今月のタイトルは、某国大統領の「不適切な関係」ならぬ「不適切なドライバー」。これについて一言。
最近の車は、安全を重視して開発されている。ABSしかり、SRSエアバックしかり、何々ボディしかり。さらに、各種センサーによって車の挙動制御が行われ、車をより安全な乗り物にする方向で開発が進んでいる。これはこれで、まことに結構なことと思う。(将来的には、単なる移動体になるかも?)これに対して運転するドライバーの「開発」は進んでいるのだろうか?車の能力とドライバーの能力が反比例しているような気がしてならない。車のほうで勝手にやってくれるものと錯覚しているところがある。
一つの例を挙げるなら、ABS付き車で思い切りブレーキングできない人がいる。メカニズムから言えばABSは設定値以上の油圧が発生して初めて効果を発揮するものである。なのにその圧力までブレーキペダルを踏めない。結果、事故ってしまう。(ちなみに、舗装の乾燥路面では時速80qまでは4輪フルブレーキングしたほうが停止距離は確実に短くなる。)この事はどこに原因があるのだろうか?
今の交通事情ではなかなか経験できないとか、自動車学校等で教育されていないとか、そんな危険な運転はしないとか、自分は事故を起こさないとか、色々あると思うが、一番肝心なのは、ドライバーが車の運転に対して危機感を持っていないことである。鈍感になっていることである。ざっと思いつくだけでも、携帯電話を使用しながら、ひげを剃りながら、化粧しながら、スリッパを履きながら、新聞を読みながら、等々の「ながら」運転しているのをよく見かける。
私事で恐縮なのだが、私は免許を取るときに「絶対交通事故は起こさないぞっ」と思った。そうするにはどうしたらよいかを考えた結果、ラリーをやりだしたのであるが、(ラリーは一般の道路を使用して行われ、日常の運転よりも高いレベルの環境下で運転することが多い。)今になって思うと非常に役に立っていると思う。抽象的な表現で理解しにくいかもしれないが、まず「車と話ができるようになった」こと、「他の車とのコミュニケーションがとれるようになった」こと、「臆病になった」こと、この三つのことで今の自分があると確信している。車の運転とは、常に先を読むことだと思う。「ながら」運転をしていては対応が遅れるのは当たり前だ。
車はあくまでも「走る凶器」なのです。全知全能、自分の五感を働かせ、「引くときには引く!」感じでセルフコントロールし、車に運転してもらうのではなく、自分が車を操れるようになる事。事故はコンマ何秒、数pの差で回避できることが多い。現在では、危険回避のトレーニングをしている所もボツボツ出来始めている。インストラクターもいてみっちりトレーニングできるし何よりも自分の技量が把握できる。こうした経験をどんどん積めば事故はもっと減ると思う。ぜひ自分の能力を「開発」して安全で快適なカーライフを楽しんでいただきたいと思う今日この頃である。
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