欠陥があるのに何故業者は補修しないのか。」と被害者はいぶかり激昂するが、以上の次第で、ひどい重大な欠陥の補修には莫大な費用がかかるので、ひどい欠陥であるからこそ業者は仲々補修に応じないのである。
 その結果、ひどい欠陥のある場合には相当補修にかわる損害賠償金の支払いを求めて裁判手続きをせざるを得ない。それには訴訟に素人の消費者では自分だけですることが出来ず、専門家である弁護士に訴訟の代理を頼まざるを得ないので、また出費がかさむ。
 このような手間や費用を掛けても訴訟が順調に進み、それほど長期にわたらない段階で賠償金の支払いを受けられればまだ救われる。しかし『欠陥住宅を正す会』が生まれた昭和4・50年の段階では建築訴訟に通じた弁護士は殆どいなくて、主張は雨が漏る、家が傾くなどの事情主張だけがなされ、ではそのような欠陥現象がどのような手抜きから生まれてきたのか、その欠陥原因を正すためにはどのような相当補修方法があるのか、その工費は具体的にいくらかかるのか等、裁判所が賠償金支払いを判決するために必要な請求原因事実について具体的に正しく主張されることがなかった。
 そこで訴訟は、契約成立のいきさつから施工の状態、欠陥の発見と業者の対応などの事情に終始し、結局は裁判所に鑑定の申し出をし、その鑑定人に欠陥点や欠陥原因及び相当工費について鑑定してもらい、それにあわせて主張をし直し判決をもらうという、迂遠な道を辿ったのである。
 そこで建築訴訟は裁判官・弁護士を含め訴訟関係者からは敬遠され、長期化訴訟の代表のように言われてきたのである。
 この結果、被害者は仲々解決しない長期でかつ費用のかさむ訴訟に疲れ何とか団体活動で業者に圧力をかけ安く早くの実現を目指そうとしたのであった。
 が、しかし欠陥住宅被害はあくまでも個別契約上の被害であって、同じ型式又はプレハブの住宅ではあっても敷地の土質状況や平面計画を含めた内外装の仕様は千差万別で、結局はその住宅について具体的に何が欠陥か相当補修とその費用を煮詰めない限り、その被害者にとっての個別紛争の解決とはならないのである。
 このことが、初期の団体行動による制度改革のアッピール運動だけに頼ることが出来ない、何よりもまず建築士や弁護士などの専門的三者的助力を得て個別紛争の解決手続きに徹することが必要だとの自覚を生み、個別紛争の解決結果の累積が制度改革を生むとの運動目標の自覚の下に「欠陥住宅を正す会」の活動が行われるようになったのである。
 いたずらに制度改革のみに志向する団体も見受けるが、それが個別紛争の解決に要する手間や暇を惜しんでのことであるならば、決して個別紛争の解決には結びつかず、消費者に満足を与えないものである。

(19・1・16 澤田和也)