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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その78―

最高裁平19・7・6判決で初めて使われた「基本的安全性」というコトバを受け、
明らかにそれを悪解釈しているとしか思えない判決が、福岡高裁平21・2・6で出されました。
他にも、下級審で同様の判決が出されています。
以来、建築士・弁護士・建築関係者等々に、立場は違ってもその解釈のあり様について重大な衝撃を与えています。福岡高裁判決が出た直後は、ネット上でも疑問と怒りの声で盛り上がっておりました。目にされた方も多いことと思います。
そこで、先月に続き、代表幹事澤田和也の見解を述べました。
    これは“正す会の窓・・・その76”に新たな加筆をしたものです。

(21・11・9)

近頃欠陥住宅紛争で話題となっている「基本的安全性」について

――消費者救済に逆行し始めた裁判所の動向――

一、 昨今、「建築基準法の構造基準に反していても基本的安全性に欠けていなければOK」という判決が、最高裁2007・7・6判決以来下級審判決をにぎわしている。
 素直な考え方をすれば、建物の安全性の具体的な条件を定めたものが建基法令の基準だと思うのだが、どうも「基本的安全性論」の議論はそんな常識的な考えを離れて「建基法令の構造基準に違反していれば安全でないと騒ぐな。基本的安全性に反していなければ基準違反は安全性と無関係だ。」、ともいうべき口吻が読み取れるのは残念である。
 つまり、「国民を代表する国会が定めた法律上の基準に反していても基本的安全性に反していなければ安全である。それを判断するのは裁判所であって基準を定めた国会ではない。」との考えが読み取れるのである。
 たとえば、建物(構造)の安全性に関して、どのような具体的な技術的条件が基本的安全性を充足するかなどの技術基準について、文科系学部の出身者である裁判官が正しい判断が出来ないのはあたり前のことである。安全性の基準は判断者ごとに違うとしても、裁判所の判断は当事者を含めの結果として第三者にも大きな影響を及ぼす。
 司法官である裁判官は、どのような具体的な基準が台風でも地震ででも潰れない家を造るかという具体的な構造(建築)の技術的条件の判断よりは、むしろ建築専門家も含めた立法者が定めた法令基準に案件が違反しているかどうかを判断するのがその分野である。
 司法権が法律、つまり立法権にも優位すると言うのであればそれこそ憲法違反の誹りを免れない。法律に定める安全基準に反することが建築物の安全性に違反すると考えるのが妥当な考え方であると思う。立法・司法・行政が対等な国権の現われであるとするならば、昨今の「基本的安全性論」はこれを無視した奇々怪々な司法の独断だとの誹りを免れないものと思う。
 参考までに、ここで言われている「安全基準」とは、主として「建物構造の安全性」を指しているものと思われるが、「安全基準」には「建物構造が自重や外力に耐えうる基準」のほかに、「衛生」や「防水,耐火」等々、建物が住まう上においても人畜に有害でなく快適におくれる諸般の技術的基準があり、これらについてもその判断を法令や実務界の確立された慣行など、客観的な物差しにそれを求める必要がある。
裁判官の個人的見解や判断が優先するものではない。

二、 一、で述べたように、『基本的安全性』という言葉が使われたのは最判平19・7・6判決が初めてである。
 事件は、賃貸用マンションを購入した買主等が引き渡しを受けたマンションには、壁の亀裂やバルコニー手すりのぐらつき、雨漏りなど多くの欠陥があることを理由に、倒産していた売主に対してではなくその建物を設計・監理・施工した設計者や施工者を相手取って、不法行為責任などを理由に総額5億2500万円也の請求をしていたものです。一審の大分地裁平15・2・24判決では被告等の設計・施工者等の設計監理及び施工上の注意義務違反による過失を認定し、不法行為責任を認め、7500万円也の一部認容判決を出しました。
 ところが二審の福岡高裁平16・12・16判決は、建物の欠陥については原則として契約責任で処理されるべきであって契約上第三者である設計者等が不法行為責任を負うのは「その違法性が強度である場合」、「瑕疵の程度・内容が重大で、目的物の存在自体が社会的に危険な場合」だけに限定されるとしてこの買主の請求を棄却したのに対し、最高裁判所は「違法性が強度である場合に限って不法行為責任が認められるわけではない」としてこの高裁判決を排斥した上、本件建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるかどうか、それがある場合にはそれによって被った損害があるかなどを検討した上で決めるべきものとしてこの高裁判決を差し戻したのである。
 そこでここに言う『基本的安全性』とは上記最高裁判決を素直に読めば、建基法令上の構造の安全性についての基準に反することはもとより、直接法令の規定がなくても、危険な手すりの設置の仕方など、建物としての基本的な安全性を損なう場合にも不法行為責任が成立すると判示していたものと見られていたのである。ところが差し戻し審判決(福岡高判平21・2・6)では建基法令上の安全基準の違反に直接触れることなく、まず建物としての基本的な安全性を損なう点があるか否かでもって判断すべきであるとしたのである。
 従ってこの判決では法令上の安全基準の違反の有無がかすんでしまい、「基本的安全性があるか否かを裁判官の独自の判断だけで決め、不法行為責任の有無を判断できる。」という論理構成になっている。強いて言うならば、法令上の法令基準(安全基準)に反していても裁判官が基本的な安全性に反していると認めなければ欠陥ではなく、設計・施工者は不法行為責任を負わないという論理展開となっており、その点が危惧されるに至ったのです。
 判りやすく言うならば、最高裁判決では法令上の安全基準違反のほかに建物としての基本的な安全性に反する設計・施工があれば不法行為責任が発生するとして、法令上の安全基準の違反はもとより、法令で規制の対象となっていない、たとえば建物の手すりの仕様などについても基本的な安全性に欠ける事実があれば設計・施工者の義務違反即ち違法性と責任とを認めるとしていたのに、差し戻し審の福岡高判では『基本的安全性をもっていればたとえ法令上の安全基準に違反していても設計者や施工者には違法性がない。』ものとして、法令上の安全基準の遵守の有無は問わないかの如く逆転した論理展開をするに至ったのです。
 つまりこの福岡高判は、最高裁が法令基準をこえて言及した『基本的安全性』という言葉を逆手にとって、不法行為が成立する建物欠陥の範囲を逆に狭める方向の判決構成をしたのです(何だか最高裁を逆手で手玉にとったかのごとき高裁側の古手司法官僚の歓声が聞こえてくるようです)。逆コースというだけでは足りない思いで、ここ30年の欠陥住宅を正す闘いが踏みにじられた無念の思いです。
 ところでこの2度目の福岡高判を受けてか、やけに下級審ではこの「基本的安全性論」が横行しかけています。現に、最近下級審で、基礎の全体にわたって令79条違反の鉄筋に対するコンクリートのかぶり厚さの不足がある事案においても、「基本的な安全性を損なうことがないから瑕疵ではない」として、注文者の請負人に対する損害請求を排斥した事案もあるとのことで、もし事実ならば、これは不法行為の問題ではなく瑕疵担保責任の問題なので、更に反動化が進んでいることとなります。
 またその理由付けとして「築後○○年を経た今日でも建物が倒壊していないこと」などを挙げている場合もあるようだが、これらは法律上の安全性と事実上の安全性を混同している誤った考え方である。言うならばもしこの『基本的安全性』とは事実上の安全性のことを指しており、単に「この建物はもつかもたないか」という判断者の主観に委ねられているとしたら法律上の判断としては誤りである。
 なお、「事実上の安全性と法律上の安全性」については、すでに平成8年の段階で、拙著『欠陥住宅紛争の上手な対処法』(民事法研究会刊)108頁〜128頁でその意味を明らかにしている。
 この『基本的安全性論』については、具体的に建物が耐え得べき限度としての仮定荷重の概念もなければ、その法律上の根拠である法令上の安全基準という概念もみられない点においてすでに明らかである。  現に建物が潰れていないからこそ、将来にもし倒壊するおそれがあるか否かを問う実益があり、その建物構造が耐え得べき限度としての荷重や耐力の法定値については言及せず、単に判断者の主観的事情に委ねているとしたら客観的な法的判断の基準ではない。判断者は「基本的安全性」の判断基準を具体的に示すべきである。この仮定荷重値を法定荷重値に求めるのが法律上の安全性の問題である。
 ここでは構造の安全性にだけに論点を絞ったが一、の末尾で述べたように、基本的安全性には広く建物としての安全な生活空間が確保されているかの問題もある。今回の基本的安全性論の悪用は、論者自体が明確な判断基準についての自覚もなければ明示もしていない点においてすでに明らかで、その誤りが見えている。
 もし「裁判官が『基本的安全性』に欠けると考えなければ法定基準違反があっても欠陥でない。」というのであれば、司法権による立法権の侵害以外の何ものでもない。裁判官が「コトバあそび」をすることは国民にとって迷惑千万である。
 法令上の安全基準は長年の建物の損壊状況(歴史的実験)を基に、人為的な技術的実験と建築技術の専門家の討議を経て立法化されたもので、一、で述べたように果たして文化系学部の出身者である裁判官がこの法令基準に吟味を加える能力があるだろうか。思い上がりも甚だしいというべきです。

三、 裁判所は『基本的安全性』についての具体的要件について明確に判断基準を示すべきである。私は逆に法令基準そのものが『基本的安全性判断の基準』であると思っています。
 本件については後日さらに詳細な検討を加えたいと思っている。
端的に言って、裁判官の「コトバ遊び」はお断りである。

(平成21・11・13 澤田和也)