電信柱と電線に囲まれた街の景観は、言ってみれば舞台裏や工事現場の様
なものです。澄み切った青空も電線の隙間から見ると少しも美しくない。テンデン
バラバラの方向に張り巡らされた電線にくらべたら、蜘蛛の巣の方がまだ整然と
しています。よく見ると電信柱は右や左に傾いていて、けっこういいかげんに立っ
ている。そして○○病院と書かれた看板広告や、黄色と黒の派手なしましま模様
の防護板まで付けて飾り立てています。こうした電信柱や電線に囲まれるとどん
な景観も台無しになるわけです。
街の環境を保つために、騒音や匂いやゴミなど、様々なことに対する条令があ
ります。騒音や匂いは計測値で問題となるレベルが判断できるし、ゴミもその種類
で判断できる。しかし、美観にとなると、どれくらい以上を問題とするかは判断しに
くい。判断しにくいから文句も付けにくい。それで、ついほったらかしになってしまい
ます。
日本は、かつては簡潔な美しさや自然と調和したスケールの大きい景観を、楽
しみ、愛でてきた国でした。日本建築に見られる端正で洗練された美しさは世界中
から認められています。遠くの景色を利用して庭を造る借景という手法も生み出さ
れました。千利休の茶の文化、芭蕉の俳句の世界など、高いレベルで景観の美し
さを観賞することが、昔は時代を代表するものの考え方で、一般の生活の中にま
で広まっていました。しかし、そうした感性も今では片隅に追いやられた感があり
ます。電信柱と現代の日本人の美的感覚には、ひょっとしたら深い因果関係があ
るかもしれません。
歩道の無い道を歩いていて電信柱と車の間に挟まれそうになり、怖い思いをし
たことが誰にもあると思います。狭い道路の貴重なスペースを占有している電信
柱は、歩行者や自転車に乗る人にとって大きな障害物です。いつ事故が起きて
も不思議がないそうした道路でも毎日かよわなければならない。こうした状況は
本当にどこにでもあります。
一九九三年に起った阪神・淡路大震災について電力会社に問い合わせてみ
たら、約三〇〇〇本の電信柱が倒れたとのことでした。説明によると、その多く
は周囲の建物が壊れたせいで共倒れしたのだそうです。でも、あれだけの地震
なら重いトランスをかかえた電信柱が倒れても不思議はないと思うのですが。ま、
それはともかく、とにかく多くの電信柱が倒れて停電になり、電話などの通信網は
分断されました。避難や救援にも大きな支障が出ました。被災者の体験談による
と、地上に落ちて壊れた変圧トランスの中から漏れた絶縁オイルで道路がツルツ
ルなり、自転車で通りががかった人が滑って転んだとか、倒れた電信柱が道をふ
さいで消防車も救急車もあちこちで立ち往生したそうです。
火災の時にも電信柱と電線はかなりのじゃま者になります。空中をさえぎる電
線は消火活動の妨げになるし、はしご車を使った消火や人命救助に支障をきた
しています。
電信柱といえば看板広告がつきものですね。しかし、電信柱に看板を付けて商
売をすることが許されているのには疑問を感じます。道路上にある電信柱は「道
路占有物」とよばれますが、公共性が高いことから道路法によって道路の占有が
認められています。これは当然ですね。そして電力会社などは道路の管理者で
ある国や地方自治体に電柱一本に付き年間約二〇〇〇円の道路占有料を払っ
ています。しかし電力会社やその関連会社は電信柱に取り付けた広告で一枚あ
たり年間およそ一五〇〇〇円の広告料を取っています。これは看板代の約一万
円は別にしてです。ある電力会社はその管内におよそ三〇万枚の看板を出して
いますから、広告料だけでも年間ざっと四五億円の売上になる勘定です。そして、
電信柱を増やせば増やすほど看板のスペースが出来て儲かるということなのです。
こんなふうに公共の場所を使った広告商売が認められているのはおかしい。電
信柱の道路占有は、公共性のあることだけに認められるべきです。それに、電信
柱の看板広告を迷惑に思っている人は少なくないはずです。例えば、やっとのこと
で手に入れた念願のマイホームの目の前に、○○耳鼻咽喉科とか、○○焼肉店
の看板を付けて欲しくはないでしょう。こうした看板広告にはよく「ここは○○町○
丁目です。」という一行が入っていますが、これでこの広告看板が公共の役に立っ
ているというための言い訳のように思えます。
エジソンが白熱灯と配電システムを開発し、一九世紀後半にアメリカやヨーロッ
パで電力事業を始めた時に電信柱は作られました。その最初の頃から空中配電
と地中配電の二つのシステムがありました。その当時も電信柱を使った空中配電の
方が地下配電よりもはるかにコストは低かったのですが、都市の景観と災害時の
安全性を優先して、特にヨーロッパでは地中配電が政策的に進められました。アメ
リカでは地下配電を主体としながらも、裏通りや郊外ではローコストの空中配電が
使われています。しかし、その後日本で始まった電力事業では、建設コストとスピード
を重視して、始めから電信柱が使われました。新しい文明の利器である電気を早く、
安く普及させることの方が街の景観や安全性よりも大事だと、判断されてしまったの
です。
欧米の都市に見習った電線の地中化は、日本でも一応前向きに進められていま
す。国土交通省のデーターによると一九九八年の時点で、人口一〇万以上の都市
での地中化率は一.一%で、二〇〇五年までにこれを二.一%にする「新電線類地
中化計画」が現在進められています。しかし、このペースで残りの九七.九%を地中
化するにはあと六八五年かかるのです。一〇〇%に到達するのは西暦二六九〇年
という全く気の長い話です。しかもこれは人口一〇万以上の都市という条件付きです。
これではあまり本気で取り組んでいるとは思えません。
電線の地中化が多少でも進んでいるのは結構ですが、いま地中化が進められてい
るのは商業地域、オフィス街、駅前など街の目抜き通りがほとんどです。これは国土
交通省の地中化計画にそう書かれていて、電線の地中化は誰もが恩恵にあずかる
ことの出来る大きな通りを優先しています。都市の表玄関の見栄えを良くしたり、産
業の振興を図ろうという考え方なのです。けれども、電信柱が本当に邪魔になってい
るのは、毎日の通学や買い物に使われる生活道路であり、そこを利用する交通弱者
が不便を感じているのです。そうしたことを忘れて進められている電線の地中化には
問題を感じます。
さて、電線類の地中化がなかなか進まない理由はおそらく次の三つだろうと、私は個人的に
推測しています。
その1 地中化には変圧器などを地上に置くために巾二.五mの歩道
が必要だと「新電線類地中化計画」に書かれている。でもそんな立
派な歩道のある所は少ないから地中化はなかなか進まない。
しかし、パリやフランクフルトやロンドンには中世そのままの狭い
路地もたくさんあるのに電信柱は一本もない。もしかしたら電線地
中化に関する日本の技術は遅れているのかもしれない。
その2 地中化にかかる費用が高い。電信柱を使った空中配電方式は
一Km当たり一三〇〇万から三〇〇〇万円で出来るのに対して、
地下配電方式は電力線だけでも二億から三億円かかる。電話線
やCATVなども一緒にする共同溝方式では六億かそれ以上かか
る、というのが私が調べた結果。つまり地中化は一五倍から二〇
倍もする。地下配電のシステムはある程度大きな断面の管を埋
めるので、既に埋設してある水道、下水、ガスなどの配管を移設
しなければならないから費用がかかるそうだ。しかし、そうは言って
も溝を掘って配管をするという技術的にはごく単純な作業なのだか
ら、今日の日本工業界の優れた技術力を持ってすれば、もっともっ
と安くなるのではないだろうか。
その3 地中化が進まないとしたら、それは地中化をあまり積極的に進め
たくないという力がどこかで働いているせいではないだろうか。た
とえば電信柱で看板広告商売が出来る様な構造も原因だろうと
思う。