「05年、私のゆく年、来る年」
今年も、あと残すところ1日となった。05年を振り返ると今年も色々なことがあった。2月には、車検延長問題のフォーラムが東京で開かれ、それに出席する機会を得た。別稿参照)表向きは、「定期点検の実施率が低い。だから、延長は出来ない」と言うことなのだが、本音は別のところにあるようにも見える。つまり、メーカー、整備業界等々の思惑が見え隠れしている。メーカーはクルマを買い換えてほしいし、整備屋さんとしては車検整備を自分たちがすることによって利益を上げているのが現状である。もっとも、最近では昔みたいな過剰整備はなくなりつつあるようだが。
ユーザーとしては、点検をキッチリ実施して、しなければいけない整備だけをしてもらうのが結果的には経費がかからないのだろう。
2月の終わりから3月にかけては群馬県のアイスサーキットまで雪道の練習に出かけた。私はスキーはしないので、それまで雪道はあまり走ったことがなかった。ダートの経験は多少あったので、基本的に車はまっすぐには走らないということは理解していたが、アイスバーンにはビックラこいた。あとで、インストラクターが言うには「アイスバーンではスピードを落とすのが鉄則」だって。
それにしても、雪国の人間は感覚でドライビングしてしまうようだ。ごく普通のクルマで(もちろん4駆であるが)オバチャン達は、バンバン走りまわる。げに、恐ろしきは女性かな。
4月になって暖かくなってきたので、スタッドレスから、夏タイヤに交換した。それまではメーカー標準のタイヤを履いていたが、減ってきていたこともあって今回、ちょっとスポーツ系のタイヤに変えてみた。これが私のサイフを脅かすことになろうとはつゆ知らず。
ご存じのように、タイヤには、転がり抵抗なるものがあり、スポーツ系のタイヤはグリップはよいが燃費は悪くなる。メーカー標準のタイヤとスタッドレスタイヤでは燃費にあまり変化はなかったのだが。このご時世、リッター当たり1qのダウンは痛い。おまけにハイオクだぞ〜。メーカーのタイヤ設定は地味な仕事のようだけど重要なのだと変な感心をしてしまった。
9月の終わりから10月の始めにかけて、WRC「ラリージャパン」が開催された。今年は、三菱とシュコダも参戦し、6ワークスが勢揃いした。今年も観戦したが、結果はソルベルグのまさかのリタイヤ、ローブのチャンピオン決定となった。スバルは、今年はツキがなかった。「ツキも実力のうち」といわれるように勝負事はいかにツキを呼び込むかが重要なのであろう。それにしても、三菱の来年からの不参加のニュースは残念だ。今年はフル参戦をし、安定した成績を残してきただけに惜しまれる。
来年はマニュファクチュアラーズには6チームがエントリーしているが、完全なワークスとして参戦するのはスバル、フォードだけだ。シトロエンはクロノスというサテライトチームを使って参加、プジョーやシュコダも同じような方法で参加する。さらに、ラリージャパンは主催者の毎日新聞がスポンサーを降りた。何とも寂しい限りだが、いちラリーファンとしては、また観戦したい。チケットも入手しやすくなるかも。JTBのいいとこ取りはゆるさんぞ〜。
11月には東京モーターショウに行ってきた。今年のモーターショウは、50周年ということで懐かしいクルマやバイクが展示されていた。
自分としては、プリンスのスカイライン2000GTB、日産のフェアレディー2000(SR311)、日野コンテッサ、いすゞのベレット1600GT、そして、私が初めて乗ったトヨタのパブリカ等を見たかったのだが残念ながら展示されていなかった。特に、スカイラインは今でこそ日産車だが、1960年代前半はプリンス自動車工業で生産・販売されていた。この2000GTB(S54B-U型)誕生のいきさつは、日本のモータースポーツ黎明期である1964年、鈴鹿サーキットでの第2回日本グランプリGTクラス出場のため、プリンス自工は、グロリアの直6エンジンをボディのフロント部を200mm延長して搭載し、ホモロゲーション用に100台を生産し、販売した。レースでは、砂子義一が2位に、生沢徹が3位になっている。このレース仕様の市販バージョン版を2000GTの名で販売した。ウェーバー製のツインチョーク・キャブを3連装し、125psを発生していた。その後、シングルキャブのデチューン版であるGTAの追加により、今までの2000GTはGTBと名称変更されたのである。ちなみに当時、GTクラス優勝のポルシェ904は、プリンスの日本グランプリ3冠を阻止するべく、トヨタが取り寄せた、との噂が出回った。当時の自動車メーカー同士の競争が伺えるような噂ばなしではある。そして、このクルマこそがその後のスカイライン2000GT−Rへと続くのである。
話がとんだ昔ばなしになってしまった。(歳をとってくると誰もがこのようになるのだ。ご容赦あれ。)
何の話だったっけ?そうそう、モーターショウの話だったね。話を元に戻すと、今年のモーターショウは電機メーカーの出展が多かった。理由は、クルマの電子化。これからもこの傾向は続くのだろう。ユーザーにとっては安全で快適なカーライフが実現するというものだ。だが、現状ではクルマ屋の技術者と電気屋の技術者とではクルマに対する考え方が少し違っている。この辺を今後どのように煮詰めていくかが鍵になる。
今年は12月になったら、急に寒くなった。気象庁も暖冬傾向の予報を修正した。私の住んでいるところでも何十年ぶりの大雪だなどと言っている。ここにきて、年始めの群馬での雪道特訓が効果を発揮しているが、ひとつ気がついたことがある。それは、その土地の雪質の違いで微妙にタイヤのグリップ感が変わってくるのである。タイヤメーカーは出荷先の雪質にあったコンパウンドで製造・出荷するとも聞くが、実際はどうなんだろう?
ここにきて、エンジンルームから異音がしだした。調べてみると、どうもインタークーラーのケースとタワーバーが当たっているようだ。タワーバーを取り外すと音は止まるので間違いないと思う。エンジンが過剰に動いている。このような現象は、以前にも経験している。(また昔ばなしかよ・・・)そのときは、ロータリーエンジン搭載車に乗っていた。ご存じの方もいると思うが、ロータリーエンジンはレシプロエンジンと違って回転運動なので、エンジンのトルク反動で一定の方向にトルクがかかる。その結果、エンジンマウントが切れてオイルパンとオイルパンガードが接触するようになった。今回はレシプロエンジンではあるが、エンジンマウントと思い点検してみたが、亀裂や切れは見つからなかった。あとは、マウントブッシュの“へたり”が考えられるが、たかだか35,000q走っただけで“へたる”ものなのだろうか?(ひょっとして、北海道でのあのジャンプが原因か?それとも、通勤途中に1カ所ジャンプするところがあるのだが、そこのジャンプの繰り返しか?)と、いろいろ考えてしまった。
確認のためディーラーに聞いたところ、ありましたよ、対策品が。今のクルマは、コストダウン、軽量化等でかなり、ぎりぎりの設計をしていると聞いてはいたが。以前は、120%の設計をするのが普通だったのだが。それにしても不愉快なのはリコールとまではいわないが、このような不具合をユーザーにも知らせず、聞かれたら「対策品がありますよ」ではメーカーの体質が問われるのではないだろうか。とりあえず部品を購入して交換することにした。
ここまで1年を振り返って書いてきたが、1年は本当に短く感じるようになった。(歳のせいかな?)クルマとの付き合いもこれからずっと続くだろう。世の中はミニバブルとかいって、景気が上昇傾向にあるが、先行きはまだ不透明だ。我々庶民の税金も上がることはあっても、下がることはないだろう。必要なところに必要なだけのお金をかけるのが賢明のようだ。ということで、来年はエンジンマウントの交換から始めるとしようか。
それでは皆さん、よいお年を!
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