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連載世界の名物映画館

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世界の名物映画館

 

1.大毎名画鑑賞会

 

 今日本でもシネマコンプレックスの波が押し寄せるにつけ新しい映画館が増える一方、ひっそりと名物映画館が無くなっていく。もちろん確固としたマーケッティングを踏まえたシネマコンプレックスによる効果で映画館の減少、観客の減少に歯止めがかかったことは映画を愛するものにとって胸をなで下ろすことしきりである。しかし私にとって映画とは映画そのものだけでなく、一人で行ったとか、友達と行った、あるいはどんな映画館で、当日の客の入り、客層などその映画に纏わる『場』を含めたものを愛してきたがゆえにハードウェアとしてのシネマコンプレックスは画一的で一抹の寂しさが拭えない。ではどんな『場』好きなのか?あるいは月並みにいうと今まで観た映画で一番好きな映画は何ですか?」という問いに対して私は「大毎名鑑で観た『大丈夫日記』です。」としか答えることができない。

 それでは表題の大毎名画鑑賞会について詳しく説明する前に、すでに無くなった私にとって大事な他の映画館について先に少し触れておく。私は今32であるがこの年代が中学生の頃までは映画館といえばどこを指すかといえば、それは紛れもなくOS劇場であった。『スター・ウォーズ』、『未知との遭遇』など大々的に宣伝している看板を見るにつけ、親に連れていってもらえなかったため、あそこには夢みたいな世界があるんだと空想で我慢したものであった。また閉館イベントの時には自分で映画を見るぐらいのお金には不自由していないため、シネラマスコープでトリミングのない『ベンハー』を見たかったのだが並ぶのが嫌いな怠け者の性格がたたり当然満員で入場できなく、一つの歴史の現場に立ち会えなかったことを後悔したという思い出がある映画館である。

 次に無くなって残念な映画館は阪急プラザ劇場である。ここでは高校時代、台風が来て学校が休校になり、本来ならば学校側は生徒の安全を考えて帰宅させるのだが、当然自宅で待機なんかするわけなく、『炎のランナー』を見に行ったという微笑ましいことがあった。またプラザ劇場は阪急の高架下にあるため、電車が行き来するのが何となく分かる。例えば『レイダース−失われたアーク−』を見ているとき、巨石が転がり落ちるシーンで丁度列車が通過した時にはドルビーサラウンド顔負けの体感振動が味わえる。まあ大袈裟であるがそんなことも言いたくなるぐらい私にとっては愛着のある映画館であった。

 そこで表題に戻るが、私にとってなくなって一番残念なのが大毎なのである。大毎に最も通った1980年代後半はまだ高校生ぐらいだったので手持ちの小遣いは限られていて、かつ当時通っていた県立高校がアルバイト禁止だったので本当に貧しかった。それゆえ映画といってもその時の私にとっては高価な娯楽で、たまにしか行くことができなかった。しかし、テレビではない周りの世界から遮断された独特の空間は、あの頃の私にとってはそれがすべてであった。

 そこで、どうにかして好きな映画を一本でも多く観たい。そのためにどうすればよいかだが、まず思い付くのは「映画の日」であった。当時、映画の日は年一回しかなく、私にとっては年一回のおまつりなので当然学校はさぼった。 しかし、その頃の映画の日は年1回なので当然私の欲求を満たすべきものからは程遠いので、そんな満たされない日々を送っていた時に高校のクラスメートに紹介されたのが大毎名画鑑賞会なのである。

 大毎には通称地下と名鑑があり、地下の方はお世辞でも座り心地のいいとは言えないがちゃんと椅子があり、普通のひなびた映画館の域にきちんと達していた。しかし、名鑑の方はホールを借りてのスポット上映で映写機が床にむき出しで置いているので人がその前を横切るとスクリーンに人の影が映るというすぐれものであった。さらに椅子は一階がパイプ椅子で何故か2階にきちんと椅子がある。これもまた奥が深い。しかし、そのような環境が妙に気に入って会員料金¥400−とあいまって名鑑は私を魅了した。もちろん地下にも良く通ったのだが。

 また、大毎がありし頃は私は会員に入っていた。年会費1000円で毎月郵送で大毎地下ニュースというしっかり製本された広報、上映案内が送られてきた。それとランダムに年二回招待券が同封される。また会員カードの裏に一回見るたびにはんこをひとつ押してもらい、10個たまると招待券1枚と交換そして交換後は最初の会員カードはブルーで縁取りされたカードなのだが招待券と交換したあとの更新後のカードはゴールドで縁取りされており、こころなしか紙が分厚いような気がして、さらに8個はんこがたまれば招待券と交換というゴールドカードを手にしたとき妙に感動した。

 会員の地下ニュースに話を戻すと、ニュースには必ず巻末にマニアックな映画のクイズが連載されていた。全問正解者全員に招待券プレゼントという徹底ぶり。招待券をやらないぞというより骨まで映画を愛してねという出題者の意志がひしひしと伝わる問題の数々でった。ちなみに私の戦績は、部分的に分かっても全問分かった月は最後までなかった。

 では当時どのようなスタイルで映画を観に行ったのかというと、まずは持ち込む食べ物から。北野ではよく近くのファーストキッチンからの食べ物を持ち込みをしている人を見かけるが、大毎ではダイエー系列のドムドムである。妙に大毎とドムドムの安っぽさと北野とファーストキッチンの華やかさをついつい対比して見てしまうのは私だけであろうか。今振り返ってみてもすごく魅力のある空間であると思われるが大毎ドムドムともに無くなり、思い出す度にもうあんな空間はできっこないと寂しく思う。しかし、その頃苦労して観た映画は数知れず今でも心に残る楽しい思い出である。

 次回は日本を離れ台湾、香港、中国の映画館または映画事情に旅立ちます。