伊賀森林ボランティアに初めて参加したのは、定年後非常勤となって一年が経過した平成十一年七月でした。
一日目は杉の間伐、二日目は雑木林の下草刈をしましたが、我々でも何とかやっていける作業内容にホッとして、木の香りを胸一杯吸い込み、森で汗を流すことに喜びを感じました。
例会は休日開催ですから現役時代でも参加できたはずですが、やはりすべてに余裕が無かったのでしょう。

 かつて間伐材を圧縮硬化させ、グレードアップする研究開発を手懸けたことがあります。間伐材の有効利用は、第三セクターを作りやすいテーマであり、当時はそれを奨励する環境にありました。豊富にある杉、檜、唐松等を材料にして試作し、まずまずのものは出来ましたが、結局製造コストが高すぎて事業化には至りませんでした。今から思えば三セクなどバブル時代の安直な発想で、深入りしなくて良かったと胸をなでおろしています。この経験も森林に目を向けるきっかけの一つでした。

 初参加以来最も印象深かった体験は炭焼きです。
秋には窯のレンガ積み、春には炭材の詰め込みと火の番に参加しました。予定時間より早く煙と炎の色が変わり、衆議の結果、口を塞いだのですが、早すぎたのではないかと少し心配でした。夏の会に炭出ししたところ、ほぼ全部が炭になっており、やはりあの判断は正しかったのだと、参加者全員大いに満足しました。

 話は変わりますが皆さんはアンケートの回答に、「どちらとも言えない」と答えたくてウズウズした経験はありませんか。
欧米人に比べ日本人にはこの傾向が強いと言われています。鈴木秀夫氏は「欧米人の祖先である砂漠の民は、進路の決定に当たって、水場にたどり着けば○、たどり着かなければ×で、中間はない。
しかし日本人の祖先は森林に住み、森の中には至る所に食料や水場があるため、厳しい判断が要求されず、曖昧であることに平気になった」と述べています。自らを省みてこの説には説得力を感じます。

 伊賀の森の中で、木々の狭い隙間から空を見上げると、鳥のような俯瞰する視点の乏しい森の民であることが実感されます。
我々の祖先は森の中で何を考えていたのでしょうか。あれこれ考えると興味は尽きません。

                                    (O)

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