〔HP開設8周年記念〕・・・豊田市戦争を記録する会資料より 2007.6〜HP本邦初公開 ・ 新聞記事追加 2013.8.9
2016.8.17トップページ写真追加New

太平洋戦争の記録
B-29トヨタ爆撃の真相

模擬原子爆弾パンプキン

大戦末期トヨタは航空機産業として壊滅の危機に


終戦前日・1945.8.14 『その日トヨタは戦場だった!』史実を後世に!
序文: この度(2007.3.9)B-29の縁で、豊田市平和を願い戦争を記録する会から、終戦前日のトヨタ爆撃の真相を解き明かした 冊子 『 わたしは模擬原子爆弾パンプキンをトヨタへ投下した 』 をいただきました。

その内容は、トヨタ自動車挙母工場(現本社工場)に模擬原子爆弾パンプキンを命中させた元B-29指揮官(原爆投下作戦の極秘部隊、米陸軍第509混成軍団) フレデリック・C・ボック大尉がトヨタ自動車轄ナ高顧問 豊田英二氏に宛てた書簡を基に、 当時の米軍資料などを解読し作戦の背景と行動を解き明かした『トヨタ爆撃の解説書』です。 この冊子は、1995.7.7豊田市民への説明会&中日新聞での記者発表(報道は7月24日付) などを通して市民に公開されてはいますが、何故か、豊田市図書館には蔵書もありません。

米陸軍第509混成軍団の標的となり壊滅寸前であったトヨタは、 62年後の現在、世界一の自動車王国となりました。彼らの、広島・長崎への原爆投下で、終戦が早まり、一週間後に爆撃予定 であったトヨタ挙母・刈谷地区の自動車産業(米国は当時は航空機産業と認識)が瓦礫とならずに終戦を迎えました。 トヨタは、原爆による15万人の尊い犠牲者があり、生き延び、現在の繁栄があるといえます。

この日米対話は、半世紀前に爆弾を落とした人、落とされた人、それぞれが半世紀たっても忘れられない思いが 滲み出ています。 私は、歴史に残したい対話であると思いました。

私は、より多くの日本国民、豊田市民が、このような史実を再認識し、謙虚にそして世界平和を願い、後世に伝えることが必要と考えます。 そして、ご訪問の皆様と共に、豊田市平和を願い戦争を記録する会が編纂された半世紀前の郷土の史実を学び、 先の大戦で犠牲になられた先輩の尊い命を無駄にしない日本の将来を願ってこのWebsiteを編集しました。

・追記@:このSiteは、豊田市戦争を記録する会提供の、冊子の全文を、会の責任者了解のもとに編集転載、2007.6.15 JA2TKO
・追記A:模擬原子爆弾パンプキン関連新聞記事追加、2013.8. 9 JA2TKO

目 次

ボックの書簡と解説 爆撃写真集 関連リンク集
詳しく知りたい方
写真で楽しみたい方
もっと知りたい方

@標的No.1139トヨタ挙母

A標的No.1140トヨタ刈谷

B第509混成軍団

C出撃命令書&報告書

D爆撃・トヨタ挙母

E爆撃・前山&今

Fパンプキン爆弾

Gパンプキン投下

Hボック大尉

Iボック大尉書簡

J豊田英二氏『決断』

Kトヨタ20年史

Lシルバープレート

@史跡探訪
内容:
・シルバープレート
 開発と生産
 戦闘作戦
 爆弾
・マンハッタン計画
・ロスアラモス入門書など
A青森空襲を記録する会
内容:
・本土空襲撃墜B29調査
・アメリカ陸軍航空隊作戦日誌など
B戦争を語り継ごう
内容:
・全般・軍隊・銃後・沖縄戦・原爆・終戦・戦争責任
C捕虜 日米の対話
DB-29Museum
E超・空の要塞B-29の追憶

F中日新聞記事
・模擬爆弾の実態 2013.8.8 朝刊 New
G新三河新聞記事・終戦記念日特集
・終戦前日に最後の爆弾 2013.8.8 New
H”トヨタの系譜”中日新聞社・終戦70年特集
・終戦前日、トヨタの工場・原爆の恐怖! 2015.6.5 New
I米兵が保存していた
・マリアナ時報 号外・ポツダム宣言 2015.6.12 New



『3発目』パンプキン爆弾・トヨタ挙母工場に命中し炸裂
(投弾時刻:1945.8.14.15:01JST)
・・・画像をクリックし拡大してご覧ください・・・

『1発目』パンプキン爆弾のクレーター・旧トヨタ前山社宅南
(投弾時刻:1945.8.14.14:53JST)
・・・画像をクリックし拡大してご覧ください・・・

写真:新三河タイムス 2013.8.8 『終戦記念日特集』 写真抜粋New


『3発目爆心地点』を70年後のマップにはめ込むと
(投弾時刻:1945.8.14.15:01JST)
・・・画像をクリックし拡大してご覧ください・・・

写真:B29 friend Mr Brian Cody 提供 2016.8.14


『2発目』パンプキン着弾地点・旧名鉄渡刈鉄橋付近
(投弾時刻:1945.8.14.14:58JST)

(東海環状矢作川橋の右岸下流河川敷)
中央の深津祐一氏は、国民学校4年生の時パンプキン爆弾のクレーターを確認、、
爆弾の赤熱破片が対岸の渡合までも飛散し、藁葺き屋根の民家が焼けたと証言された。
(写真:2007年4月17日11時24分、JA2TKO撮影)

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