昭和53年以来30年に亘って欠陥住宅被害者救済活動を続けている
欠陥住宅を正す会では、
このホームページで欠陥住宅問題のホットなニュース、新判例など被害救済に役立つ記事をお届けします。
―正す会の窓・・・その32―
〜 春は名のみの風の寒さや 〜 〜 ♪
2月に入ると早春賦を唄いたくなりますね。
今回は、代表幹事が消費者運動にかかわった初期の頃の思い出を語っています。
本年も『正す会の窓』を定期的に更新するよう努力いたしますので
どうぞご愛読ください。
* * * * *
欠陥住宅を正す活動の思い出・・・・・その1
―― 欠陥住宅という言葉と欠陥住宅問題の出現 ――
欠陥住宅という言葉が日常語として定着しはじめたのは、住宅会社が登場した高度成長期のことである。
それまでの共同体内部で、信頼関係のある大工・棟梁に直接注文し施工してもらっていたのとは違って、住宅会社はブランドイメージで集客に力を注ぐいわば住宅商社のようなもので、実際の施工は一次、二次の一括下請けを経て、注文者にはまったく面識のない工務店や職人たちが施工する。それにメーカーを自認する元請の住宅会社が施工管理を十分にしなければならないのに管理まで下請け任せで、数次の下請け段階を経ることから直接施工者には無理な予算しか配分されず、結局は契約者との直接の信頼関係のないことと、しわ寄せされた下請け代金の無理から、手間と材料を手抜きする欠陥住宅が登場したのである。
それまでは特に欠陥住宅という言葉はなく、「建て付けの悪い家」とか「ガタピシする家」とかの言葉はあった。しかしその言葉の中には、代金をごまかし、欠陥が無いように見せかけながら実は素人の消費者には見てわからず又は見えない箇所例えば内外装や建物全体で隠されている地盤補強や基礎や骨組みや下地などを手抜きして不当な代金を取るというニュアンスはなかった。
「建て付けの悪い家」というコトバには、造る(売る)者にも注文する者にも値段に応じた粗悪な住宅ということが暗黙に前提とされており、内外装や建具の納まりの悪さを造る者も注文する者も承知していることが問わず語らずの前提であった。まさしく値段の問題で、売る者も買う者も粗悪な住宅であることは認め合っていたのである。正確に言うならば「欠陥住宅」というよりは「粗悪な、グレードの低い住宅」というニュアンスが強かったのである。その意味では「代金相応の住宅」であった。
欠陥住宅という言葉にはこれに反して材料や手間を故意に抜く、見えないか又は判らないところを抜くというように、注文者を騙し不当に儲けるというニュアンスがある。
そこでマイホーム時代の到来と住宅会社の出現によって、この
欠陥住宅という言葉が日本社会に定着し、欠陥住宅問題が社会問題となって今日まで引き継がれ住宅業界の恥部となっているのである。
(19.1.9 澤田 和也)