洋服を注文してもキズがあって“お直し”のきかない時は、洋服をかえして代金を戻してもらうか又は新しく仕立て直してもらえる。しかし家の新築の場合はそうはいかない。
民法は635条で、「注文した建物に欠陥があってたとえ契約の目的が達せられなくても注文者は契約の解除をすることができない」と定めている。これを認めると請負業者に莫大な損失を蒙らせるだけではなく、社会経済上も不利益だからというのがその理由である(松坂佐一著「民法提要債権各論」133頁)。そしてこれを補うものとして、業者の過失の有無をとわず、欠陥補修の責任(カシ担保責任)が認められているのだともいわれている。
従って民法の定めを厳格に解釈する限り、かりに家の基礎や架構体(家の骨組み)に根本的な欠陥があり、建築基準法の定める構造耐力(家の強さ)がなく、これを完全に補修するには家を建てかえるほかない場合でも(工法的には費用をかければ可能としても、社会経済的にみて)、契約の解除、即ち「家をとりこわし撤去して代金をかえせ」ということができないこととなる。この民法の規定の恩恵を受けて、悪徳業者らはゴマ化し補修でお茶を濁し、「手抜き」をくりかえしているのではないか。民法の生まれたのは明治時代のことであり、当時の大工たちは伝統に生きて今のような構造耐力を欠く建物をつくることなどは夢想だにしなかったに違いない。ところでマイホーム時代といわれる今日において皮肉なことに欠陥住宅が横行し、多くの市民の一生の夢をむしばんでいる。
欠陥住宅を許すことこそ社会的損失なのではないか。構造耐力がなく地震台風に危険だとか、雨漏りがどうしてもとまらぬとかいう家はそもそも“家”とはいえない。このような欠陥住宅の場合を民法は予想しなかったものとして、民法635条の適用はないと解釈し判例を勝ちとっていくのが法律面での欠陥排除の有効なキメ手となるのではないか。このような悪質な欠陥住宅の場合には、注文者は契約を解除でき、悪徳業者に建物を撤去させ更地にもどさせて、かつ代金を取り戻せるという判例が生れ、この積み重ねの上に明文の立法化をうながしてこそ、この高い代償を前に建築関係者は襟を正すのではないかと、つくづく思うのである。
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