昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている
欠陥住宅を正す会では、
このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ学習記事をお届けします。
―正す会の窓・・・その104―
桃の節句も終わり次は桜だよりが待ち遠しい今日この頃ですが
3月に入りここ関西では雨の日が多く、まだまだ肌寒い日が続いています。
さて今回から、平成10年5月16日(土)から同年6月20日(土)まで7回に亘り「欠陥住宅」というタイトルで毎日新聞(東京版)に当会代表幹事が連載した文章をご紹介します。
これらの文章を連載したのは、平成7年の阪神淡路大震災から3年後のことでしたが、昨年の東北の大災害を受け、消費者の建築に対する知識も関心も高まっています。
当然のことですが、建築業者の安全基準順守が一層厳しく求められます。
(平 24・3・15)
欠 陥 住 宅・・・その1
【毎日新聞(東京版)土曜日朝刊生活家庭欄
「住まいを考える」に7回にわたり連載】
棟梁に頼る地域社会が崩れ
――下請けシステムから発生――
欠陥住宅問題がしきりに報じられている。特に阪神大震災以降に目立つ現象だ。しかし、このコトバが使われるようになったのは高度経済成長期以降のことである。
「建て付けが悪い家」「ガタピシした家」「安普請」などというコトバは古くからあった。
これらのコトバには、もともと値段が安くて注文者や買い手がそれを承知しているというニュアンスがある。これに反して「欠陥住宅」という言葉には「手抜き」という言葉が結びつく。連語といっていい。つまり、注文者や買い手には分からないように建物性能が手抜きされているというニュアンスがある。この違いはどこから生まれたのだろう。
もともと住まいは都会、田舎を問わず、地域社会内部で作られていた。顔見知りの大工や棟梁に建ててもらうというのが通常で、信頼関係で結ばれた地域社会では、昨今流行する手抜きなどあり得なかった。
しかし、昭和35年(1960年)以降の高度経済成長政策は、都市への人口集中を生み、地域社会は崩壊して、多くの人々は頼るべき大工や棟梁を失った。
そしてその頃、この政策の一環として、国家資金による住宅金融制度が生まれ、それまで借屋住まいをしていた庶民をマイホーム造りに向かわせた。住宅会社はこの時期に登場した。
頼るべき大工や棟梁を持たない庶民に対し、マスコミ媒体をフルに使って集客、販売をする会社である。多くの人は住宅会社自らが、自己の従業院を使って直接施工をしているように思っているが、時として設計までも下請けに出し、施工は各地の特約店と呼ばれる一括下請け店にさせていることが多い。
そして、特約店から二次一括下請け店へ、更には大工・左官などの個別下請け店へと重畳的に下請される生産システムを採っている。
この結果、請負代金の多くは中間マージンに費やされ、末端の個別下請けが受け取る代金額は、請負代金の4割程度ともいわれている。
このように受注した者と、実際に施工する者とが分かれたことと、直接施工する者の受注代金が切り詰められることにより、原価と手間を節減しようとして「手抜き」が生まれ、「欠陥住宅」が生まれたのである。
言い換えるならば、欠陥住宅はコミニュテイ―内部で造られていた住宅が、資本主義社会の商品となった時に生まれたのである。
業者の背徳や背信だけに原因を求めるのは誤りである。
(平成10・5・9)