紀行文『中国行きのフェリーボート』3/17更新 映画評論フリーペーパ『劇場分子』 on WEB(試供品)8/7更新 連載世界の名物映画館 |
世界の映画館、映画事情(2)台湾
まず台湾での映画観賞のスタイルから説明しよう。日本などでは映画を見るときにはポップコーンやハンバーガーやジュースを持込んだりする。台湾でもそうなのであるが、他にとりもつや手羽先を焼いたものを持込むのが大好きである。映画館の近くには必ずこの台湾風焼き鳥屋の屋台がありかなり多くの人が映画を見る前に買込む。映画は庶民の娯楽で切符の値段は時間によって計算され大体150から200台湾元(約600から800日本円)であるから日本とはおおちがい、そのため私が日本の映画の券の値段を台湾人に教えると彼らは決って「高い」と答える。 切符を買ったら切符の裏に席番が書込まれる。つまり、台湾はどの映画館でも全席指定総入替え制である。日本などで人気のある映画で立ち見なんていう事はあり得ない。もちろんこれに関してはシネマコンプレックスの出現で多少人気映画でも比較的以前に比べ落ち着いてみれるようにはなったが。それでもやはりこの制度が大好きである。日本の映画産業は儲ける事は考えても客の事はあまり考えてないような気がする。それはともかく話を先に進めて、映画館に入ってから自分の席を見つけて、座ってしばらく待っていると突然みんな立ち上がる。これが、おなじみの国歌斉唱である。これだけは閉口させられた。昔はこの国歌「三民主義」をみんな声をあげて歌っていたらしいのであるが、現在では起立脱帽するだけで歌う人はいない。日本でもNHKが強制的に放送終了時に「君が代」を流す。台湾の国歌斉唱もそれと同じぐらい愚劣な行為だと思う(ちなみに「君が代」は国歌ではないので少し異なるが)。 それでは「国歌(三民主義)」について説明した上で一本映画を紹介したい。それは「 嶺街殺人事件」(台湾公開一九九一年)である。これは日本では評判は良かったらしいが、台湾での客の入りがいまいちであったことも加わり、私はこの作品をあまりおもしろいとは思わない。しかし、一つだけ印象に残るシーンがあるのでそれを解説しようと思う。 まず「 嶺街殺人事件」の概要から先に説明しよう。舞台は一九六〇年代の台北で主人公の中学生の少年が同じ同級生のガールフレンドを刺し殺してしまうといった実際に遭った事件をもとにした内容である。私が注目したシーンとは主役のガールフレンドのあこがれあるいは元恋人のハニーというニックネームの水兵が主人公の学校主催のダンスパーティーの会場でパーティーが始る前の国歌斉唱のときみんな起立脱帽して歌っているなか彼だけ気にも止めず一人立ち止らず会場にはいっていくシーンがあるのである。こんな演出は昔では考えられない。この例は台湾における表現の自由が広くなってきている証拠の一つであろう。もはやこの一連の流れは楊徳昌(エドワード=ヤンは漢字ではこの様に書く。)のこの作品に留まらず、他の作品さらに他の台湾映画監督全般にいえる大きな流れなのではないだろうか。台湾映画における表現の自由の突破をもはや止める事は出来ない。さらに、私が台湾に留学していた当時1990から4年は映画を見る前に必ず国歌斉唱があったのだが、その後台北市長が野党民主進歩党の市長に変わったことが関係しているのか国歌斉唱がなくなっていた。今現在は与党国民党が市長の座を奪回したので国歌斉唱がどうなっているのか興味があるところだ。 次に、台湾における表現の自由の突破という観点から日本でも有名な「非情城市」(日本公開一九九〇年)を取り上げることにする。この映画については日本の映画評論家はべたほめでヨーロッパで賞を取った。また金馬賞も取ったはずである。私も見てみたがあまりおもしろいとは思わなかった。しかし、画期的と思われるのは全編ほとんど台湾語で押切った点と、あと二・二八事件を少しではあるが扱った事である。 それでは二・二八事件がどういった事件なのかをまず少し説明しようと思う。一九四七年二月二七日の夜、台北市で国民党の専売局闇タバコ摘発隊が逃げ遅れた老婆を殴った。それに抗議して集った台湾人に向って国府軍(国民党の軍隊)は発砲し、一人を殺してしまった。翌二八日台湾人のデモ行進が専売局に押しかけ、さらに長官公署に向ったが、その時、自動小銃で一斉掃射をを受け、多数の死傷者を出したのである。そこで、激怒した台湾人達は光復(直訳は「また光が返ってくる」ようするに日本の敗戦にともない解放された事)後の台湾に移住してきた外省人の家、店舗かまわず焼討ちにしたのである。さらに、台北市放送局を占拠し、全島民に決起を呼びかけたのである。この反乱を鎮圧したのが三光政策で有名な蒋介石である。彼がどの様に鎮圧したか説明する必要が無いであろう。 その結果出来た流行語の一つにこういったものがある。元の中国語は忘れたがその日本語訳は「犬(日本)がやってきた後に豚(国民党)がやってきた」要するに犬はいじめたり(搾取)するが自分達を守ってくれた。しかし、豚(国民党)は食う(搾取)だけで何もしてくれない。ここに台湾の悲劇が凝縮されているのである。もし、国民党が無茶苦茶な事をしなければ本省人外省人などという言葉は生れなかったし、日本だけが悪役で済んだのが、同じ民族と信じていた中国人にこのような事をされたが故に中国人と信じていたアイデンティティは引裂かれ、我々は中国人ではなく台湾人だという自覚が広がって行くのである。 話はだいぶそれたが「非情城市」において2・28事件を扱うシーンがある事がどれほどの意味を持つのか理解していただけたと思う。それだけ、台湾における表現の自由はだんだん広がってきたのである。日本における南京大虐殺や沖縄戦もっとさかのぼってアイヌ虐待など真剣に映画産業は立ち向った事がない事を考えると日本の表現の幅は狭い。 |