ちかごろ思う事

 

ニュースのあり方のついて

平成12年12月2日

森総理大臣の評判がすこぶる悪い。
悪いのはいっこう構わないのだが、その原因がどうも気になる。
いろいろ口を滑らせたことが最大の理由のようだ。
確かに失言をしないことも政治家の重要な条件の一つだと思うが、
その政策の良否はもっと重要だと思う。
その森首相の政策だが、まず景気対策を最重要課題に挙げている。
そしてばらまき型を改め、日本が後れをとったITに集中的に投資をしようと主張している。
もう一つは教育改革をしようとしている。
その委員会の内容が文芸春秋に載っていたが、なかなか画期的なもののように思えた。
学級崩壊、校内暴力、不登校が多発しだしたこの国の教育問題を課題にするのは当然で、
これらの政策は間違っていないと思う。
 では何故こんなことになってしまったのか?
それはマスコミがニュースを乗せないでニュース解説ばかりを書いているからだと思う。
政策に関しては新聞等に載ってはいるのだが茶化してあるし、神の国だとか、
第三国発言などの方がずっと大きなスペースを割いており、延々と解説が続いている。
これをニュースとして取り上げるならば、
何処でどんな内容のことを話した中で出てきたことかを書くべきと思うが
そんな記事は見つからなかった。
テレビニュースでもその数秒間だけを繰り返し放映していた。
そしてその解説も各紙みな同じなのも不思議である。
言論の自由を叫んでいるマスコミなのだから各紙別々の見方をしていてもよいと思うのだが?
ここで問題として取り上げたいのは
 1 なぜニュースを載せないでニュース解説になってしまうのか?
 2 そのニュース解説がなぜ各紙ほぼ同じになってしまうのか?
の2点である。
 日本人は集団から離れるのを嫌う傾向にある。
それは悪いこととは言えない。
そのために学問のレベルもそろっており、文字の読めない人も、
九九の出来ない人もほとんどいない。
それが日本の発展に大きく貢献してきた。
しかし反面、自分でものを見て自分で考えることが不得手になってしまったように思える。
だからニュースより先にニュース解説を読み、
みんなと同じになるであろう意見をいち早く採り入れようとするのではなかろうか。
ひょっとすると評論家諸氏も同じで、
暗黙の了解で同じような解説にしてしまうのかもしれない。
でもこれからは世の中の出来事を自分で判断し、処理しなければいけない。
21世紀はそんな時代だと思う。
そこで提案なのだが、新聞はまず一面にニュースだけを書いて欲しい。
そして、解説が読みたい人は、別の面のニュース解説蘭を見ることにして貰えると、
我々も自分の目でニュースを見、自分の解説を考えることが出来るようになるのだが!

Akihiko Fukada