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欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その86―

蛍の飛び交う季節です。
もう長いこと幻想的な青白い光りを見ていませんが、
最近、あちこちの清流に蛍が戻ってきているうれしいニユースも聞かれます。
今回は、去る5月8日と15日におこなわれた当会シンポでの、
建築専門委員鳥巣次郎先生(一級建築士)の論文をご紹介します。

(平22・7・10)


――『欠陥住宅を正す会』の相談会の移り変わり――

(解説)

 今年の総会記念シンポで採り上げ、レジュメ『欠陥住宅被害の態様と欠陥住宅被害者像の変遷』(新着情報:平22・5・28更新)の中で述べられている昨今の欠陥住宅被害の状況、つまり型式住宅やプレハブ住宅の欠陥被害の追及の困難性について、同シンポで述べられた鳥巣先生の発言の要旨が以下でご紹介する同先生の「―『欠陥住宅を正す会』の相談会の移り変わり―」と題する論文です。木造軸組み住宅など目で見て法律違反が判る欠陥の時代から、欠陥判断の決め手になる建設大臣の認定書が消費者に手渡されず、何が約束の認定通りの住宅かが究明されにくい現在の型式住宅・プレハブ住宅の欠陥究明の困難さを述べられたものです。
 上記シンポのレジュメの中でも言われている通り、業者側が「認定住宅が業者の責任で作られる動かない自動車のような製造物である。」とするならば、業者が自ら認定図書を示し、「その通りの施工であって欠陥でない。」ことを主張立証すべきものです。
 鳥巣先生の論文は、この現在の欠陥住宅被害者の、欠陥立証の手段さえ奪われた悲惨な状況に焦点を当てられ、結局は「全ては業者任せの元の木阿弥に欠陥住宅問題を戻そうとしているのではないか。」と、建築当局が意識的にしているのではないにしろそのような結果となっている現状を危惧され、現状の設計図書(認定図書)が手許にない戦いでは、現在の『正す会』で行われている設計(契約)図書を前提とする欠陥住宅の主張・立証活動がほとんど不可能になる状態を心配されているのです。
 果たしてそれでよいのかは判りきったことですが、是非、鳥巣先生の意図するところを諒とされ、欠陥住宅を正す消費者運動にご理解賜りたいと存じます。
 簡単に言えば、「欠陥判断の決め手となる設計図書である大臣認定図書が、消費者に契約時に交付されない現状では、欠陥究明には多額の費用が掛かり、被害救済の実が挙げられない。」というのがこの先生の論文の主旨です。

――『欠陥住宅を正す会』の相談会の移り変わり――

『欠陥住宅を正す会』       
建築専門委員 鳥巣次郎(一級建築士)

 昨年あたりから相談会での内容が変わってきた。昔のような一目見て構造の欠陥が明らかになるような欠陥住宅が次第に減ってきて、主に事前調査を怠ったための不等沈下が表面にでるような欠陥相談が増えてきた。
その辺の原因や事情について、私が感じていることを述べてみようと思う。

1、ハウスメーカーの欠陥住宅対応
 個人住宅の場合、大手のハウスメーカーは、大量生産のための型式住宅は大臣認定を得ただけで良しとするものであるから、認定内容に外れた建物は、良い悪いにかかわらず作らないようである。

 それが消費者には判らないから、あれこれメーカーの窓口に注文をつけるが、メーカー窓口の営業マンは、建築に素人でも営業のプロであるから、消費者の言い分は聞き入れても、契約書としては明文化しないといった訓練を受けている。変更、ないし追加内容は成分化された契約書が出来なくても、既製カタログで充分対応できるので、それを当てはめて受注建物を建築してしまう。消費者側はこの時には自分の言い分が通っているつもりなのである。
 メーカー側は一般的な注文住宅のように面倒な変更手続きをすると、専門的手数や書類作成が必要で、採算がとりがたい所為もあることからの、数多い事例で経験した知恵でもあるわけである。消費者の苦情を聞く立場から考えれば、ここらあたりが紛争になる原因ではないかと考察している。

2、欠陥住宅訴訟の内実
 最近の個人住宅の欠陥訴訟の場合は、一般に需要が多いハウスメーカーの建物が多く見受けられ、その訴訟原因を探ると、消費者側から見れば、証拠となる資料はメーカー作成のカタログだけで、それを証拠書類として偏重するから表面的な内外装の仕上げ面ばかりに目を向けるようである。
 勉強している割には本来の建築に対する知識には乏しくて、マスコミから得た知識だけが多くて、偏った屁理屈には堪能のようである。
 メーカー側から見ると、建築的には素人であっても客あしらいの上手な営業マンが窓口に居り、上手に購入者を説得して受注契約にこぎつけて実績を挙げれば、建築後の消費者の苦情は、可能な限り巧妙に防げるという準備態勢も出来ている。これがある意味での販売実力に繋がり、住宅購入者に大きな影響を与えるようになっていると思う。
 だから訴訟内容といえば、言った、聞かない、の争いであるから、裁判になってもメーカー側の対応は何時でも準備OKのようである。

 欠陥の事実はあったとしても、訴訟に持ち込む資料が消費者側には入手困難な場合が多く、契約内容の不備はもちろん、設計図書の認定内容には法廷が施工側のプライバシーを認める等、悪意の見方をすれば、初めから欠陥の発生は予測されていたかのように、業者側には欠陥訴訟対応の準備が予め出来ているのではないかと言いたくなるほど手回しが良いのである。

 それと地盤問題 (地盤の耐力に相当しない基礎構造による欠陥)
が増えても、地盤、地質に対する鑑定人の知識が充分ではなく、また法廷側も極論すれば無知に近い。建築問題にはPL法(製造者責任法)が妥当しない等の法律上の不備もある。だから欠陥住宅訴訟には原告側に立証責任があり、時間と調査費用が嵩んで、消費者側には不利な条件が重なってしまうのも問題である。

 弁護士も欠陥住宅訴訟では、専門的な知識を多く要求されるから、経験豊富な建築士の助言は不可欠で、その割には賠償請求が可能な金額が低く、費やした手間や時間に相当した報酬が得るのが困難であることから、この種訴訟は敬遠される場合が多いようである。

3、欠陥住宅訴訟が困難な理由
 また最高裁での判決内容にも不明確な点があり(これは日本語独特のいろんな意味に解釈できる曖昧さ)、これを逆手にとって曲解すると、事実上の安全性能が法律上の安全性能を上回るような解釈さえ出来かねないということで、事実福岡地裁でその事例が見られたということである。

 日本語の美点である論理的には曖昧であることが、逆にネックになるわけであって、欠陥であることの論理的説明を的確にするのが困難な場合もある。

 これらを総合的に考えると、事実上の問題を軽視した利巧な人の自惚れ、あるいは建築が占める社会的地位の低さ、建築基準法の不備の見落とし、といくつもの要素がありながら、首を突っ込んで真面目に考えると途方もない大問題に発展する可能性があるので、無関係な人は誰もが避けて通りたいと言ってよい。
 現に姉歯事件があっての後に建築基準法が大改正されたが、一時的には業界の不況を招き、当事者の責任を重くしたのみで、抜本的な改変にはなっているとは思えない事例が多々有るようである。

 例えば耐震基準に沿った建物と、そうでない在来基準の建物の破壊実験をしたところ、耐震基準の建物の方が倒壊したという事例に対して、当事者はどのような反省をしたかといえば、「基準の結果がでるような施工がされていなかった。」という馬鹿げた答えが返っている。
 それは基準を作ったとしても結果がでる施工監視は、社会的に地位の低い建築士任せだけで完璧だ、との前提がそもそも誤りである訳であるが、この事には触れないで済ませるのである。どうもつっこんだ妥当な対策は何ら見受けられない。

4、建物の安全性能が占める社会性
 また、かつて姉歯事件でRC構造の鉄筋を、構造計算時点で鉄筋量が少なくても安全であるかのように偽装して、施工費の低減を謀った事例があって世間を騒がしたが、これも偽装発覚後に驚いて建て替えた物件もあったようであるが、そのまま放りっぱなしの建物もあり、しかも特別に安全性に支障をもたらす異常現象が認められない限りはそのままで使用されているが、法律的には何らの庇護があるわけでもなく、拘束もない。事実上は放置の状態だと思うが、これは問題には値しなのだろうか。

 問題が何処にあるかがよく理解できると思うし、事実は頭のよい人の考えた通りには行かないという実例であるが、頭脳だけが明晰な人にはこれが理解できないようである。
 理屈に合わない事例を、頭の良さだけで解決するのに無理がある。これは当然であろう。ではどうすれば良いかが問題だと思うが、然し誰も手をつけない。

 世間的には我が事とこの問題とを比べて、過小視したのではないかと思うが、一時的にしか社会問題化されなかったのは、大衆が無関心であることの証拠ではないだろうか。逆に言えば理解しなければならない大問題を、殊更理解しようとせず、理解できるようにはPRしなかったといっても過言ではないと思う。

 何時か判らないが、当分は訪れる可能性の低い大地震に遭遇しない限り、マスメディアにとっては、価値あるニュースではないとの理由があるかもしれない。だから為政者にとってもこれらは、ずっと先の問題であって、現在は取るに足らないほんの小さな問題なのだというような理解しか出来ないのではないか。

 放置したとしてもたった今の日々の国民生活には大きな支障が生じない、といった為政者の放埓さも、この問題は軽視されているようである。よくあることである。

 私はこの件については先に姉歯事件が起きたときに、問題点を挙げて報告書にしたが(このレポートは第2編に収録)、あれから何年か経つが、改変されたのは建築基準法と建築士法の改正のみである。そして前にも述べたが、業界の不況と設計者の責任加重だけで終わったようだが、確かに必要な事ではあったが、それだけで良しとして済ませる問題ではないと思うのである。 然し結果的にはそれで良しとしたとしか思われない。

(平成22・5・8)

(後書)

 結局、型式住宅やプレハブ住宅の契約に際して、その工法の主要論点を明らかにする大臣認定図書の交付がなければ、消費者にとっては果たして正しい認定図書通りの施工がされているかどうか判らず、一応は一般的な建築理論からみておかしいと思われる場合にはメーカーが認定図書を提出しない限り、消費者が訴訟を起こし裁判所を通じての認定図書の取り寄せしか方法が残されていない現況では、メーカーはまるで赤子の手をひねるように思いのままの手抜き施工を続けることができる仕組みになっているのです。
 たとえ工事監理者を選んでも、その工事監理者の手許に認定図書がなければ適正な工事監理を行うことが出来ないわけで、この点からも認定図書の消費者への交付のない現況では、実質上第三者の建築士による工事監理の制度すら骨抜きにしているのです。
 以上のことを危惧されている鳥巣先生のご意見は、先般のシンポ『欠陥住宅被害の態様と欠陥住宅被害者像の変遷』において明らかにされた通りで、平22・528日更新:同シンポのレジュメと併せこの論文をご熟読されるようお願いいたします。

(平22・7・10)