平妖伝
3 蛋子和尚、三たび袁公の法を盗む
さて、卵から産まれた吉児は慈雲老にかわいがられてすくすく育ったが、兄弟子からはいつも蛋子(たんし=「たまご」の意)と呼ばれ、いじめられていた。もちろん蛋子自身は自分のそうした境遇を不満に思っていた。そこで十五歳の時に、慈雲老に悪いと思いつつもこっそり寺を抜け出し、ひとり修行の旅に出ることにしたのである。
それから彼は各地の名山を巡り歩いたが、雲夢山(うんぼうざん)を通りかかった時に奇怪な噂を聞いた。この山には白雲洞という所があり、そこで白猿神(つまり袁公)が驚天動地の秘術を記した壁を守っているのだと言う。そしてこの山は常に霧に覆われているが、一年に一度・五月五日の昼の一時だけは白猿神が天界に昇るので、霧が晴れると言うのである。蛋子和尚はそれを聞き、それならひとつ驚天動地の秘術とやらを盗み出してみせようかと考えた。
そして五月五日の日に雲夢山へ忍び込んだが、その時は山中の景色に見とれているうちに霧が掛かってきて引き返さざるを得なくなった。一年後、再び彼は山中に忍び込んだ。今度は白雲洞を見つけだし、更に秘術を記した石壁も発見したが、これをどう書き写そうかと考えているうちにまたもや霧が掛かってきた。二度目の侵入も失敗に終わって蛋子はおいおいと嘆き悲しんだ。そこへ一人の老人が通り掛かる。老人は蛋子から事情を聞くと、「秘術を写し取るには、ただ白紙を石壁に当てて手で撫でつけていけばよいのじゃ」と助言して去って行った。更に一年後、三たび蛋子は山中に侵入した。老人の言うとおりに石壁に白紙を当てていくと、ようやく袁公の秘術を写し取ることが出来たのである。
しかし写し取れはしたものの、秘術は雷文雲篆(らいもんうんてん)の字体で記されていて全く解読出来ない。楊春の家に居候している聖姑姑がこれを解読出来ると聞き、蛋子は彼女のもとへと赴いたのであった。さて、蛋子は無事に聖姑姑と巡り会い、早速秘術の写しを彼女に見せた。聖姑姑曰く、これは如意宝冊というもので、一〇八の秘術のうち地(ちさつ)七十二法が記されているということである。蛋子は聖姑姑の弟子となり、ともに如意宝冊の解読とそれに記された術の修行に励むこととなった。
ところで、聖姑姑と胡媚児に取り残された賈道士と黜児はどうなったのか?賈道士は哀れ、媚児を思うあまり重病にかかり、「媚児よ、来世では夫婦となろう」という誓いの言葉を残して世を去ったのであった。黜児は、母が楊春の屋敷にいることを知り、そして聖姑姑・蛋子と対面を果たした。聖姑姑・蛋子・黜児の三人は如意宝冊の七十二の秘術を修得すると、めいめい楊春の屋敷を去って行ったのである。聖姑姑たちの話は取り敢えずここまでとする。
華山の近くで突風にさらわれて母とはぐれてしまった胡媚児の行方はどうなったのか?実は張鸞(ちょうらん)という男の世話になっていた。この張鸞、妖術を得意とする道士で、かつては張大鵬(ちょうたいほう)と名乗っていた。しかし朝廷の奸臣と組んで、妖術を使って宋の第三代皇帝・真宗をたぶらかした罪で追われており、名を変えて雷允恭(らいいんきょう)という宦官の屋敷でかくまわれていたのである。ある時、彼が雷允恭の屋敷の庭園をぶらついていると、突如怪風が吹き、媚児が目の前に現れたというわけである。
媚児は張鸞の妹分となり、宦官・雷允恭の名ばかりの妻となった。媚児は毎日退屈していたが、皇太子が妃を募集していると聞き、ひやかし半分で皇太子の見分に出掛けることにした。この皇太子こそ、天界の玉帝の命令で下界に降った赤脚大仙(赤脚は「はだし」の意)の生まれ変わりであり、後に仁宗(じんそう)皇帝として即位する人物である。そういう御仁であるから、周囲には常に神将が密かに警護している。太子の前に姿を現した媚児は、警護にあたっていた関聖(三国・蜀の武将、関羽が神となったもの)にすぐさま正体を見破られ、一刀のもとに斬り捨られてしまった。
魂だけとなった媚児はともかくも張鸞のもとへやって来て、自身の正体と母・聖姑姑のことを語り、何とか私を人間に生まれ変わらせてほしいと懇願する。
さて、張鸞はどのようにして媚児を転生させるのか?