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随 想

「今は昔 思い出す日々のことども」

―はじめに際して―
 それほど年をとったとは思わないけれども、75歳を迎えた今、色々と思い出すこともあり昔に重ねて色々と言いたいこともある。
 えてして現世の批判は年寄りのグチと受け止められがちであるが、グチならばグチでよし、社会的制約をうけて文章になしえなかったことも含めてつれづれに思うことを書きしるし大方のご批判を仰ぎたく思う。

=====その1 町のうつりかわり=====

 4〜50年前と今とを比べて顕著に違うのは、外見では道筋の軒の高さの違いではあるが、もっと根本的なことは商店街がなくなって各都市に固有の地域社会がなくなったことだと思う。
 昔は、都会とはいってもそれぞれの地域に固有の商店街があった。諸物資や商品の流通はメーカー又は生産地から市場を介し、仲立人や問屋を経由して町の専門小売店から地域の住民に個別販売されていた。そしてどの都会でも大抵は各小学校の校区を単位とする地域社会が構成され、その地域社会の中核は商店街であった。お花見、夏祭り、歳末大売出しなどの町の歳時ごとも商店街がプロモーターとなって行われた。ともすれば隣は何をする人≠ニなりやすい都会の住民に、学校や行事を通じての共通の集まりによって住民の紐帯が生まれ、バラバラになりやすい都会の住民を同じ町の住民として結び付けていた。
 そして、この小売商店街と共に地域社会にはお習字や裁縫の先生から始まって各種芸事の師匠が住み、表具屋、建具屋から大工棟梁、絵師に至るまで各種師匠や職人も居住していて、生産も流通も目で見える信頼と情報で結ばれた具体的な社会であった。
 欠陥住宅の話で言えば、このように具体的な人と人とで結ばれた信頼関係の社会に故意の手抜きなぞあり得ず、欠陥住宅など夢想だにされなかった。
 今と昔との顕著な違いは、外見では軒の低い町並みから超高層のビル、薄汚い長屋からこぎれいな高層マンション、個別店舗から集合的なショッピングプラザ、駅から離れた旧街区の商店街からターミナルのショッピングプラザに変わったことである。
 何よりも変わったことといえば、かつて都会のバックボーンを形成していた商店街が火が消えたように扉を閉じて、まるで廃墟のようになってきていることである。もはやタバコ屋の看板娘に声をかけることもなければ、小売店のおばちゃんに身の上話を聞かれ、愛のキューピットを託すこともない。夕食後の散歩などという楽しみも失われた。どうしてこのようなことになったのであろうか。
 社会経済的にみれば、いわゆる流通機構が変わったことである。改革と言いたがる向きもあろうが、古きよかりし日々を楽しんだ自分にとってはお義理にも改革などとは言えない。
 今の経済流通は結局、メーカーと大型小売店が直結し、中間的に流通の調整をして小売店を支えた問屋ないし仲買人がなくなったことであろう。それにはよく言えば安く早くという社会ニーズもあったことであろうが、今ひとつ個人商店が、あるいは問屋までもがこれを支える家族的労働力を失ったことで消え去らざるを得なかったことであろう。問屋を含めて小売店はもとよりそれを運営する労働力は、家族的労働力又は家族に類する住み込みの終日性の労働体制によって支えられていた。店に住まっているからこそ夜中に近い10時、11時までも訪れる顧客の要求に応じることが出来たのである。
 しかし、戦後、労働事情や家内労働の観念はがらりと変わった。家族であれば家の仕事をするのは当たり前でそれには昼も夜もなく土曜も日曜もない、という受け止め方がなくなり、家族労働の担い手も労働者や従業員に変貌したのである。夜は自分だけの時間がほしい。休日は自分の時間を確保したいということになれば、家族労働によって支えられていた町の小売店はその担い手を失う。かくて商店街は櫛の歯が抜けるように商店の営業を失っていったのである。
 それと共に町の住民も会話が出来て情報を交換できる場所を失ったのである。
 この流通機構の改革を大阪はもろに受けている。昨今、多少は景気回復をしたように見えるとはいえ、東京・名古屋と行き来して肌で感じる町の違いは、大阪には町の活気がなくなったことである。というのも、大阪はもともと商都と言われ、小売商店街やそれに商品を供給し流通を調節する各種問屋の盛んな街であった。小売店が下火となって問屋が不要となれば、問屋や小売店によって支えられていた商(あきない)の町が没落するのは必然である。
 もはや人口や町の面積、規模だけの比較で2分の1東京や3分のT東京というように比較された両都市の時代は終わったのである。名古屋や東京が元気なのは商いに依拠せず、革新された各種生産が街の推進力となっているからだと思う。
 家内労働が忌避されたことと共に小売店の消滅の原因となったものにマイカー時代とマイホーム時代の出現がある。核家族単位のマイホーム需要の拡大は、新たな宅地を求め都心を離れた新規開発地に広汎な住宅街を生み、それはえてして旧来の交通機関には恵まれない場所で、その足としてマイカーが必然必要となった。
 そこでこのマイカーによってショッピングするためには、今までの人家密集する商店街は不向きで、広い駐車場が必要なところから町はずれ又は街道筋にいわゆる郊外型店舗を生んだのである。この郊外型店舗の出現がまた旧来の商店街に止めを刺したものといっていい。

(平成19・3・10 澤田 和也)