紀行文『中国行きのフェリーボート』3/17更新 映画評論フリーペーパ『劇場分子』 on WEB(試供品)3/17更新 連載世界の名物映画館 |
私的香港映画史 秋好 浩 時の流れるのは、私にとっても香港映画にとっても早いもので、香港の俳優、女優の移り変わりを振り返ると、私も年をとったんだなと実感することしきりです。それでは以下に独断と偏見の私個人の香港、大陸、台湾映画の印象に残っているのを時代順ではなく、思い出した順に適当に並べます。 小学生時代 小学生の時、ブルース=リー(李小龍)に憧れ、「アチャー」と叫んだ。友達も殆ど同じ状態であったので、おそらく私たちの世代において一度は通る道ではないだろうか。子供のときに見た彼こそがヒーローであった。あと、ヒーローものではないがMR.Booも印象に当然残っている。 中学生〜高校生時代 日本に来る香港映画といえば当時はやはりカンフーであった。特に一世を風靡したのは「少林寺」(李連杰主演)であろう。今度も懲りずに「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハッ」と叫んでいた。後はジャッキー=チェン(成龍)主演の「酔拳」で、やはりまねをしていた。 大学時代 この頃から香港、大陸、台湾を頻繁に行き来するようになる。印象に残っているものにはジャッキー=チェン主演の「ポリスストーリー(警察故事)」でのマギー=チャン(張曼玉)で香港の女優にもようやく目が行き届き始めた。私にとって彼女はヒーローを支える脇役の位置を始めて脱した女優である。さらに続編の「超級警察」のミッシェル=キング(楊紫瓊)のアクションには度胆を抜かされた。 さらにずっと香港にいるなんて不可能だから、当然日本でも香港映画を見ることになる。この頃日本に来る香港映画は成龍のものが多く、それ以外のものは圧倒的に少なかった。しかし、私にとって現在に至るまで影響を及ぼしている革命が起こる。周潤発である。日本で一躍有名になったのはおそらく「男たちの挽歌(英雄本色)」(ジョン=ウー(呉宇森)監督だったと思う)であろう。また、この映画はかなり多くの人々に衝撃を与えたであろうことは容易に推測出来る。 しかし、私にとっての革命とは今では閉館の憂き目を見る大毎名鑑で見た「大丈夫日記」である。周潤発のコミカルな演技が絶妙に冴え、ジョイ=ウォン(王祖賢)、サリー=イプという2人の魅力的な女優もこの時知った。さらに同時上映が「誰かがあなたを愛している(秋天的童話)」である。これもチェリー=チェン(鐘楚紅)との、さりげない好きあっているもの同士の意地の張り合い、擦れ違いといった微妙な演技も感動もので香港映画にもこういうジャンルがあるんだなと日本のロードショーに来るのは限られたものしか来ないんだなと思ったものであった。 台湾留学時代〜現代にかけて バブル景気の時に大学生であったのでまともに仕事を探せばすぐに条件がいいものが見つかる今では考えられないような、本来なら人から羨ましがられるような時代に大学を卒業したのであるが、ドロップ=アウトしてしまい台湾に語学留学に行ってしまった。このころに見たもので印象に残っているものには、ブリジット=ラム(林青霞)主演の「暗恋桃花源」、張芸謀監督コン=リー主演の「レッドランタン(大紅灯籠高高掛)」、陳凱歌監督「さらば愛しきあい(覇王別姫)」、侯孝賢監督「恋恋風塵」などである。香港映画ではレオン=カーウェイ(梁家輝)主演の「追男仔」、さらに鄭裕玲主演の「表姐ニーハオ」はエンタテイメントとして最高級である。さらに伝統的なカンフー映画では李連杰の「黄飛鴻」さらに共演のロザモンド=クァン(関芝琳)もよい。またこの頃、ウォン=カーウェイ(王家衛)をみだす。田壮壮の「青い凧」も忘れられない。 また最後になるが「つきせね思い(新不了情)」のアニタ=ユンや劉青雲はおそらくしばらく香港映画を支えるような女優、俳優であろうかと思われる。それを示唆する点としてまず、「不了情」という夜上海の懐メロ(この曲はサリー=イプもカバーしているぐらいポピュラーな曲)をカリーナ=ラウ(劉家玲)が歌っているということである。劉家玲も全盛期は彼女一人でも観客を動員できるぐらい(彼女がもう人気がないという訳ではないが)女優であった。しかし、「新不了情」の劉青雲は「不了情」を歌っているカリーナ=ラウではなく、アニタ=ユンに心の安らぎを求めるようになるということである。時代の流れは彼女なんですよと変な解釈をしてしまうのは私だけだろうか?(劇場分子参考出稿) |