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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その76―

近頃「基本的安全性」という得体の知れない化け物が司法界を横行しています。
「建っていれば何より基本的安全性のある証拠」と法律基準を無視してはばからない怪物の横行。
まるで30年前に逆戻りしたような逆コースの昨今。
そこでこの怪物の出所にメスをあててみました。 

(21・10・15)

近頃欠陥住宅紛争で話題となっている「基本的安全性」について

―――やめてほしい。裁判官のコトバ遊び―――

 『基本的安全性』という言葉が使われたのは最判平19・7・6判決が初めてです。
 事件は、賃貸用マンションを購入した買主等が引き渡しを受けたマンションには、壁の亀裂やバルコニー手すりのぐらつき、雨漏りなど多くの欠陥があることを理由に、倒産していた売主に対してではなくその建物を設計・監理・施工した設計者や施工者を相手取って、不法行為責任などを理由に総額5億2500万円也の請求をしていた事件について、一審の大分地裁平15・2・24判決では被告等の設計・施工者等の設計監理及び施工上の注意義務違反による過失を認定し、不法行為責任を認め、7500万円也の一部認容判決を出しました。
 ところが二審の福岡高裁平16・12・16判決は、建物の欠陥については原則として契約責任で処理されるべきであって契約上第三者である設計者等が不法行為責任を負うのは「その違法性が強度である場合」、「瑕疵の程度・内容が重大で、目的物の存在自体が社会的に危険な場合」だけに限定されるとしてこの買主の請求を棄却したのに対し、最高裁判所は「違法性が強度である場合に限って不法行為責任が認められるわけではない」としてこの高裁判決を排斥した上、本件建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるかどうか、ある場合にはそれによって被った損害があるかなどを検討した上で決めるべきものとしてこの高裁判決を差し戻しました。

 そこでここに言う『基本的安全性』とは、建基法令上の構造の安全性についての基準に反することはもとより、直接法令の規定がなくても、危険な手すりの設置の仕方など、建物として基本的な安全性を損なう場合にも不法行為責任が成立すると判示していたものと見られていたのです。ところが差し戻し審判決(福岡高判平21・2・6)では建基法令上の安全基準の違反に触れることなく、建物としての基本的な安全性を害う箇所があるか否かでもって判断すべきであるとしたのです。

 従ってこの判決では法令上の安全基準の違反の有無がかすんでしまい、「基本的安全性があるか否かを裁判官の独自の判断だけで決め、不法行為責任の有無を判断できる。」という論理構成になっています。強いて言うならば、法令上の法令基準(安全基準)に反していても裁判官が基本的な安全性に反していると認めなければ欠陥ではなく、設計・施工者は不法行為責任を負わないという論理展開が危惧されるに至ったのです。
 判りやすく言うならば、最高裁判決では法令上の安全基準違反のほかに建物としての基本的な安全性に反する設計・施工があれば不法行為責任が発生するとして、法令上の安全基準の違反はもとより、法令で規制の対象となっていない、たとえば建物の手すりの仕様などについても基本的な安全性に欠ける事実があれば設計・施工者の義務違反即ち違法性と責任を認めるとしていたのに、差し戻し審の福岡高判では『基本的安全性をもっていればたとえ法令上の安全基準に違反していても設計者や施工者の違法性がない。』ものとして、法令上の安全基準の遵守の有無は問わないという逆転した論理展開をするに至ったのです。
 つまりこの福岡高判は、最高裁が言及した『基本的安全性』という言葉を逆手にとって、不法行為が成立する建物欠陥の範囲を更に狭める方向に判決構成をしたのです(何だか最高裁を逆手で手玉にとったという、高裁側の古手司法官僚の歓声が聞こえてくるようです)。逆コースというだけではたりない思いで、ここ30年の欠陥住宅を正す闘いが踏みにじられた無念の思いです。

 ところでこの2度目の福岡高判を受けてか、最近下級審では基礎の全体にわたって令79条違反の鉄筋に対するコンクリートのかぶり厚さの不足がある事案においても、「基本的な安全性を損なうことがないから瑕疵ではない」として、注文者の請負人に対する損害請求を排斥した事案もあるとのことで、もし事実ならば、これは不法行為の問題ではなく瑕疵担保責任の問題なので、更に反動化が進んでいることとなります。
 またその理由付けとして「築後○○年を経た今日でも建物が倒壊していないこと」などを挙げている場合もあるそうですが、これらは法律上の安全性と事実上の安全性を混同している誤った考え方です。言うならばもしこの『基本的安全性』とは事実上の安全性のことを指しており、単に「この建物はもつかもたないか」という判断者の主観に委ねられているとしたら法律上の判断としては誤りです。

 即ち、これには具体的に建物が耐え得べき限度としての仮定荷重の概念もなければ、その法律上の根拠である法令上の安全基準という概念もみられないからです。
現に建物が潰れていないからこそ将来にもし倒壊するおそれがあるか否かを問う実益があり、その建物構造が耐え得べき限度としての荷重や耐力の法定値については言及せず、単に判断者の主観的事情に委ねているとしたら問題です。判断者は「基本的安全性」の判断基準を具体的に示すべきです。この仮定荷重値を法定荷重値に求めるのが法律上の安全性の問題です。
 ここでは構造の安全性にだけに論点を絞りましたが、広く建物としての安全な生活空間が確保されているかの問題もあります。今回の基本的安全性論の悪用は、論者自体が明確な判断基準についての自覚もなければ明示もしていない点において、すでにその論点の誤りは見えていると思います。
 もし「裁判官が『基本的安全性』に欠けると考えなければ法定基準違反があっても欠陥でない。」というのであれば、司法権による立法権の侵害以外の何ものでもないでしょう。裁判官は「コトバあそび」をしてもらっては困ります。
 法令上の安全基準は長年の建物の損壊状況(歴史的実験)を基に、人為的な技術的実験と建築技術の専門家の討議を経て立法化されたもので、果たして文化系学部の出身者である裁判官がこの法令基準に吟味を加える能力があるでしょうか。思い上がりも甚だしいと思います。
 裁判所は『基本的安全性』についての具体的要件について明確に判断基準を示すべきです。むしろ法令基準そのものが『基本的安全性判断の基準』であるというのが正しい理解である私は思っています。
 本件については後日さらに詳細な検討を加えたいと思います。
端的に言って、裁判官の「コトバ遊び」はお断りです。

(平成21・10・6 澤田和也)