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●新着情報
欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その69―

 今年も、そろそろ梅雨に入る時期となりました。
雨の日は、静かに雨音に耳を澄まし、ぼんやりと時間を過ごすのもいいものです。
 さて、ご案内しておりました平成21年度のシンポジュウム、5月9日に大阪で、同16日東京で、当会会員の皆様や熱心な研究者の皆様方にご出席いただき、充実したシンポジウムを開催することが出来ました。ありがとうございました。
 そこで、今回の“正す会の窓”は、シンポで使いました代表幹事澤田和也の講演テキストと同じく顧問の鳥巣次郎一級建築士の講演テキストをご紹介いたします。
 昭和50年頃より社会現象として出現した欠陥住宅問題の変遷は、とりもなおさず“正す会”の歴史の記録にも重なっています。過去30年以上に亘る活動を通じ代表幹事が感じたことを語りました。
また、鳥巣先生も建築業界からのしがらみを離れ、あるべき建築士として率直な意見を述べておられます。
  ご出席いただけなけなかった会員の皆様方にも是非お読みいただきたいと存じます。

(平成21年6月1日)

『欠陥住宅を正す会』の歩みと
  数多く獲得した取り壊し建て替え損相当賠償判決の与えた影響

――古典的欠陥住宅時代から知能的欠陥住宅時代へ――

『欠陥住宅を正す会』           
代表幹事 澤田和也(体験者・弁護士)

『欠陥住宅を正す会』が生まれた昭和53年頃は古典的欠陥住宅時代ともいうべき時で、基礎や骨組みの手抜きなど目に見える手抜きが横行し、業者の適切な対応もなく、被害者は悲憤の涙を飲んでいた。その当時は瑕疵担保責任一本槍の時代で、瑕疵判断の基準や相当補修方法なども理論的に確立されていなかった。
 被害者の目となり頭となることを目指した『欠陥住宅を正す会』では、私が中心となって欠陥判断の基準を設計図書、建築基準法令、確立された技術基準に求め、それまでの欠陥現象を羅列して、その原因は専門家の鑑定に委ねるという事情訴訟から、専門家の調査鑑定を先行させて、欠陥原因を特定し請求原因を特定して訴訟を進めるという技術訴訟の手法を確立した。これは法曹界にインパクトを与えた。
 「取り壊し建て替え損請求は出来ない」との当時の有力説を打ち破るもとともなったもので、それは住宅の品質を性能とそのレベルで捉えることから始まった。タカをくくっていた業者らに衝撃を与えると共に、行政当局にも欠陥住宅対策に真剣に取り組ませるきっかけとなった。
 平成7年の阪神淡路大震災後、建基法の改正強化、品確法、瑕疵担保責任の履行の確保等法などの立法対策も立てられた。今やこれらのセーフティネットで損害額のほぼ7割程度までの救済が各地紛争審査会や調停手続きで実現されるようになってきている。これもいままでの取り壊し建て替え損賠償判決のインパクトが平成14年9月24日最高裁判決をもたらした結果であるといえよう。
 なお、上記7割程度まででは我慢できず裁判手続きに及ぶ人もいるが、これらの人の中には「100の損害を120も、いや200も。」というように過大に求めるクレーマーとでも言うべき人も見受けられるようになってきている。しかも理不尽にも専門家の説得に応じず、過大要求を続けるこれらの人達は、ただでさえ手間がかかる欠陥住宅紛争処理を更に手間どらせ、被害者救済にあたる専門家の意欲をそぐ結果をもたらしかねない。非常に残念な事である。
                                                 (平成21・4・16)

一、古典的欠陥住宅時代
 『欠陥住宅を正す会』の前身『住宅のクレームに悩む消費者の会』が生まれた昭和53年頃はまさしく古典的欠陥住宅時代ともいうべきときであった。
 駅前の不動産屋、百姓あがりの建売屋等が活躍した一億総不動産屋時代であった。 手抜きにも事欠いて通し柱を抜くとか、筋交いの一本もない家、基礎底盤は型枠なしの垂れ流しで家が傾いてきている、雨水とトイレの排水を共用した下水道とか、まさしく手抜き戦国時代。大手といえども施工は下請け任せで、出来上がった家の手抜きは駅前の不動産屋と何らの変わりもなかった。
 昭和54年4月三笠書房から出された当会の前身『住宅のクレームに悩む消費者の会』編著の「欠陥住宅体験集」を見れば“考えられない手抜き”と、これに憤る消費者の姿が如実に描かれている。
 この時代の欠陥住宅訴訟は消費者=善、業者=悪とのわかりやすい図式のもとで展開され、また手抜きも目に見える判り易い単純なもので、消費者側には専門的知識に不慣れではあったものの、欠陥現象がもろに出ている事例が多く、裁判官にも理解しやすかったからだろうか、我々も消費サイドの勝訴を数多く獲得した。そしてその頃目指されていたのが「取り壊し建て替え代金相当の損害賠償認容判決」だった。

二、なぜ取り壊し建て替え損判決獲得が目標だったのか。
 住宅は家庭の器であって、高度成長で都会に出てきた者達にとっては、小なりといえども自らの城であり、生活の拠点で、一生に一度のお買い物である。
 三者的に見れば補修で事足りる手抜きの場合でも、買い受けた当人にとっては自分の目指した家はその家だけでしかなく、それと違えばその違いの大きさ如何にかかわらず当人が求めたものではない。住宅は極めて個人趣向、目的性の強いものである。
 しかもその高額な代金から住宅注文は一回性が高く、一回性が高いが故に主観的には取り壊し建て替えるほか相当補修がないと思いつめる。

三、その結果住宅注文は一回性、個別性が高く消費者が許容できる欠陥の幅も極めて狭い。
 そこで取り壊し建て替え請求が法律上認められない以上、その代金を賠償請求することとなる。

四、昭和40年代から50年代における法律界の状況
 法律家が欠陥住宅被害者の救済の根拠法条としていたのは今も変わらぬ瑕疵担保責任であった。
 瑕疵担保責任は手抜きをしようとしたとか、抜いてやろうとかの故意・過失は問題とはせず、ある意味では客観性の濃いものである。
 当時の法律界の状況は、そもそも「重大な過失や故意による手抜き欠陥」などの忌まわしい存在は念頭にはなく、残された法律手段は「全て欠陥は法律にいう瑕疵」として捉えられていた。瑕疵とは瑕も疵も「玉にキズ」の「キズ」で、「名工宗匠でも人であるかぎりあやまちはあり、キズもある。」との「キズ」である。そしてその「瑕疵の修補にかわる『損害賠償』には取り壊し建て替え相当代金などは入っていない」というのが通説であった。取り壊し建て替え相当の損害賠償請求を考える者や、そのようなことを言う者は「法律を知らない素人の類い」との言葉で退けられたのであった。私など、「思いつき」をそのまま喋っているという風に、「法論理に整合性を求め真面目に判例を勉強している」という若い弁護士からも馬鹿にされていた。しかし「これが不合理だ」という「思いつき」が旧弊を破り、新しい価値を生むのである。
 当時100mを10秒0を切って走ることは不可能といわれていたが、まさしく「取り壊し建て替え損認容」はその不可能そのものと思われていた。もう40年も経った今から思い出しても「100mを10秒フラットで走る」とか「エベレストに登る」とかと思いつめた若き日々が懐かしく永遠の思いとして浮かぶのである。

五、後藤勇判事説
 当時のこのような状況を反映しているのが、当時の通説を代表しているといわれた元大阪高裁総括判事後藤勇氏であった。司法界では、とくに裁判官仲間では職業裁判の職人の元締めとしての高裁総括判事の物を言わせぬニラミが強く、大方は私の言うことに心情的な同意を示しても表向きは後藤説に従っていた。「取り壊し建て替えるほか相当補修方法がない」とは認めつつも、その「損害賠償が建物代金の3分の1」としか認めなかった判事もいる。全くのお笑いである(拙著『欠陥住宅紛争の上手な対処法』493ページ以下。I札幌地判昭63・8・11判例集未登載・控訴)。

六、取り壊し建て替え損請求の意義
 当時の状況はこのように業者に有利でこそあれ、普通の消費者にとっては全くバカバカしいほど冷たい反応しか裁判所では得られなかった。
 このように取り壊し建て替え損請求は、「建物は住めればよい」との業者感覚を打破して「住める家にも危険な家と安全な家がある。」「取り壊し建て替えるほか法定の安全性能を回復しない欠陥があれば取り壊し建て替え損の賠償請求が出来る。」として、業者の犯罪行為に究極の賠償を求めようとするものであった。

七、かくして取り壊し建て替え相当損の請求を『正す会』は各地で起こした。
 その詳細は拙著『欠陥住宅紛争の上手な対処法』351ページ以下の各判例に詳しい。
  @神戸地判昭61・9・3判時1238号118頁・控訴(控訴審で和解)
  A大阪地判昭57・5・27判タ477号154頁・確定
  B大阪地判昭59・12・26判タ548号181頁・控訴(控訴審で和解)
  C大阪高判平元・2・17判タ705号185頁、判時1323号68頁・確定
  D大阪地判平3・6・28判タ774号225頁、判時1400号95頁・確定
  E神戸地裁姫路支判平7・1・30判時1531号92頁・確定   etc
これらの諸判例は私が代理人となったものであるが、回を重ね判例タイムズなどの判例報道誌に登載されるたびに、裁判所や弁護士の取り壊し建て替えに求める私の主張に対する反応が積極的なものに変わってきた。“勝てば官軍”とはよく言ったものだと思う。しかしそれはまだ法曹界全体から見れば地味な目立たない流れであった。ようやく私たちの主張が「知る人ぞ知る」段階になったものだったといえよう。

八、私が努力して求めた欠陥判断の基準。
 当時の瑕疵担保責任万能説時代は、実は裁判所も弁護士も「欠陥即ち瑕疵とは何ぞや」ということに関して一定の客観的な認識又は尺度を持たず、「瑕疵は瑕疵」であるとのまるで禅問答のくり返しで、とりあえずは欠陥現象で訴訟を起こし、裁判所で鑑定を求め、瑕疵の請求原因事実を整理し直すというやり方で、事情訴訟が横行していた。欠陥現象がない限り建物の瑕疵はなかったのである。そこで業者や消費者の悪い事情、特に欠陥現象を羅列して事情で勝敗を決めようとするもので、これに対して私たちが注目されてきたのは、私が唱える欠陥住宅訴訟は技術訴訟であり、客観判断の基準を欠陥現象を主とする主観的な瑕疵基準から、設計図書・建築関係法令・構造的技術基準などという客観的な法規範に求めようとするものであった。建物の品質の判断基準を不具合事象から性能とそのレベルに求めようとするものであった。

九、天の啓示―阪神淡路大震災―
 
とはいうもののまだまだ『正す会』の技術訴訟説は「知る人ぞ知る」段階で止まっていたが、これが全国的に法曹界を席巻したきっかけはなんといっても平成7年の阪神淡路大震災であり、構造の安全性能の欠落がこの大惨事を引き起こしたのだとの認識が国民的規模で生じたからである。

十、全国区にdebut
 その頃、現在『欠陥住宅被害者全国ネット』の幹事長をしておられる仙台の吉岡和弘弁護士から三顧の礼をもって迎えられ、私が講師として仙台その他日本各地の弁護士の集まりで講演や講習会を開いたことと、平成8年に竃ッ事法研究会から私の永年の理論上の主張をまとめ体系化した『欠陥住宅紛争の上手な対処法―紛争の本質から見た法的対応策―』が出版されたことによって、私の唱える技術訴訟説が全国的に流布され、各地で欠陥住宅訴訟が起こされて、これが定説になるに至ったことは私事ながら欣快事として、長年の欠陥住宅紛争に対する思い入れがようやく報いられたとの感があった。

十一、セーフティネットが制度化されてきた時代(平成12年頃から平成19年頃まで)
 欠陥住宅問題が社会問題として認識されると共に、建設業の健全な発展を目指す建築関係省庁とくに国交省においてもその対策が平成7年頃より真剣に考えられ具体化され始め、欠陥住宅予防と救済の新しい法令制定の策定がされるようになった。
建基法令の改正強化のほか、
・平成12年の 住宅の品質確保の促進に関するに関する法律
・平成19年の 瑕疵担保責任履行の確保等に関する法律
の策定など、前者は住宅の品質を従来の「住める、住めない、使える、使えない」という不具合事象だけでなく性能とそのレベルで捉えていることと建基法令が対象としている性能事項だけにとどまらず、更にそれよりも広範囲なたとえば遮音性に関する問題なども住宅性能の対象事項とし、そのレベルを客観的に分類していることが特徴的で、おそらく世界的に類例を見ない住宅の品質を性能とそのレベルで特定したレベルの高い住宅品質の特定法律である。世界に誇るに足りるものといえよう。また後者は建設業者に住宅建設にあたって瑕疵担保責任を履行できるだけの資力(供託)又は損保を掛けることを求めたもので、これもまた世界的にもユニークな消費者保護法である。
さらに、建築基準法令の建築士規定が強化されたこともこの流れの一貫である。

十二、古典的欠陥住宅の消滅と
     大メーカーによる型式・プレハブ住宅やマンションなどが住宅業界を席巻
                          ――知能的欠陥住宅時代――
 平成10年代に入ると、全国各地で地元不動産資本を主たる生産者として作られていた木造軸組み住宅はほとんど影を潜め、一時“木三”(もくさん)と言われていた木造三階建て住宅が最後の古典的欠陥住宅史を飾ってはいたものの、それもいつしか消費者側の厳しい指弾のもとで消えていった。
“木三”は、大都市の元大邸宅の跡地などに作られた狭小の三階建て住宅で、一階が車庫、2・3階が住宅というスタイルであった。が、いずれも間口が狭く奥行きが長く、階下に車庫を造るため間口方向に耐力壁がほとんどないのが特徴的であった。しかしこれも又前述のように欠陥住宅リストから姿を消してゆき、住宅買い受けの大方は大メーカーの型式住宅、プレハブ住宅、都会地ではマンションに変わってきて、従来在来工法住宅でよく見られた躯体構造の欠陥はほとんど発見・指摘されにくくなり、専ら遮音性や機密性などの使用上の不具合の苦情に変わってきていた。
 これら型式住宅・プレハブ住宅は大臣認定の特殊工法で、またメーカーはその認定図書を「特許」と言って注文者にも契約図書として渡さず秘匿するので、第三者の建築士がその特殊工法に通暁することは不可能で、欠陥判断の資料さえなく構造欠陥を指摘することはほとんど不可能に近くなった。またマンションに至っては大多数が鉄筋コンクリート造りであり、しかも組合による大幅な非破壊検査を実施しない限りは、鉄筋コンクリートの鉄筋のかぶり厚を除いては構造欠陥の発見が不可能となるに至っている。
 構造欠陥によって取り壊し建て替え費用又はそれに匹敵する修繕費用を賠償金として支出せざるを得なかった住宅業界にとっては“ラッキー、ラッキー”という段階を迎えたのである。大臣認定という一般の者には公示されず、契約に際しても図書として添付されず行政当局でさえ通常認定の有無だけしか確認出来ず、その内容が知られていない工法によって、手抜きフリーパスの時代を迎えたのである。認定に際しては厳重な審査があっても、認定図書通り施工しているか否かは注文者はもとより第三者の建築士にも判らないという、知能犯的手抜きを可能とする工法で、いわば「知能的欠陥住宅時代」が到来したものと言えよう。
 このような次第で、平成15・6年ごろからは新築住宅の構造欠陥被害は発見されにくくなり、当会など全国規模での被害者救済団体でもこのような構造欠陥は以前ほど見られなくなるに至った。
 但し当時においても、前期の古典的欠陥住宅時代に構造欠陥被害を受けた人で未だ救済を受けなかった人達も残っていたので、各地元での専門家になじめないか又は技術上困難な欠陥を持つ人達や、被害者意識が強くて冷静な客観的説得にのりにくい人たちが、当会のような全国的な救済ネットに集まることとなり、被害者とは言うもののその個性の特異性がクレーマーというのにふさわしい人たちも現れ始めたのである。

十三、裁判所の建築専門部の新設と裁判官への業者基準の流入
 平成12年頃からは「住宅品確法」の立法問題と並んで裁判所内部でも建築紛争事件の激増に対処するため、東京と大阪の各地裁に建築専門部が設けられた。またそれと並んで移付調停制度や平成13年の訴訟法の改正で専門委員制度も生まれ、多くの建築士がその建築知識を裁判所に提供し建築紛争処理を助けることとなったが、懸念されていた弊害も起こった。それは本来法律的に紛争を解決すべき裁判所の中に非法律的な「業者基準」が持ち込まれ、忙しさに青息吐息の裁判官に「こんなもんですわ」という業者基準が彼らの手によって蔓延させられていったことである。
 それでもまだ純粋な欠陥住宅被害事件であれば、古典的欠陥住宅は手抜きが目に見えて判りやすく、裁判所も法律基準を適用するのにやぶさかではなかったと思われるが、型式住宅・プレハブ住宅時代を迎えて、持ち込まれる欠陥が欠陥現象を伴わない認定基準の手抜き、即ち性能レベルの手抜きが多く、専門技術的知識がない限りは判りにくくて、裁判所もこれを忌避し頭ごなしに嫌がる風潮が生まれ、「このような難しい欠陥を持ち込む消費者を忌避し排斥している」ようにすらうかがえる状況が生まれてきた。しかし大抵の消費者はすでに制度化されていた品確法に基づく各地弁護士会の紛争審査会などの救済に吸収されていった。
 「100が100」といえば相手がある紛争では解決が難しいが、「100が70」でも「そこそこの線で満足する」というのが大人の知恵であると共に大多数の人々の考えでもあるとしたら、司法手続に解決を求める人々は、純粋に欠陥住宅を正そうという思いが強いのか又はそれなるが故に「100が100」支払われなければという人だけに限局されていき、更に相当な法律的賠償の範囲を超えて「100が120も130も」なければという人たちにも利用され始めたのである。
 こうなってくれば正当な賠償要求というよりは不当なクレーマー要求という色彩が強くなる。建築専門部がスタッフを揃えて機能し始めた平成15・6年頃からはこのようなクレーマーとでもいうべき人が目立ち始めたもので、裁判所も建築士調停委員の言う「クレーマーの不当な要求説」も耳に入りやすくなったのか、被害者も加害者も同列に扱い、技術論争を果てしなく戦わせ、被害者側をクタクタにさせ、諦めさせるという訴訟指揮をとるに至った。
 本来欠陥住宅訴訟は消費者訴訟であり、専門的知識の差から消費者側にはゲタを履かせて実質的平等な審理を展開するのが必要だと考えられるのに、やみくもにこのような両者対等の、徹底的に技術論争を闘わさせる訴訟形態をとるに至ったのには、消費者側を疲れさせ、「100が70」で満足させようとする意図が暗黙裡に裁判所に働いていたと私は推測している。
 消費者の気持ちも理解せず、ただ審理の複雑化を嫌って、このような訴訟指揮をとり始めていた当時の傲慢な40歳も歳はなれた若い判事の態度を思い出すが、今でもこの判事に対する憤怒の念を押さえることが出来ない(当時は「依頼者第一」、「法廷は松の廊下」と思って我慢をしていたが、判っている依頼者からは「あんまりですね、先生。」と逆に慰めてもらったこともある。)。
 これがだいたい現時点における建築専門部における欠陥住宅訴訟の実情で、現在の状況から言えば欠陥住宅被害者は仕事に追われる東京・大阪の建築専門部を避け、地方の合議部で審理を受ける方が従前型の消費者サイドの訴訟審理が受けやすく、特に取り壊し建て替え損判決ではその傾向が顕著であるといえる。

十四、これからの展開
 以上で見てきたように、現在の状況では「100が100」を求めず「100が70」でも「腹八分目に医者いらず」と思う普通の人たちには各地の紛争審査会やそれに至らない示談交渉においても紛争解決はたやすくなっており、『欠陥住宅を正す会』が生まれた当時の「裁判をすれば金も時間もかかり結局は損をする。」との、100パーセント被害者敗訴の時代から見れば改善された状況になってきている。
 この意味では当会が被害者救済、即ち個別紛争の解決に重点を置き、しかも構造欠陥を厳しく糾弾して、不可能とされた取り壊し建て替え損判決をたび重ねて獲得したことは、建設業界はもとより行政や司法機関にも警鐘を与え、今日の結果をもたらすのに与かって力があったものといえよう。
 現に私も、他の『欠陥住宅を正す会』のメンバーも日弁連の住宅紛争解決機関検討委員会を母体として各界に働きかけ、上記各セーフテイネット立法や制度の推進に努めたことも与かって力があったものと考えている。
 この意味では欠陥住宅を正す消費者運動は十分その役割を果たし、大方の被害者の救済はこれら諸制度に席を譲ったものと言えよう。
 ただし、欠陥住宅を根絶したわけでもなければ、悪質な欠陥住宅がなくなったわけでもない。悪質な構造欠陥は依然として存在し、型式住宅やプレハブ住宅、鉄筋コンクリート造りのマンションでは、それが認定図書が秘匿されていることにより、その矛盾や誤りですら発見されにくく、ましてや第三者の建築士にははっきりと欠陥指摘がしにくくなっただけのことである。

十五、まとめ
 以上が欠陥住宅が騒がれ始めた頃から今までの主な段階的考察であるが、今後欠陥住宅問題がどのように展開していくのか、欠陥が発見されにくいプレハブ住宅・マンション時代(知能的欠陥住宅時代)を迎え益々被害救済の困難性が予測されるが、いずれにせよ昭和54年三笠書房より出された当会の『欠陥住宅体験集』の中で、我々被害者が悲憤の涙で叫んだ思いが少しは制度的にも解決されるに至ったのは、やはり我々の努力によって被害回復状況が改善されたと言うべきものであろう。
 そして我々『欠陥住宅を正す会』がこの「欠陥住宅を正し、取り壊し建て替え請求」を闘争の重点に置き、建築業界や建築関係当局に欠陥住宅根絶の決意を抱かせたことも十分に意義のあったことだと総括したいと思う。
 すべて完全なものはないにしろ70点までに至ればしてよかったことだと自負できるし、何よりもここでこの自負を強調しておきたいのは、鳥巣次郎顧問が述べておられているように、この会がそもそも営利的な建築業務、弁護士業務の仕事獲得機関として出発したものではなく、被害者を中心とした実質的に欠陥住宅を正そうとする集まりで出発し、又それであり続け、一部消費者団体にみられる政府や自治体の補助金を当てにせず、会員からの拠出金以外他から一銭の援助を得ないまま運営されてきたことである。
 まさしく「天は自ら助くる者を助く」との格言を地でいく正す会活動であった。

 ところで私自身の家が手抜き欠陥を受けたのが昭和40年、『正す会』の前身である『住宅のクレームに悩む消費者の会』が生まれ、私がそれに参加したのが昭和54年、考えてみると45年の弁護士生活のうち43年間も「欠陥住宅」と共に過ごしてきたことになる。
 決して愉快な思い出ばかりではなく、かえって不愉快なことや腹立たしいことも多かったが、43年も「欠陥住宅」と共に過ごしてくれば、これなくしては私の弁護士活動も無かった訳だし、今、色々とお助けをいただいている方々とも知り合えなかったわけで、このように考えれば、「欠陥住宅もまたよき哉」として「欠陥住宅が取り持つ皆様方とのご縁」を大切にしていきたいと思うのである。
                                                     (平成21・4・16)




欠陥住宅を正す会30周年を迎えた建築専門委員の体験談

――欠陥住宅体験者の今昔、今後 欠陥体験をなくす為の助言――

『欠陥住宅を正す会』           
建築専門委員 鳥巣次郎(一級建築士)

 『欠陥住宅を正す会』が発足して間もない頃から、30年近く欠陥住宅の調査鑑定に携わってきた経験から、欠陥住宅の損害賠償請求訴訟の困難性を目の当たりにしてきた。それは裁判所が他の事件と同じように被害者側に欠陥の主張立証を求める余りに訴訟が長期化することで、それ自体が被害者の苦しみである。被害者側から見れば何故手抜きという犯罪をおかした業者側の言い訳を長々と聞かなければならないのか。これら被害者の苦しみについて『正す会』の会員や専門委員は高価な体験を続けてきた。
 今、通し柱や基礎の手抜きなどという目に見える手抜きの古典的な欠陥住宅時代から、大メーカーの型式・プレハブ住宅やマンションなど、欠陥判断の基準である認定図書が業者の手に秘匿され、より欠陥立証の困難な時代を迎えている。
 欠陥住宅の被害者とならないためには、マンションやプレハブ住宅や型式住宅などの欠陥の主張立証に困難な住宅を買わないことに消費者は気付くべきである。
 家を求める前に、建築士などの専門家にあらかじめ相談をされ、後での苦しみを味合わなくても良い努力をしてほしい。
                                                 (平成21・4・13)


一、「欠陥住宅を正す会における事例
 私が「欠陥住宅を正す会」から建築専門委員の委嘱を受けてから約26年になります。その間、現在に至るまでに約100件の欠陥住宅相談の事例に出会っており、調査結果のまま助言だけで済んだ事例、鑑定書を作成して訴訟にまで及んだ事例等があります。出向いた地域は九州から北海道まで広い範囲に跨がっていますから、如何に欠陥のある住宅を購入した体験者達は、日本全国に存在したのがよく判ります。
 調査の結果だけで済んだ場合は、直ぐに手直しが出来たもの、相手との話し合いで解決したもの、訴訟をするには被害額が小さいので訴訟に馴染まなかったもの、建物に欠陥があるとの理解が間違っていたもの等、類別は多様になります。

二、欠陥住宅の損害賠償請求訴訟の事例
 不幸にして欠陥住宅を手にした為に、訴訟を起こした体験者の事例については、損害程度が比較的大きく、相手が頑迷だから話し合いが出来ず、為に法的判断を受けたいとか、安全性に支障があると考えられ、相手に損害賠償能力が有る確認が出来る等の場合だったと考えられます。
 欠陥住宅損害賠償請求訴訟の場合は、調停成立とか早期和解に従った場合を別にすると、全般に判決に至るには可成りな時日、少なくて3年、多い場合は10年を越えた事例があり、このように欠陥住宅訴訟には解決に長年月を要しました。それには欠陥住宅訴訟には次に説明するような、特殊な理由を考える必要があったからです。
 この賠償請求訴訟の殆どの場合は、欠陥建物の製造者(工事施工者かまたは販売者)は通常の場合建築についての玄人であり、一方体験者である消費者側には、自分が全くの素人であるとの認識が無かったと言えます。

三、欠陥住宅訴訟の特殊性(訴訟解決が困難で 且つ長期間を要する理由等)
 ところが民事裁判の通例として、裁判所の判事は双方の言い分をトコトン、然も対等に聞こうとする姿勢があり、欠陥住宅を作製した玄人業者はこの「黒」い欠陥疑惑を、何とか理屈をつけて「白」(例えばこの程度では欠陥ではないとか、許容の範囲であるとかの屁理屈)であるかのように、上手に言い逃れるのが巧妙で、第三者が聞く限り説得力があるように聞こえます。消費者側である素人体験者は、この詭弁に対しどのように立ち向かうかに大変な苦労があります。

 建築にはPL法といった製造者責任の法律は該当しません。加えるに建築基準関係法令には、建物欠陥の除去を強制する条文が不明確です。
 訴訟の場合、対象物件の欠陥は安全に支障があるから、建て替え 乃至抜本的補修が必要であるとの内容を、具体的に証拠立てをして判事に納得をさせなければなりませんが、これがまた至難であります。判事には被害者の主張を理解してやろうといった姿勢は、当初から乏しいのもその理由です。
 その為に欠陥があり安全の性能に危惧がある事実を判事に理解させるには、普通の弁護士でも、ある程度の建築の専門的知識が要求されますし、通常の訴訟常識だけでの説明でもって、相手業者をうち負かすのが至難に近いのはこの為ではないかと思います。
 欠陥を作った相手は建築の専門家乃至は専門家を雇っているのですから、こちらも専門の建築士を味方にする事を必要とする位なのが実状ですが、然し欠陥に対しての専門的知識を備えた経験のある建築士の絶対数は少なく、且つ事件に触れることを嫌がるキライもあります。
  弁護士も同様のことが言えますが、長時間を要するのにその割に相当した報酬を得難いのも理由の一つに挙げられますが、叉ある意味では普段交友のある同業者を陥れてまでイチゲンの消費者の見方をしても、何らメリットがないとの社会常識が邪魔するのかも知れません。

四、体験者側から見た常識と法律との矛盾
 安全性能に問題を孕む建物は、常識的な判断をすれば、人命に影響を与える危険性も孕んでいるのですが、それなのに法律上では直ちに排除出来ないといった矛盾があります。即ち犯罪者同様な業者の言い訳を、延々と聞いていなければならないといった訴訟の上での苦痛も伴います。

 欠陥住宅を手に入れたことで、訴訟に解決を求めた体験者の何れの皆さんもこのような苦い経験を味わって来た筈です。
 然しそれ以上に「欠陥住宅を正す会」が、長期に亘ってこれらの悪徳欠陥住宅製造者達を相手に戦いを数十年に亘って続け、その間に前例のない数々の判決をかち得て来られたのは、一口で言えば不当業者が世に蔓延るのを許せない正義感、もっと意地悪な言い方をすれば、ボランティアで社会悪と戦っていると自負している専門家のプライドなのですが、困っている体験者からの支持と、感謝を受ける喜びが継続を助長させたと云えます。

五、「欠陥住宅を正す会」が30年の長い間も活動が出来た理由
 この「欠陥住宅を正す会」は、当初から営利事業とは考えず、仕事による報酬を以て生活の糧としなかったと云った、ある意味で生活にも時間にも余裕があった人達が集まり、住居供給者の不正が許せないとの熱意を失わなかったことを理由に挙げても良いのではないでしょうか。公的援助が皆無であるのに、即ち金儲けだけを目的としたのでは、この仕事は出来なかったと言えるのでは無いでしょうか。

六、「正す会」会員の高価な経験
 「正す会」の会員であった体験者には、(欠陥住宅を手にした事により、その欠陥排除の為に訴訟に及んだ人達)、以上のような苦労の経験があったことを申し上げましたが、この事は昔も今も余り変わり無いと思います。

 長い間の経験から今と昔で変わったことを切実に感じるのは、建物の欠陥内容の変化と、欠陥建物を所有する人達の対応です。

 昔の欠陥住宅は、業者の手抜き箇所に凡その感が働いたので、欠陥状態について前もって話を聞くだけで、凡その予測ができました。傾き・ひび割れの原因の殆どは、基礎構造、即ち基礎の底盤が無い所謂垂れ流し基礎、それから構造軸組の筋違欠落乃至緊結不良、木造仕口と継ぎ手の不良、鉄骨継ぎ手に必須の突合せ溶接の欠如、叉基本的な雨仕舞いの知識が無かったのが原因の雨漏り、地盤に相当しない脆弱な基礎構造、等に限られていました。少ない例ではRC構造での鉄筋の欠陥、基礎杭長不足等があり、これは発見が困難ですから、見つけるのに多額の費用を要した事例もありました。

  これらの欠陥建物の所有者達に共通して言えたのは、一部を除いた大部分の体験者皆さんが、建物欠陥に対する不勉強というのか、知識不足と云うか、言い換えるとそのことを自覚した上で欠陥相談に見えたと思いました。
 我々専門委員の云うことに殆ど異論を唱えず全面的な信頼を寄せられたようで、訴訟ではそれが勝訴に結びつく結果を得たのであり、苦労の果ての喜びも専門委員への感謝も大きかったのだと思います。

  僅かの事例ですが、見解の相違から判事を納得させることが出来ずに敗訴となったこと、判事は損害の全てを認めながらも、費用が新築費用を超えると言う理由から認められなかった事例等もあります。

七、今後欠陥住宅問題に関わるには
 最近の欠陥住宅相談に見える方たちは、平均して可成り前もって勉強されているように伺えるのが特徴です。然しその知識が概念的なのは、知識のネタがカタログ雑誌、ハウスメーカーの受け売り等なのに、我々専門家の意見と自分の知識とを天秤に掛ける、このような人達を多く見かけるようになったのは、昔はなかったことです。マスメヂアの社会教育の結果とも云えます。中には今流行のクレーマーかも知れませんが、妙な建築知識を振りかざして、対応する我々は専門家として真面目に対応している訳ですから、いい気持ちが持てない事がありますし、それならばお前の好きな所へ行って相談しろと言いたくなる事もあります。或るいは本当に口に出したかも知れません。こんな事は昔の経験では皆無でした。

 建物の欠陥内容も、昔と同じようなのは珍しくなりました。殆どの住宅は所謂ハウスメーカーの作品か、またはマンション居住ですから、悪質と思われる業者(少なくなったとは思いますが)でも欠陥指摘に対応出来る姿勢が整っており、特に大臣認定の建物提供のメーカー達は、その点の言い逃れが巧妙に用意されているように思います。例えば認定の内容を企業秘密と称して漏らさないこと、それを又法廷がプライバシー擁護として是認する傾向にある事、等が欠陥立証の追求を妨げます。我々専門委員にとっても今後の対策として研究すべき課題の一つだと思います。

 最近は共同住宅の欠陥相談が多くなってきたようです。これは元からあった欠陥が今頃になって明らかになってきたことに拠ると思います。共同住宅で難しい問題は、居住者個々は、共用部分に重大欠陥が存在しても普段は余り関心を持たないようです。
 普段は区分所有の専有部分に対しては、可成り神経質な所有意識があるのに、その割には共用部分である所の建物構造の安全性能についての関心は薄いのではないかと感じます。

 最近になって、やっと例の「姉歯事件」が報じられ、以後建築基準法の大改正が行われて、建築士の設計、監理が厳しく扱われるようになり、業者も昔のような明らかな欠陥建物の施工が困難になって来ましたが、昔からのマンション居住者達も、やっと構造の安全性能が大切であることに気づき出したように思われます。

 然しこれらの建築関係法令の大改正は、必要であり且つ大切ですが、これから建てる建築が対象であって、昔既に建っているものは対象外とも云えますし、不適格建築と呼ぶのみで事実上は無罪放免のままで現状放置の状態になったままなのではないでしょうか。そこまでの法改正は今のところ伺えません。

 この法律改正自体を見ても やたら法文の扱いが煩雑になった為に、昔からの伝統技術に固執した職人気質の大工さんには、多分理解ができず、家が建て難く為ってきたと云うこともあります。実際上の技術判断は紙上では困難だから、より資格を喧しく云い講習を重ねて事足れりとしているように伺えます。理屈の上では納得出来ますが、さて紙面ではない実際現実はどうなりますか。

八、今後の建築の動向
 例えば木造軸組の在来工法での建築では、ご存じのように旧来の継ぎ手仕口工法では手間ひまが掛かるに加えて、実際に施工技術所持の大工も少なくなったせいか、それに代わる誰でもが施工できるが、耐用年限には限りある金物補強で済ませるように変わって参りました。

 歴史的事実も、理論的な根拠もないままで、これを以てかどうか、国が云う「200年住宅」といった荒唐無稽で笑止な宣伝文句に対しても、マスメディアを含め誰からも何らの反論が出ないのも、不思議で無知だとは思いませんか。
 経年50年の木造建物は勿論、同年の鉄筋コンクリート建物の現状がどうなのかを見ても,200年とはどの様な歳月なのかを考えて見て下さい。

九、欠陥住宅体験者にならない為に
 これから住宅を購入しようとされる方は、可成り住居に関しての勉強意欲はお持ちのようですから、高価な物件である家に関しては、将来に亘っての相談相手を、購入時かその前かに選ぶ位の慎重さを持って下さい。建物構造の勉強も大切ですが、型式住宅の認定内容にまで立ち入って欠陥を探すような愚は避けるように、不審があれば寧ろその建物の購入を避けるように、そして型式住宅を支保している地盤に対しては特に関心を持って下さい。
 地盤は沈下するのが当然なのですが、問題は地盤沈下が不等な場合の対応がなければ、どの様な家でも傾く事になります。
 これから個人住宅を建てようと思われる方は、特に地盤についての知識を得ようとなさる方は、今可成り多くの素人向きの書籍が出回って、判り安く理解出来ますから勉強して下さい。でき得る事なら事前に専門家と相談なさることをお奨めします。
マンション購入については、将来に亘っての維持管理を専門家が受託しているかどうかを考慮に入れ下さい。建物構造の設計、施工の可否については、玄人でも、個人的な見極めは容易くはないと云うことも頭に入れて下さい。

 以上で、少し冗長になったキライがありましたが私の説明は終わります。

(平成21・4・13)