序文:
この度(2007.3.9)B-29の縁で、豊田市平和を願い戦争を記録する会から、終戦前日のトヨタ爆撃の真相を解き明かした 冊子
『 わたしは模擬原子爆弾パンプキンをトヨタへ投下した 』 をいただきました。
その内容は、トヨタ自動車挙母工場(現本社工場)に模擬原子爆弾パンプキンを命中させた元B-29指揮官(原爆投下作戦の極秘部隊、米陸軍第509混成軍団) フレデリック・C・ボック大尉がトヨタ自動車轄ナ高顧問 豊田英二氏に宛てた書簡を基に、
当時の米軍資料などを解読し作戦の背景と行動を解き明かした『トヨタ爆撃の解説書』です。
この冊子は、1995.7.7豊田市民への説明会&中日新聞での記者発表(報道は7月24日付)
などを通して市民に公開されてはいますが、何故か、豊田市図書館には蔵書もありません。
米陸軍第509混成軍団の標的となり壊滅寸前であったトヨタは、
62年後の現在、世界一の自動車王国となりました。彼らの、広島・長崎への原爆投下で、終戦が早まり、一週間後に爆撃予定
であったトヨタ挙母・刈谷地区の自動車産業(米国は当時は航空機産業と認識)が瓦礫とならずに終戦を迎えました。
トヨタは、原爆による15万人の尊い犠牲者があり、生き延び、現在の繁栄があるといえます。
この日米対話は、半世紀前に爆弾を落とした人、落とされた人、それぞれが半世紀たっても忘れられない思いが
滲み出ています。
私は、歴史に残したい対話であると思いました。
私は、より多くの日本国民、豊田市民が、このような史実を再認識し、謙虚にそして世界平和を願い、後世に伝えることが必要と考えます。
そして、ご訪問の皆様と共に、豊田市平和を願い戦争を記録する会が編纂された半世紀前の郷土の史実を学び、
先の大戦で犠牲になられた先輩の尊い命を無駄にしない日本の将来を願ってこのWebsiteを編集しました。
・追記@:このSiteは、豊田市戦争を記録する会提供の、冊子の全文を、会の責任者了解のもとに編集転載、2007.6.15 JA2TKO
・追記A:模擬原子爆弾パンプキン関連新聞記事追加、2013.8. 9 JA2TKO