平妖伝
5 妖人、大いに都を騒がす
さて胡永児は、聖姑姑のいる鄭州へと一人旅を続けており、途中で卜吉(ぼくきつ)という行商人と出会った。卜吉は車を引いており、やはり鄭州へ帰る途中だと言うので、永児は彼の車に乗せてもらうことにした。永児は彼の性格が実直なのを見て、ひとつ試してやろうと考えた。
鄭州に着くと永児は、かつて官舎として使われていた空屋を自分の屋敷だと偽って、卜吉を屋敷の前で待たせた。そのうち門番の老人がやって来て彼を見咎める。卜吉は老人に事情を話し、二人して屋敷を見回った。邸内の広間で永児を発見したものの、彼女は卜吉たちを見ると逃げ出して、何と井戸に身を投げてしまった。門番の老人は、永児が身投げしたのは卜吉に原因があったからだと考え、彼を引っ捕らえて殺人の容疑で州庁へと護送したのであった。
州知事は、永児の遺体を引き上げさせるために卜吉自身を井戸の中に潜らせることにした。奇怪なことに、井戸の底には大きな空間が広がっており、しばらく進むと神仙の洞府のような所に行き着く。そこで聖姑姑と胡永児が卜吉を待ち構えていた。彼は永児の姿を見るといきり立ったが、聖姑姑は彼をなだめ、酒宴を開いてもてなした。そして金の鼎を卜吉に授けて地上に帰したのである。
卜吉は州知事に井戸の底での出来事を報告し、金の鼎を献上した。しかし知事はこの事を面妖だと考え、卜吉は山東の密州への流罪に処すと判決を下した。卜吉は役人に刑地まで護送されることになったが、その途中で張鸞に助け出された。張鸞と卜吉は州庁に赴き、州知事を罵って斬殺し、かの金の鼎に乗って逃げ去って行ったのである。
鄭州の州知事が妖人に殺されたことは、朝廷でも問題となった。仁宗皇帝はこの妖人たちが都の開封府(かいほうふ)にも現れるのではないかと心配し、剛正無私と名高い包龍図(ほうりゅうと=包拯)を都の知事に任命し、備えを固めさせたのである。
しかしそれをあざ笑うかのように、黜児が次々と都で騒ぎを起こす。菓子売りの任遷(じんせん)・肉屋の張屠(ちょうと)・そば屋の呉三郎の三人を、妖術を使ってからかったのである。任・呉・張の三人は一致団結して黜児を追いかけて、莫坡寺(ばくはじ)という寺まで追い詰めた。しかし黜児は慌てることなく仏殿に上がり込むと、仏像の頭の部分を取り外し、仏像の体内に潜り込んでしまった。三人も同様に仏像の体内に入り込んだが、寺の地下には美しい風景が広がっていた。
三人はやはりそこで、聖姑姑・黜児・永児に出会った。聖姑姑は三人と黜児を仲直りさせ、張屠にヒョウタンから水と火を出す術を、呉三郎に紙の馬を本物の馬に変化させる術を、任遷に腰掛けを虎に変化させる術をそれぞれ授けた。その頃、卜吉が張鸞に連れられて聖姑姑のもとに馳せ参じ、各々修行に励んだのであった。
今度は蛋子和尚の出番である。彼は妖術を使って都中を混乱に陥れた。その様子はと言えば、信心深い善王太尉の前に現れ、妖術を見せて自分を聖僧と見せかけ、三千貫の寄付金をだまし取ったり、自分を密告しようとした李二という男を虐殺したりとやりたい放題。役人たちは何とか蛋子を捕らえようとするが、妖術にくらまされて寸手のところで逃げられてしまう。さしもの包龍図といえども、頭を痛めるばかりで手の出しようも無い。
さて、聖姑姑一行は遂に則天武后との約束の地・貝州へと移動する。胡永児はロウソク売りに扮し、王則という軍人と出会った。この王則こそが、かの則天武后の生まれ変わりである。胡永児は王則を聖姑姑と引き合わせた。聖姑姑は王則こそが河北三十六州の王となるべき人物だと予言し、前世からの因縁に従って永児を王則に嫁がせることにしたのであった。
則天武后も転生を果たし、いよいよ宋王朝に反乱を起こす時が来た。果たして王則は河北三十六州の王として君臨することが出来るのか?そして朝廷側はこれに対してどんな手を打ってくるのであろうか?