2.葬送としての『レクイエム』
ヴァティカン第二公会議以後、『レクイエム』は『死者のためのミサ』として定められ、『レクイエム』が教会内で歌われることはない。『死者のためのミサ』の基本は葬儀ミサで、ミサが葬儀と直接結びつけられるのは、拝領祈願がすんでから閉祭を省いて「葬送」すなわち「告別」が行われるところだけである。「キリストの復活の感謝のいけにえを」記念するミサを、「死者のために捧げるのは、キリストのすべてのからだは互いに結ばれているので、ある人には霊的援助を嘆願し、ある人には希望に満ちた慰めをもたらす」ものだからである。(14)もともとキリスト教と音楽は典礼と直接結びついて現代に至った。西洋音楽の起源がキリスト教に求められる所以である。そして、その音楽の起源は《グレゴリオ聖歌》にある。現在、小教区の教会での「主日のミサ」で、グレゴリオ聖歌を歌うことは滅多にないだろう。グレゴリオ聖歌も現在では、音楽史の中に収められてしまった形になっているが、かえって音楽史の素材として再び聞き直されているようである。『ミサ・ソレムニス』も『レクイエム』も教会の典礼としてよりも鑑賞教材になってしまったが、そこからキリスト教の精神に帰る道もあるようだ。(15)
いずれにしろ、第2次ヴァティカン公会議以前のカトリック典礼の荘厳、重厚さは、グレゴリオ聖歌にあった。しかし、ネウマ neuma譜(16)、四線の楽譜に四角の音符では現代の学校音楽を学んできたものにはなじまない。グレゴリオ聖歌が現代音符に書き改められ、現代的に移調して歌うようになったのはソレーム修道院以来である。ソレーム修道院におけるグレゴリオ聖歌の再確認は19世紀中頃から始まった。それまでザンクト・ガレン修道院の研究成果が知られていたが、ソレーム修道院の研究はドン・ガジャール神父によって、私たちにも知ることが出来るようになった。1960年代になって、グレゴリオ聖歌のLPが発売されたときは、日本の私たちはほとんど驚愕に近いほど感動したものだった。その後、グレゴリオ聖歌のディスクは着実に増えた。それによって一般信徒も修道院内の聖務日課をグレゴリオ聖歌によって知るようになった。これはキリスト教文化の革命的な拡大につながった。しかし、同時に第2ヴァティカン公会議の結果、典礼聖歌の国語化の推進がラテン語による典礼聖歌を一般信徒から遠ざけたのも事実である。いま私は、とくに《レクイエム》について考察するつもりであるが、それは復古思想からではなく、《ミサ》《レクイエム》が、どのように典礼音楽と結びつきどのように発展してきたかについて、その歴史的考察を通してキリスト教が求めたものは何であったかについて整理しようという目的のためである。その上で、《レクイエム》は、はたして「死者のための音楽」なのか、また、生きている者は如何に受け止めるべきなのかについて考えてみようと思う。その一つの作品として、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』が、典礼文でなく、聖書からの言葉を使ったのは何故か、選んだ聖書の言葉からブラームスが求めてものは何であったかについて考えてみたいと思う。
まず、『レクイエム』(正式には、Missa pro defunctis)は、『死者のための典礼』Liturgiae Defunctoriumは『死者のためのミサ』Missa Defunctoriumと『赦祷式と埋葬式』Absolutio pro Defunctis et in Exsecunis Defunctis に分かれる。
『死者のためのミサ』と『赦祷式・埋葬式』の構造
@入祭唱(Introitus):永遠の安息を Requiem aeternam
Aあわれみの賛歌(Kyrie):キリエ
@昇階唱(17)(Graduale):永遠の安息を Requiem aeternam dona eis
Domine
C詠唱(18)(Tractus):主よ、とき放ちたまえ Absolve, Domine
D続唱(19)(Sequentia):怒りの日 Dies irae
E奉納唱(20)(Offertorium):主イエズスよ Domine Jesu Christe
F感謝の賛歌(Sanctus):聖なるかな
G平和の賛歌(Agnus dei):神の子羊
A聖体拝領唱(21)(Communio):永遠の光が
Lux oeterna luceat eis,Domine:
『赦祷式と埋葬式』
(鐘の音)
I応唱(22)(Responsorium):来たれ神の聖人たちSubvenite
J応唱(Responsorium):我を解放したまえ Libera me
K交唱(23)(Antiphona):天国に連れて行くように In paradisum
L交唱(Antiphona):我は復活と生命であるEgo sum
M応唱(Responsorium):我を記憶し給えMemento mei
N応唱(Responsorium):我は信じるCredo quod redemptor
ミサは本来、生ける者にも死せる者にも共に捧げられる典礼である。
司祭は聖変化後の奉献のとき主の救いのみわざを追憶し(第一の祈り)、生命のパンと終わりなき救いのカリスを捧げるが、これは旧約時代に倣って行われる礼拝、表敬、祈りの深さを尊い犠牲と共に捧げる最上の祈りとするものである(第二の祈り)。いま、ここに御聖体を拝領する「生ける者の記憶」において、この世の人々を記憶し給えと祈るが(第三の祈り)、司祭は同時に一層厳かに「死せる者の記憶」を祈る(第四の祈り)。(教会では、ここで司祭は祈るべき人の名を思い起こさせる。)そして、司祭は死せる者、死せる知人、死そのものを思うために瞑目する。その上で、聖使徒、殉教者たちの交わりに我ら罪人も加えられるように願い(第五の祈り)、すべての被造物のために(第六の祈り)、「キリストによってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。」(第七の祈り)と奉挙するのである。ミサは、静的な祈りというより、むしろ動的な祈りの場である。精神のドラマといってもいいかも知れない。そのドラマの中心主題は、常に人の生死である。私たちは、ミサのたびに「死せる者の記憶」から「私の死」を考える。すなわち、いま、ここにある生をいかに生きるかを考え、いのちが過ぎ去るものであるが故に不滅のもの、真実なるものを求め、試練に負けず、無気力に陥らないような力を得なければならない。苦しむことは決して無意義に終わらないのだから。
このように毎日のミサは「死者のためのミサ」である(第四の祈り)が、とくに「死者のためのミサ」にあずかっているとき、人生の重大事を直視することが大切になってくる。
そのミサは入祭唱Introitusで始まる。入祭唱はミサに入る準備である。「死せる者の記憶」の祈祷文は、神が選ばれた人々に与えられた天国の生活を想像させるものであった。釈尊の思想が『阿弥陀経』において示されたように極楽世界を想像させるものであったように、カトリックにおいても趣旨において同様の救いを示すものであった。「至福の安息」は、かつて「涼しき場所」であった。暑熱の太陽の下、エルサレムからエリコまで伝道の旅を続けた伝道者・聖者たちは、旅の終わりに冷たい水、木陰の憩いによって生き返る思いをしたであろう。苦しんだ経験があってこそ「涼しき場所」の味わいを知ることが出来る。象徴的な意味での「至福の安息」はまさにその人たちのためにある。現代人は「地獄・極楽」、あるいは「地獄・天国」を荒唐無稽と考えるが、釈尊やイエスが譬え話で説かれたのは、夢のようなところがあると慰められたのでなく、苦しむ者への慈悲・愛を象徴的に心で示されたのである。従って安息を無為の休息と考えるのは間違いである。安息のときとは、真実を見極めるところ=観想の行われるところにあると考え、そこでこそ愛が実現するのである。生前に必死になって生き、苦難の中で死を迎えた死者たち、身を焼き尽くす炎熱、徒労と思われる労働、逆境、裏切りと不信、不当な暴力、満たされない努力の数々が、いま、漸く解放されて平安の世界に入ろうとする。この死者たちに真実の愛が実ることを生者は祈る。永遠の安息が今こそ彼らに与えられてほしいという生者の願いが死者たちに安息を、という祈りになる。
No.1 Introitus: Requiem 入祭唱
Requiem aeternam dona eis, Domine:
主よ、永遠の安息をかれらに与え。
永遠の安息の場所は闇の世界ではない。光溢れた世界である。観想に光がなくてはならない。光は神を観る栄光の光である。それ故に、安息に続く言葉は、
et lux perpetua luceat eis.
たえざる光をかれらの上に照らし給え、となる。そして、
Te decet hymnus, Deus, in Sion,et tibi reddetur votum in Jerusalem.
神よ、主の賛美をふさわしくうたいうるのはシオンである。
エルサレムでは、主にいけにえをささげ奉る。
Exaudi orationem meam, ad te omnis caro veniet.
われらの祈りをきき給え。
すべての肉体の向かうべき主よ。
主よ、永遠の休息をかれらに与え給え。
No.2 Kyrie キリエ(主よ、あわれみ給え)
次いで初代教会では連祷の形式をとって、Kyrie(あわれみの賛歌)が唱えられる。信仰を渇望する求道者、殉教者、信者が嘆願する連祷の名残である。「キリエ」という呼びかけは、元来キリストを示す言葉「キュリオス」であり、パウロの時代から使われていた深い嘆願を現す。従って、信徒は何度も繰り返して嘆願したのである。その回数も教皇が合図するまで繰り返していたと言われる。現在、3回ずつ、計9回唱えることに簡素化した。
Kyrie, eleison. Christe, eleison. Kyrie, eleison.
主よ憐れみ給え、キリスト憐れみ給え、
主よ憐れみ給え。
No.3 Sequentia(続唱) Dies irae (怒りの日)
「怒りの日」から死について考えさせる。カトリックでは、死の由来を一つには、アダムの原罪の結果と考える。『旧約』以来、アダムの罪により、人間は外自然の恵みによって死を免れることが出来なくなったと考えられてきた。「死が始まった」のである。これを生物学的に言えば、死の後に(腐敗の)怖れがあり、怖れの後に(死の)悪臭があり、悪臭の後にうじがあり、うじの後に、灰があり、灰の後には(人間を思わせるものは)何もない。こうして、「怒りの日、世界を灰に帰せしめん。」ここにあるのは、ただ泡と灰のみ。
もう一つの死の由来は、人間の個人的過ちによって恐ろしいものとなる、という考え方である。最後の審判を前もって黙想する。それが「怒りの日」の典礼文となる。
Dies irae,dies illa、Solvet soeclum in favilla:Teste David cum
Sibyla. Quantus tremor est futurus, Quando judex in favilla:
Teste David cum Sibylla.
怒りの日、その日こそ この世は灰と帰さん、
Quantus tremor est futurus,Quando judex estventurus, Cuncta
stricte discussurus !
すべてをおごそかにただすために、審判者が来たり給うとき、
人々の怖れはいかばかりであろうか。
「怒りの日」は、すべての作曲家が大いに競う部分となっているが、もとはグレゴリオ聖歌にあり、単純な旋律であるが、「レクイエム」以外にも「死」を象徴する基本主題になっている。ベルリオーズの交響曲『幻想』、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』などは最も代表的な作品になっている。
フランスの作曲家の特徴である「慈悲深きイエスよ」Pie Iesu は、とくにフォーレの場合に有名だが、感謝の賛歌と平和の賛歌の間に入る。これは「主の祈り」の答唱として歌われている。
Pie Jesu Domine, dona eis requiem; dona eis requiem
sempiternam requiem.
いつくしみ深き主イエズスよ、彼らに安息を与え給え。
絶えざる安息を彼らに与え給え。(24)
曲は、アダジオでソプラノで歌われる。ベルリオーズやヴェルディの「レクイエム」とは異なる静かな音楽で、「怒りの日」を入れていない「レクイエム」の対極にある音楽の名品になっている。これだけを単独に聴いても「レクイエム」が魂の音楽であることが十分納得できるだろう。
「ミサ」に引き続き『赦祷式』に移る。そのとき歌われる聖歌が、「リベラ・メ」である。ヴェルディは、他の作曲家に追随できない「リベラ・メ」の名曲を書いた。「怒りの日」と対照される聖歌である。
Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda,
quando coeli movendi sunt et terra.
Dum veneris judicare saeculum per ignem.Tremens factus sum ego
et timeo, dum discussivo venerit atque ventura ira.
主よ、かのおそろしい日に、私を永遠の死から解放し給え。
天地が震い動くその日。
主が、この世を火で審きに来給う時。
私は、来るべき審きと怒りとを思って、
震えおののく。天地が震い動くその日。
その日こそ怒りの日、わざわいの日、
なやみの日、大いなる悲嘆の日。
主が、この世を火で審きに来給う時。
主よ、永遠の休息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え。
主よ、解放し給え。
例えば、ヴェルディの「レクイエム」における最終楽章「リベラ・メ」(25)は、彼が最初に作曲したように、「怒りの日」と対になる役割をもった楽章として念入りに書かれている。ソプラノは無伴奏で音程の動きのないままに、リベラ・メと歌いだす。しかし、途中で一旦総休止の後、フォルティッシモでも「怒りの日」が再現される。天地が震える日、来るべき審判を思い私は震えおののくのである。そして、全合唱の後、ソプラノ・ソロは再び「リベラ・メ」を呟くように歌い、静かに終わる。カトリックの教義では中世以来の煉獄の思想があった。しかし、キリストによる義認の恵みに対する理解に反するので、解釈上意見が分かれる。「怒りの日」といい、「我を解放し給え」にしても劇的に展開するので音楽として聴く分には聴き応えがあるが、これを教義の問題として考えるときには問題がある。プロテスタントでは批判的である。大聖堂で演奏される機会もあるが、どちらかと言えば、「レクイエム」を典礼音楽と考えるより、コンサート・ホールでの音楽として聴くようになった最大の理由であろう。
そのあと「キリエ」が唱えられた後、「主の祈り」を黙想する。聖水を撒き、香を焚く。「集会祈願」の後、聖歌隊が「楽園にて」を歌うなか、柩が墓地に運ばれる。フォーレの「レクイエム」の終曲に置かれた「楽園にて」(26)は最高の傑作である。
In paradisum deducant angeli; intuo adventu suscipant te martyres et
perducant te in civitatem sanctam Jerusalem. Chorus angelorum te
suscipant,
et cum Lazaro quondam paupere, aeternam habeas requiem.
天使たちが、あなたを天国へ連れていくように。
あなたがそこに着くとき、殉教者たちが出迎えて、
エルサレムの聖なる町にみちびくように。
天使のむれがあなたを出迎え、かつて貧しいラザロの入った
その永遠の休みにみちびかんことを。
埋葬式には決まった聖歌はない。司祭は次の唱和をする。
Requiem aeternam dona eis, Domine: Et lux perpetua luceat eis.
Requiescant in pace. Amen.
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光を彼らに照らし給え。
彼ら平安のうちに憩わんことを。
アーメン。
(典礼文の訳文は、「毎日のミサ典書」ドン・ボスコ社による。)