過剰な看板広告

     日本中どこに行っても看板広告がたくさんあります。店舗とかビルだけでなく、田
   んぼ、畑、空き地、山の上や、なかには自分の家のへいや庭先に看板を置いてい
   る人もいる。看板広告は、場所を貸す人にとってはちょっとした収入になるし、看板
   を出す業者にとってはいい商売になって、広告主にとっては宣伝になる。皆いい事
   ずくめだから、看板は増えていくわけです。でも、看板広告が景観を壊しているのは
   問題です。広告主は自分の場所(あるいは借りた場所)に何を置こうが勝手だと言う
   かもしれませんが、街中であれ、田舎であれ、景色というものは世の中全体のもので、
   みんなが責任を持つべきでしょう。

注文をつけない我々日本人

     ヨーロッパ諸国では看板広告の量は感覚的にいえば日本の五〇分の一くらいでし
   ょうか。看板広告があるのは空港、駅、バス停や大都市の繁華街などの限られたと
   ころだけで、普通の街ではほとんど目にしません。商店や会社の看板もかなり控えめ
   です。景観に対する社会の意識や取り組みが日本とはずいぶん違うのだと感じます。
   日本は欧米諸国に比べて広告の規制が大変にゆるやかですが、それはたぶん過剰
   な看板に注文をつける人が少ないためだと思います。かくいう私もこれまで一度も文句
   を言いに行ったことはありません。目ざわりだとか、せっかくの景色が台無しだとは感じ
   ていても、ハッキリとした実害がないし、たとえあってもそれを表現しにくいから、わざわ
   ざ文句を言いに行かないのが大方の人だと思います。

看板広告規制の動き

     日本でも景観を良くするための取り組みは色々行われています。例えば、近頃の観
   光地では乱立した看板広告を廃止して、公共の行先き表示板に代えたり、そこまでい
   かなくても、一ケ所に集めた集合広告にするなどしています。また、京都市では条令で原
   色の目立つ看板を規制していて、ESSOやマクドナルドなどの看板は、この条令によって
   京都専用の少し控えめな色に替えられているそうです。観光を大切にしている京都なら
   ではの条令です。
     遠くからでも良く見えるでかい看板を置くことで、近くの競争相手よりもたくさんお客を
   取ることは出来るかもしれない。けれども、大きく考えれば、その地域全体のイメージを落
   として、いずれは時代遅れでセンスの無い観光地として取り残されることになる。そうした
   ことに気のついた所では景観を大切にしだしているのです。
     このように、観光地の場合はイメージアップによる観光収益の向上を目的として、看
   板を規制しているケースが少ないながらあります。しかし普通の街で景観向上のため
   に積極的に看板を規制している所は非常に少ない。例えば松江市では、市が後押しし
   た「松江市まちなみ研究会」の提案にもとづいて、ビルの屋上に設置された大型看板
   を撤去するなどの協力要請が、市から広告主に投げかけられました。ところが強制力
   がないためにほとんど協力は得られなかったそうです。残念ながらお願いするだけでは
   景観の向上は実現は出来ないということです。

ショッピングモールが流行る

     近頃は大型のショッピングモールなどにお客が流れて、昔ながらの商店街が廃れつ
   つあります。ショッピングモールはきれいで、しかも快適です。でも考えてみればショッピ
   ングモールの内部は限りなく屋外の街並みを再現した様な造りになっています。閉鎖的
   な建物の中を開放的な屋外の街並み風にしているのです。ただ、ショッピングモールに
   は看板やノボリや電信柱が無くて、安心して歩ける歩行者専用道路があることが普通の
   商店街とは違います。そう考えると、従来の商店街でも街並みをもっと良くすれば、人は
   集まるのではないでしょうか。
     派手な看板やノボリをたくさん使うことで自由な競争が出来るけれど、それで世の中
   全体の消費が掘り起こされているとは思えない。単にこっちの客があっちに行って、あ
   っちの客がこっちに来ているだけのことです。過剰な看板はむしろ、その店の周辺のイ
   メージを落として、気の利いたショッピングモールにお客が流れる原因になっている。
   今の世の中、宣伝広告のメディアは他にいくらでもあるのだから、オーバーな看板を
   やめて、良い景色と美しい街並みの中で暮らした方がずっとましだと思うのです。