トップページ  
 
本会設立の趣旨  
 
本会の活動方針  
 
入会のご案内  
 
主な行事  
 
例会のご案内  
 
活動実績  
 
会の組織  
 
お知らせ  
 
正す会のバックナンバー  
 
道しるべバックナンバー  
 
お知らせ・その他バックナンバー  
 
●新着情報
欠陥住宅を正す会の窓

昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている

         欠陥住宅を正す会では、

このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。

 

―正す会の窓・・・その92―

正す会の窓・・・その88(10月1日更新)より、3回にわたりご紹介してまいりました代表幹事の欠陥住宅体験記も今回が最終回になります。
お読みいただいた方から「欠陥が露見してからの建築士や業者の不誠実な対応は自分のケースとそっくりです。」とか、「裁判を起こすにしても建築紛争に専門的知識のある頼れる弁護士や建築士に出会えず、時効の関係で不本意な和解で解決をした。」というメールをいただきました。
許せない建築関係者の不道徳な言動、厳しい法律の壁、
被害者の心は2度も3度も傷つきます。
今回は、平成14年に最高裁が取り壊し建て替えを認めるまでの、一般的な欠陥住宅訴訟の流れについての話しです。少々長くなっていますが最後までご覧ください。
現在は、裁判所の欠陥判断の基準も確立され、訴訟の解決は以前よりは早くなっています。

(平 22・11・15)

欠 陥 住 宅 に 出 会 っ た ら
――被害体験と40年の対策活動から得たレシピ―― (その3)

『欠陥住宅を正す会』
代表幹事 弁護士 澤田和也

4、裁判所を含めた法律関係者の盲点
 多くの消費者は裁判所を万能と信じて、欠陥現象さえ訴えれば、裁判所が相当な建築関係者を鑑定人に選んで、欠陥問題を消費者側に有利に処理してくれるものと思っていることでしょう。建前から言えばそうあるべきですが、最近になるまで法律関係者の間には、建築関係者がその技術や見識、経験、研究結果の観点から欠陥かどうかを判断すればよいと考える傾向が強く、裁判所が選んだ鑑定人が欠陥だといえば欠陥であるとの判断をし、鑑定人が「このような補修が必要でこれだけ費用がかかる」と言えばほぼその通りの判断をしてきました。もし当事者がその判断に不服ならば、新たな鑑定人を選任してその意見を求め、一回目と二回目の鑑定で異なる答えが出れば、再々度の鑑定を求めるということが繰り返されてきました。つまり、欠陥判断の基準が確立していなかったために、弁護士や裁判所は、欠陥に絡む判断をすべて建築家に任せていたのです。法律家でありながら、建物の品質性能の最低限の基準が法律に定められていることに無知なために、設計図書や仕様書に反することが欠陥であることは理解していても、その設計図書がすべてを尽くしているわけではなく、その「設計図書自体が依頼者の希望から外れていたり、法律上の最低限の品質レベルを下回っている場合がある」と言うことが意識されなかったのです。ですから、欠陥か否かは鑑定人の個人的な主観や経験や意見に基づく判断によるところが多く、その鑑定人ですら法律に定める技術基準が最低限のレベルだという意識がなかったために、鑑定人によって異なる判断が生まれてきたのです。その結果、訴訟が長引き、争点は整理されず、主張がかみ合わず、出口のない状態を招いてきたのです。
しかし、私の事案では、建築主事に提出された確認図書が依頼した建築士によって隠匿毀棄されていたので構造に関する図書はほとんどなかったので、早草先生のお教えをいただいて、建築関係法令の定める最低限の技術基準に反しているかどうかという点に争点を整理し直し、また先生にそのような鑑定をしていただいた結果、ようやく3年目に勝訴に結びついたのです。それまでは「言った言わない」「約束したしない」「雨漏りでこれだけ困っている」「これだけ出費が要った」など、欠陥現象と約束不履行の応酬が繰り返されるだけで、出口の全く見えない13年であったのです。ですから、欠陥判断の基準は法律に基づくもので、それは建築士個人の個人的な体験や憶測で判断するものではないのです。建築士は、現状の設計や施工が「法律に定める最低限の技術基準に反しているか」、契約書に添付された「設計図書に反するか、下回っているか」という点を調べるということに限るべきで、その結果で欠陥か否かの判断はできるわけです。こういった方法論の確立が、今日の消費者サイドの判決事例の続出となってあらわれてきているのです。
5、欠陥住宅紛争の精神被害性
 欠陥住宅は「建物」という財産の損失で、その償いを求めるという意味においては財産的賠償請求になりますけれども、住まいが家庭の器である限り、欠陥が完全に補修されるまでそこに住まいする家族の心を苦しめることになります。その観点から、欠陥住宅訴訟は、この精神的損害を明らかにしてその賠償を求める訴訟であると言うことができます。私が欠陥住宅に出会った頃は、欠陥に伴う精神的損害は、欠陥という財産的損害が賠償されれば同時に治癒されるなどと言われ、慰謝料の請求を認めない見解が有力でしたが、私は逆に精神損こそ重要だと考え、しかも早草先生にお教えを願ったころには、取り壊し建て替えという財産的請求に関しては時効となっていましたので、専ら雨漏りの修繕代金とこの精神的損害の請求をしたのです。これは幸い認めていただいて、その後も他の被害者の訴訟において慰謝料を獲得し続けております。
6、欠陥住宅訴訟の一回性
 多くの消費者にとって住宅の新築、購入は一生に一度のことです。欠陥は補修をすれば足りるかのように言われますが、それも程度問題で、基礎や骨組みにひどい欠陥がある場合、それを設計図書通りに補修するには結局は取り壊し建て替えるしか方法がなく、それが最も経済的な方法であることは明白ですが、法律家の間では長い間、取り壊し建て替えの相当損害の請求は出来ないと考えられてきました。しかし、被害者からすれば、一生に一度の買い物に欠陥があって取り壊し建て替える他実際上の補修は出来ないのに、賠償請求は出来ないということは到底理解できることではありません。また、たとえ取り壊し建て替えに至らずとも、かなり大幅な修繕行為をしなければならない場合には、たとえ欠陥または機能が回復しても、被害者にとってはもはや「別の家」であって、実際は建て替えてほしいと考えるのは当然です。そこで、私は、ご依頼を受けた訴訟においてもこの取り壊し建て替え相当代金の請求に目的を絞り活動をしてまいりました。その結果、昭和59年12月26日に大阪地裁で、当時の殖産住宅を相手に、取り壊し建て替え相当代金に慰謝料や建築士費用、弁護士費用を含む賠償判決を獲得したことは今もって私の大きな喜びとなっております。その後も下級裁判所で取り壊し建て替え相当代金の判決をとり続けてきましたが、平成14年9月24日に最高裁がこれを認めたことで、私の一生の目標が達成されたような気持ちでおります。それくらい取り壊し建て替え相当代金の請求はハードルの高い目標でありました。
7、まとめ
 以上、私の体験をもとに私なりの処方箋をお話しましたが、欠陥住宅に出会わないことが何よりも大切であります。これまでのお話は、欠陥に出会ってしまったときの最も有効な処方箋でありましたが、その欠陥に出会わないことが何よりの処方箋であることは言うまでもありません。いったん欠陥をつかまされれば、その回復には大変な手間や精神的負担、費用がかかることはご理解いただけたと思いますが、家が欲しいと思ったときに衝動買いをする、ローンで容易に手に入るから買うということは絶対に避けるべきです。一般的に、建売住宅よりも注文住宅のほうが欠陥住宅をつかむ率が低く済みますが、先に述べたように、注文住宅だからといって、その設計も施工も一切合切を住宅会社に任せたのでは欠陥をつかむ確立は上がってしまいます。建物は工場で一律に作られる商品ではなく、それぞれ条件の異なる土地の上に様々なレベルの人間の手によって施工される一つ一つが異なる商品であるということに留意する必要があります。設計や施工監理を別途建築士に頼むと費用がかさむと考えがちですが、適正な建築士に頼むことがかえって割安になることを認識し、「急がば回れ」の原則で、長時間をかけ経済的にも余裕を持てる状態で住いづくりにのぞむべきです。決して衝動買いなどせず、欠陥をつかまない幸せな人生を送られることを心から願っています。

平成15年12月6日

欠陥住宅を正す会
代表幹事 澤田和也

[追記]
ここ1年ばかりの間に、「基礎や骨組みなどにひどい欠陥があって、取り壊し建て替えるほかないような場合には、その相当工費の賠償を認める」とか、「約束の材寸を下回る鉄骨を使用した場合、その下回る材寸で建築基準法令に定める最低限の安全性が計算上は確保できたとしても、それを上回る柱の約定は契約の要素なので、それは欠陥にあたる」とか、「工事監理者に名義貸しをした建築士は、建築主に、実際に工事監理にあたる建築士を工事監理者に選任させるなど適切な処置をとらなかった場合には、建物欠陥の損害賠償の責任を負う」など、自己の体験から裁判や新聞、雑誌などで長年主張してきた私の見解を認める最高裁の判決が続々と出ました。これまで私の考え方は専門家仲間では異端視されてきたのですが、今や最高裁の認める判例通説となったわけです。これには私を支え、私と同種の説で裁判上、裁判外で闘ってくれた全国の学者や建築士、弁護士、支援してくださった消費者団体、マスコミ関係者のお力によるところが大きいと考えております。心から感謝している次第です。「予言者世に入れられず」といわれるように、通常、生前にはその所説の成果を見ることは難しいものですが、72歳を迎えた今、自説の正当性が最高裁でも認められ通説判例として扱われるようになったことに非常な喜びを感じております。
欠陥住宅紛争解決史において、今やエポックメーキングにさしかかっていると考えております。まさに長かった夜明け前を過ぎ、東から日が昇り始めたこのときに、ますますもって欠陥住宅被害者の方は被害にたじろぐことなく、希望を持って解決の努力をしていっていただきたいと思います。

(平成15年11月25日)