この言葉は、”B-29日本爆撃30回の実録”の著者Chester Marshall操縦士が、ギリギリで生き延びた心境を表しています。
B-29の日本本土爆撃の当初は夜間の高高度爆撃です。再三の出撃でも中島飛行機武蔵製作所などピンポイント攻撃は目標捕捉もままならず、着弾精度は劣っていました。市街地への焼夷弾爆撃でさえ成果が上がらなかったようです。そして、1945.1.20付けで登場したのが、新司令官のカーチス E ルメイ少将です。彼は、昼間爆撃さらに低高度爆撃を強行します。
諸君、酸素マスクを捨てろ、ルメイここにありが兵団の合言葉となったようです。この一言で、搭乗員は、日本の防衛隊の弾幕と迎撃機の襲いかかるのを覚悟し爆撃飛行を余儀なくされました。実際にその後の爆撃は、出撃前のブリーフィングで、1945.3.25名古屋夜間焼夷弾爆撃6,000ft(1,830m)、1945.4.7中島飛行機武蔵15,000ft(4575m)の昼間空襲などの指示が出て実行された。
そして、Chester Marshall操縦士は、自著の中で、1945.4.7の中島飛行機武蔵の爆撃飛行の状況を次ぎのように伝えています。
『この日、25番クルーが東京上空の恐るべき修羅場をいかに懸命に生き抜いたか、その経過を逐一書いた日誌から、私たちと飛行機に同乗したつもりで実相を窺われたい。
午前10時35分浜松近くの海岸線を通過して東京の目標357(中島飛行機武蔵)を目指す。第878飛行隊は、877と879飛行隊につづく第3編隊で、先行する編隊と一列になって進む。同高度前方を見ると、対空砲火の弾幕の爆煙か黒雲となっている。先頭の飛行隊がこの地獄の業火に捕まっている。我が飛行隊はその60mほど上を、第879飛行隊の直後につづいて飛んでいる。対空砲火は、
我が機の周囲で炸裂し始め、編隊が射程に段段と近づくにつれ弾幕は密度を濃くする。今は奇跡が必要だ。
先導飛行隊が対空砲火の爆煙のなかを突き進んでいるのがどうにか見える。それでも、前方の全機が編隊を維持しているようだ。日本軍邀撃戦闘機がB-29を捕捉しようと上昇してくる。だが、掩護戦闘機P-51は敵機が爆撃機に到達しないうちに叩き落とそうと急降下して行く。様々なことが急に起こってくるので何がどうなっているのか判然としない。
私たちは自分が生き残ることだけに必死に努力を集中する。左側に落下傘が幾つか開いたと射手たちが報してきたが、降下しているのがアメリカ兵か日本兵か見分けがつかない。
任務飛行指揮官機との無線通話は騒然としている。空のどこを見ても日本戦闘機だ。射手たちも
、味方のP-51と敵機の識別に難渋している。B-29の機関銃手の神経は過敏になっていて、日本上空では「超・空の要塞」に似ていない飛行機なら何でも引き金に当てた指が動いて発砲する習慣がついている。
我が機の前方で、日本戦闘機1機がB-29に体当たりしたばかりだ。翼が飛んだB-29がくるりくるりと回転しながら地上に落ちて行く。あの様子では、助かる者はなさそうだ。サザーランドから、別のB-29一機が錐揉みで落下するのが見えると報してくる。
午前11時04分。爆弾投下から2分経過したばかりだ。
日本戦闘機1機が、我が編隊の上に急速に近づいて燐性弾を投下した。一どきに何機かのB-29を叩こうという魂胆だ。その一発がチャールズ ヒッバード中尉機の第1エンジンと第2エンジンのあいだに命中し、発火した火を消しとめる方法がない。
私たちの機の右側をヒッバード機と同じ編隊で飛ぶメーローとホドスンがヒッバードに声を掛け、「火焔が翼を舐めている。翼が溶けて火が翼内ガソリンに回ると、きっと爆発を起こす」と言っている。メーローとホドスンは「乗員を脱出させろ」とヒッバードに頼んでいる。「飛行機を海岸線まで持って行ってから脱出させる」とヒッバードが答える。
わが機はコーツ少佐機の投弾に合わせて爆弾を離していたので、ヒッバード機を見守るだけだが、いつ爆発を起こすか気が気でない。焔は機体全体に回っており、ヒッバードは機の制御を失いかけているらしく編隊から少し逸脱し始めた。
ヒッバードは機首を引き起こしながら、もう2、3分操縦できれば海上で乗組員を脱出させられると頑張っている。同機が左に滑ってわが機のほんの数フィート上に来たたとき、前部隔室のヒッバードと、リーと、ローランドの顔がはっきり見えた。3人が手を振る。それが別れの挨拶だとは私たちにも分かっている。
ヒッバード機がさらに編隊の左の方に滑り出ると、この燃えている日本の戦闘機がまた攻撃を掛け始めた。アンダースン、ホドスン、メーロー各中尉機が互いに被弾機を守ろうと寄り添いながら、なおもヒッバード機に「爆発する前に脱出せよ」と呼びかける。わが機の射手たちから「3、4人が脱出し落下傘が開いた」と報告がある。火焔がますます大きくなっている。
コーツ少佐機が僅かに右旋回している。コックスが増速してぴったり付いて行こうとしていると、日本戦闘機の一編隊が銃火を閃かせてわが機の機首めがけて急降下してくる。射手が一斉に応射する。コーツ機が被弾し、急に出力を失っている。コックスが少佐機の前にのめり出ないように機を懸命に操作する。
ヒッバード機の方を見ると、ちょうど機体が大爆発とともに空中分解し、火の玉となったところだ。
われわれは海岸線を出てまだ二分の位置だ。コーツ少佐から、「機の制御に問題あり、エンジン2機停止」と知らせがある。隊長機が硫黄島まで辿り着けるか、かなり疑わしい。銚子ポイント近くの
海岸を通過して基地に向いながら、私は例になく悲しい思いにとらわれた。私は、身近な戦友数名の死を至近距離で目撃したばかりだった。助けようにも手の下しようがなかった。
ヒッバードと私は、戦前ケンタッキー商科大学で学生時代を共にした友人同士であった。
数日前に、彼は新しく父親になったという知らせを受け取ったばかりだ。彼の喜びようは、隊内で見せていた満面の笑みに顕われていた。・・・略』
Chester Marshall操縦士は、その時の心境を「もし、目標上空で深刻な事態に陥ったら、燃える市街地に脱出しても生き延びられる可能性はまずないので、落下傘ははずしておこうと考えているのだと話した。脱出して降着でき、焼け死なずにすんだしても、きっと激晃した市民に嬲り殺されると思うのだ。そんなことなら、いっそ墜落する飛行機に身を任せる方がいい。少なくとも、その方がひと思いに死ねるだろう。」と語ったと言う。
第3章では、日本上空で被弾した墜落機の捕獲搭乗員は、どのように取り扱われ、処置されたかを究明していく予定です。そして、彼ら(B-29&P51パイロット)の情報に迫ります。ご期待下さい。